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■プロフィール

オッチャン先生:山下重喜

Author:オッチャン先生:山下重喜
小学校でのPTAの役員を機に現在に至るまで地域の子ども達の育成に関わっている。また「おやじの会」を発足し「地域の子どもは地域で育てる」活動をしている。平成18年に発足した「日本おやじの会連絡会」で全国のおやじの会の情報交換の場としてホームページを開設,全国おやじサミットの支援やネットワーク作りをしている。
現在は毎日小学生新聞の親と子の悩み相談コーナー「悩みなんか吹き飛ばせ!」で「オッチャン先生」の名で回答中。

元松陽小学校PTA会長(H13・H16)
元樫原中学校PTA会長(H17・H19)
松陽オヤジの会初代会長
日本「おやじの会」連絡会事務局長
京都市PTA連絡協議会IT委員会委員
松陽学区社会福祉協議会会長
西京区社会福祉協議会評議員
史跡 天皇の杜古墳保存会副会長
桂病院治験委員会委員
社会福祉法人京都社会事業団第三者機関委員
1953年生,京都市在住,高校1年生
の息子1人との父子家庭

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発明の対価
企業内における発明の対価について,結構,訴訟が起こっている。
今回もキャノンの社員。私も13年間ほどサラリーマンをしていたが,どうも腑に落ちない。

確かに発明は素晴らしいものだろう。これは認める。
で,その発明をする経緯が問題だ。
例えば,自分の全財産をはたいてその発明をする施設を作り,そして素晴らしい発明をしたとしたら,何も文句の付けようがない。
しかし発明をする場所と道具を与えられ,オマケに生活は保障されている。
もし研究の成果が出なくても,本人は生活には困らない。
研究成果が出なかったから,今まで使った道具代や光熱費諸経費を払えと言われることはない。
それでいて,会社に貢献できる発明をしたからと言って,その対価を払えと言うのはどうだろうか。
それなら,発明にかかった人件費と光熱費,諸経費諸々を会社に支払うべきである。

こんなノーリスク ハイリターンな商売はない。
私は営業職だったが,それでも色々と会社には目に見えないノウハウを蓄積していた。
この営業方法は私の特許だ,なんて思ったことはない。全て後輩に引き継いでいった。

これでは企業は,将来のことを考えると優秀な人材を使う事が出来ない。
私が勤務していた企業は「家族という名の社員」であった。なので一人の喜びは全員の喜びであり,当事者もそれで満足している。
kの企業も沢山の特許がある。
まぁ,今は社員も新人類が台頭しているので,どこまでこの伝統が守られているか解らないが・・・。

いずれにせよ,青色発光ダイオード以来,どうもすっきりしない訴訟である。




子育て・家庭・学校 | 02:15:13
小学生時代の教育とは?
今年も中学受験が終わった。最近の中学受験で或る保護者の方はこう言われている。「将来への不安なんかもあるけれど,やはり地元中学校へは行かせたくない」と。地元公立中学校が荒れているとか学習レベルが低いなどの理由で,我が子だけは教育環境の良い中学校で勉強させたいと思う親の素直な持ちであろう。

また内申などを重要視する有名中学校受験する為に,児童会の役員になっておくとか,目立つスポーツ大会に出られた方が有利だから,そのスポーツをさせるとか言い出す保護者もいるとか。しかし今から我が子にこう言う世間の世渡りの仕方を教えて良いのだろうか。

また或る公立小学校では,恐らく保護者からの突き上げが有るのだろうけれど,或る小学校の或るクラスでは,受験をする子だけ学校で宿題をして良いという特例(?)が担任からあるらしい。理由は帰宅後は受験勉強やで宿題をする時間がないから,だそうだ。まぁ,ご親切な学校だ。何を考えているのかねぇ。

「小学生と言う時代の遊べる時期に,いや遊ばなければいけない時期に,土曜も日曜もお正月もお弁当持ってへ行かなければならないのだろうか。親子で遊んだり勉強したり喧嘩したりできる大事な時なのに。」と別の或るお母さんが言われていた。
小学生の時の親子のスキンシップが,どれほど子ども達の成長に影響を与えるかを理解しなければならない。だから平気で親を殺す子どもになる。私が小学生の頃は,どんなワルでもキレて親を殴ったり殺したりするヤツはいなかった。怖い親だったけれど,やはりスキンシップはあった。

或る中学校受験の子の父親が「うちは嫁と長女が一体となって受験して合格したけど,その間自分と下の子は邪魔しないように気遣う日々。合格したけど遊べる時は過ぎてしまっていた」と言っていた。子どもにとって,また家族にとって本当にこれがよいことなのだろうか。

子ども教育は「三育」揃って健全な成長をしていくと思う。三育とは「知育(知識教育)」「体育(健康教育)」「徳育(道徳教育)」である。今の社会は「知育のみ」が優先され,或る意味,中途半端な人間形成がされているのではないだろうか。
この中で「徳育」とは言い換えれば「心の教育」である。これがベースとなってないと人間本来の心が育ってないから,切れると直ぐに殺人まで一気に行ってしまうケースになる。

何のために自分は勉強をしなくてはいけないのかを,親が洗脳するのではなくて,子ども自身に理解させて勉強させないと「親のために勉強している」とか「勉強してテストで良い点数を取ったら親が喜ぶ」と言うレベルで勉強しているような気がする。

この時期,良くテレビのニュース等で「将来の夢は?」とインタビューで聞かれている小学生がいるが「弁護士」とか「医者」って応えているけど,どこまでその仕事中身を把握して言っているのであろうか。
弁護士なんて本当に大変な仕事である。私も有能な弁護士の知り合いがいるが正月以外は休み無し,夜も資料作成で寝るヒマ無し。オマケに有能だから幾つも事件を抱えている。それが刑事事件ともなれば,相手から命を狙われる。私に幾ら才能があっても,弁護士だけにはなりたくない職業である。医者も一緒である。
私の小学生時代のように「将来の夢は?」と聞かれたら「電車の運転手」「花屋さん」なんて言う子どもらしい事を言って欲しい。

どう考えたって今の国立大の学生や有名私大の学生全部が官僚になったり弁護士や医者にはなれない。そこには「競争原理」が働く。その時のために,挫折しても大丈夫というような強い心の持ち主に育てていく方が最優先ではないだろうか。


子育て・家庭・学校 | 02:00:00
動物愛護
崖っぷち・・・飼い主が出来て良かった。全国から多数の引取り申込者があったそうな。
でも何かすっきりしない。この人達,本当に動物を愛する気持がある人ばかりなのだろうかと,疑問に思う。
このと一緒に発見されたは,引き取り手がなかった。
どうして?

全国に今,正に処分されようとしている子・成がワンサカいる。
保健所に連れられてきてから誰も引き取り手がなければ3日後にガス室へ送られると聞いた。アウシュビッツじゃあるまいし。。。また薬物を使用するところもあるようだが。
いずれにせよ,本当に動物を愛する心があるのなら,そう言う達を引き取ってやるべきではないか。
崖っぷちを飼いたいという人全てが処分されるを飼えば,何万というの命が助かる。

「そんなに言うならお前が飼ってやれ」って言われるかも知れないが,私は以前マルチーズを飼っていた。そのが天寿を全うして亡くなった以降は飼わないことにした。あの亡くしたときの悲しみと苦しみは,もう味わいたくないし,そのマルチーズにも申し訳ないから。

以前,テレビのニュースで或る飲食店主がこの崖っぷちを引き取りたいと言っていたが,店の前に置くと言っていた。「これって本当に動物愛護?店の宣伝に使うんじゃないの?」と言う印象を受けた。
今回の崖っぷちの引き取りに応募した人の中で,本当に動物を愛している人はどのくらいいるのだろうと疑問に思ってしまう。
売名行為とまでは考えていないだろうけど,暫くは何かに付け騒がれるだろう。

しかし崖から落ちたと,落ちないで上にいたとの差は,なんなのであろう。
どちらもには変わりないし,どっちも可愛かったけど・・・。どっちも引き取ってやれよ,って言いたい。このままじゃぁ,この崖の上の処分されちゃうんだけど・・・。
これって人間の気まぐれだよね。

最近,子どもの頃の動物は可愛いけど,大人になったら可愛くないので捨てる,なんて言う人もいるようだ。

この崖っぷち,世の中からこの話題が忘れ去られた後も,ずっと可愛がられて天寿を全うできることを願うばかりである。ニュースで少し見たが余り人にな慣れていないような気もする。なかなかなつかないから「可愛くない」なんて言って虐待しないで下さいと,この飼い主の方に心よりお願いするばかりである。

あ〜,今日も多くの保健所で,多くの子たちが処分されるんだなぁ。

子育て・家庭・学校 | 09:30:20
郷土カルタ
郷土カルタと言うものを見た。
群馬県の上毛カルタもその一つだろう。
私が見たのは,今回,与論島で作られたものだ。

与論島の子ども達が,自分たちの郷土の誇りとするものを書き出し,それを文字札としてデザイナーが絵札のデザインを考える。
文字札を読んでみると言葉が解らないので,文章が全く解らないものもあるが,裏に解説が付いているので助かった。
子ども達の素直な気持ちが書かれていた。

郷土を愛すると言う事は,大きく言えば自分の国を愛することに繋がる。そう言うボトムアップを持ってして「愛国心」を育てていけば良いのではないだろうか。
いきなり愛国心愛国心と言っても,対象があまりにも大きいのでついつい「国だけ守って自我はなくせ」と曲解される。
そうじゃなくて,家族を愛し,友を愛し,地域を愛し,我が町を愛し,そして国を愛すると言う精神を植付けていかないとダメだろう。

しかし思うに,自分の家族や他人に対し思いやりがあり,愛することが出来る子どもを育てれば,わざわざ改めて「愛国心教育」なんて言わなくても,自然にそう言う心は芽生えるのではないだろうか。
私はそう思うのだが・・・。

子育て・家庭・学校 | 23:21:05
ユニバーサルデザイン
今,注目を浴びているのが「ユニバーサルデザイン」と言うものである。最近は良く耳にする言葉である。
簡単に言えば人に優しいデザインをした製品とでも言おうか。
バリアフリーなんかはそうである。またノンステップバスなどもその部類に入る。
現在京都市バスでもバス停でのお客の乗降の時に,ステップが低くなるバスがある。
これもユニバーサルデザインと言えよう。
またお年寄り向けに,靴下を立ったまま簡単に履ける道具とか事務用品では,バインダーのクリップを片手で簡単に開けられるものやもっと身近に言えばシャンプーの容器等もそうである。
目の不自由の方のためにシャンプーとリンスでは容器に違いがある。

こう言ったものは,お年寄りや目の不自由な人達にだけでなく,実は我々にも大いに便利なものなのである。
シャンプーは健常者でも目を瞑って頭を洗っているのだから,手探りでどちらがシャンプーでリンスかを見分けられるのである。

要するにお年寄り(弱者)に優しい環境作りは,若者を含め,我々元気な人達にも使いやすいものなのである。
言い換えれば,お年寄りや弱者を中心にして考えた街作りは環境にも優しく,そこに住む人達にも優しい社会なのである。
そう言う社会作りをこれからはして行かなくてはならないだろう。
社会福祉の最先端の北欧やカナダでは,それが極々当たり前にされているところが羨ましい。

無駄遣いばかりして金が無くなったから税金を上げるとか,保険料を上げたり年金を減らしたりしてお年寄りからお金を巻き上げるどこかの国とは大違いである。

子育て・家庭・学校 | 04:17:34
教育分業
家事分業と言う言葉がある。家庭内において男性,女性の家事の分業である。例えば奥さんが食事を作ったら,後片づけはダンナがすると言った具合である。
しかし子育ては違う。「私はオムツを換えるし,あなたはお風呂に入れて」と言ったものではない。子育ては「母親は母親の役目の子育てがあり,父親は父親の役目の子育てがある」と言ったように,それぞれがそれぞれの立場で子育てをすると言うものである。

それをマクロ的に見ると「学校での教育」「家庭での教育」の教育分業」がある。今の保護者に多いのは,朝「行ってらっしゃ〜い」と子ども学校に送り出したら,何もかも学校でやって貰えると思っている保護者が多い。
要するに家庭教育」まで学校に「押し付ける」のである。

学校は知識を習得するところであり,また集団生活力を身につけるところである」と,もうはっきりと割り切った方が良い。
保護者も「少しでも子どもが勉強出来るようになれば良い」と思っているし期待をしている。だったらそれ以外のことは,家庭で行うべきである。
どこかの府県で,子どもが朝ごはんを食べてこないから学校で朝ごはん(確かヨーグルトか牛乳とパンだったかなぁ)を支給しているところがある。これは全くのナンセンスである。
家で朝食を摂る習慣を身につけさせる事が大事であり,何から何まで学校がやっても良いと言うものではない。
もし学校がやるとしたら,家で朝食を食べるように指導するのが本来の教育である。何も私はそう言うことで大事な公金を使うなと言っているのではない。はっきり言って,この学校のこの行為はお節介である。
これでは朝食を摂っていた子どもまで,朝食を摂らずに学校へ来るようになる。
今,文科省が提唱している「早寝・早起き・朝ごはん」運動は,何のためにあるのか?

また「子どもが朝起きないので,先生,起こしに来て」と言う保護者もいる。そんなもの,家庭の問題であろう。
それに食べ物の好き嫌いが酷い子どもには,好きなものだけ食べさせる親がいる。または無理矢理食べさせる親もいる。しかし嫌いなものは嫌いなので,子どもにはストレスを与える。その嫌いなものをどうやって子どもに食べさせるかを工夫するのが母親である。
こんな私でも,子どもが嫌いなピーマンは細かく切り刻んで炒飯にして食べさせていた。栄養のバランスを考えると,まさか小学生の子どもにサプリメントを飲ませる訳にもいかないし・・・。

家庭では,せめて「お早うございます」「戴きます」「ご馳走様でした」くらいは言えるように教育したい。これが出来ればハキハキした子どもになる。
家庭教育を簡単に言うと「社会へ出て問題なく集団生活を営める子どもに育てる」ことではないだろうか。
要するに「物事の善悪の判断知識」「しつけマナー教育」などは家庭で行うものである。

余談だが或る小学校で給食の時間に先生が子ども達に「戴きます」を言わせたら,或るお母さんが学校へ飛んで来て,校長先生に「うちは給食代を払っているんだから『戴きます』なんて,どうして言わせるんですか?」と食ってかかった母親がいたらしい。
こう言う母親がいる時代である。
この「戴きます」は,魚にしろ野菜にしろ「生」あるものの命を奪って,自分の命を長らえるのである。その命に感謝を込めて「戴きます」と言っているのである。
こう言うことすら解らない家庭子どもは,一体,どういう成長の仕方をするのだろうか?(余計なお世話だが心配である)

この学校家庭の「教育分業」が出来れば,学校も荒れないし勉強もそこそこ出来る子ども達が多くなるのではないだろうか。
しかしこれを理解させるには,どうしたらいいのだろうか・・・。

子育て・家庭・学校 | 01:23:10
国際oyajiサミット in KYOTO
来月2月3日に国立京都国際会館で「国際oyajiサミット in KYOTO」が開催される。
一昨年,京都祇園甲部歌舞練場を借り切って「全国おやじサミットin京都」を開催した。
お陰様で1000名を超える参加者があり,後の交流会も300名弱の参加者を見た。

年に1度くらい全国のおやじ達が一同に交いして意見交換,活動報告などをやろうと言う趣旨で,4年前に始まった。
昨年は第4回で鳥取で行った。今年は広島,来年は富山と続く。
誰に言われたものでもなく,行政主導でもない在野のおやじ達が,自らの手で作り上げたおやじサミットである。

で,京都はちょっと調子に乗って「全国の次は世界や」となり,今年,国際おやじサミットをすることになった。まぁ,ノリの良いおやじ達である。と,全く他人事のように言っているが,実は全国サミットは私の願望を京都のおやじの会のメンバーが協力して叶えてくれ,今回の国際サミットでも,パネルディスカッションのコーディネーターをする。
全国おやじサミットでは,みんな良く付い来てくれたものだ。
「なんか,よう解らんけどアイツが熱く語ってるし,一丁,手伝ってやろうか」と言うノリで約60名が実行委員として全市から集まってくれた。感謝感謝である。

そして今回・・・である。
記念講演は帝塚山学院大学教授のジェフ・バークランドさん。一昔前,デーブスペクター氏と一緒に,お米の宣伝で着物着てお釜のお米を研いでいた人である。「我が家の自慢はお米だけ」って言うヤツである。
日Pの近畿ブロック研究大会神戸大会の時に講演を聴いたが,さすが上手いものである。

さてパネリストはと言うとネパール,台湾,日本,スウェーデン,フランスとアフリカのマリ共和国から各一人ずつのオヤジに参加して戴く。
今から楽しみである。

3年前,ドイツ人で京都の大学の教授の人に話を聞いたことがある。
「ここが変だよ,日本の子育て」みたいな話をして貰った。
面白いことに,私が小学校の頃にされていた教育を,今でもドイツではやっているようである。
家庭教育は厳しい。その先生も「体罰は当たり前」と言われていた。
勿論,虐待とは全く違う。
私の小学校当時は,父親は戦争を志願していったような人だったから,私はコブが引くヒマもないくらい良く殴られた。しかし一度も「このクソおやじ,殺したろか」なんて思ったことはない。
勿論,恐怖で押さえ付けられていたと感じた事もない。何故なら,父親はよく遊んでくれた。要するにスキンシップが取れていたからである。
どんなに怖くても親の愛情を感じていたからであろう。
しかし,かと言って凄く良い父親かというとそうではなく「溺れている者を,棒で突っつくような父親」には違いない。
でもこれで随分と精神的に鍛えられたものだ。まぁ,私にとっては父親は反面教師であったと思う。

今回は京都市内だけでチマチマとやろうと思っていたら,結構他府県からの参加者が多いようだ。それと在日の各国の外国人の方々。
パネルディスカッションは,パネラーと会場(参加者)からの発言を考えている。
折角来たのに見るだけでは勿体ないし面白くない。
さすが何人かの外国人の方が,会場から発言したいと言うリクエストが,もう来ている。断っておくが,勿論,どこかの国のタウンミーティングのような「ヤラセ」は一つもない。

さてさてどうなるか解らないが,きっと面白いと思うのでお時間のある方,お越し戴ければ幸いである。一言,お声かけ戴ければ,尚更嬉しいですな。


子育て・家庭・学校 | 02:24:21
学校と保護者の関係
毎日小学生新聞の「悩みなんか吹き飛ばせ!」にあった質問であるが,小学校学校行事に参加したお父さんからの質問。
本部の役員らしき女性が教頭先生を捕まえてまくし立てていたとか。そして教頭は平謝りだったらしい。その様子を見て,そのお父さんは「学校はそんなに保護者に弱いのか?どこの学校でもそうなのか?」と言う質問であった。
これには参った。
回答は既に新聞に掲載されているが,紙面に限りがあるので詳しくは書けなかった。しかしこのケース,どちらにも問題はあるだろう。

先ず保護者の沢山いる前で,保護者学校先生に文句を付けてはいけない。子どもが見ていたらどう思うだろう。これでは子ども先生の言う事は聞かなくなる。また保護者はそんなに偉いのか?う〜〜ん,エライと思っている保護者がワンサカいる。それに必要以上に先生は頭を下げてはいけない。

昔は保護者からすれば,先生と言えば「先生様」と言われるくらいの
立場だった。何故なら保護者自体が大学まで行っている親が少なかったからである。先生は一応,大学も出て教養があり知識も豊かであった。(と思われていた)
だから先生の言う事,やること全てOKだった。(例えそれが体罰であっても)
ところが今は殆どの保護者が大卒と言う有様である。中には先生よりも高学歴の保護者がいる。そう言う家庭の子供を預かった先生はお気の毒だ。

だからと言って先生に対して暴言を吐くことは許されない。教師に食ってかかることが保護者のステータスと言わんばかりに文句(いちゃもん)を付けに来る保護者がいる。保護者子ども保護者の人権を振り回すが,先生には人権がないのかと言うくらい暴言・雑言を吐く。まぁ,それにじっと耐えている先生先生だが,自分の方が正論でも何も言えないらしい。何と可哀想な人達だ。

先述の学校は特殊だと思う。先ず学校行事に保護者が文句を言ってはいけない。PTA行事で学校から文句を言われたら気分が良い筈はない。それと一緒で,学校も一所懸命にやっているのである。文句があるなら職員室へ行って言えばいいことであり,どうして現場で偉そうに文句を言うのか。本人は「私はこれだけ力があるのよ」と見せつけているのかも知れないが,端から見れば「ただの文句言いのオバハン」である。

保護者学校は上手くやって行かなければならない。それが引いては子ども達のためになるのである。それを理解しないといけない。
例えば子ども学校で担任に叱られたとする。叱られると言うことは,子どもに何らかの非があると思う。それを帰ってきてから子どもが親に言ったとする。そこで親はどう答えるか。
2通りある。
一つは「まぁ,なんて言う先生。そんなん気にせんでいいし。あの先生評判悪いしアホやねん」と言って,学校へねじ込んだらどうなるか。
子どもは,もうどの先生の言う事も聞かなくなるし,全て自分を肯定してしまう子どもになり反省が出来ない子どもになるだろう。
二つ目。
「それはあなたが悪いところがあるのでしょ。どうしてそうなったの?」と子どもに聞き「解ったわ。でも叱られたことは反省しないとダメよ」と諭す。そしてどうしても自分が納得行かないのなら子どものいないところで先生に尋ねる。こうすれば,子ども先生の言う事は聞くし,親の言う事も聞く。

私が小学生の時は,学校先生に叱られたと言ったら,父親にまた殴られるから黙っていたものだ。「なに怒られるようなことやってるんじゃ!」でゲンコツが飛んでくる。

先のお父さんの素直な疑問を聞いて,実はホッとしている。まともな考えの保護者もいるんだと言う思いである(実は殆どがそうであるが)。やはり保護者が教師に文句を付けるのは,場所を考えてやるべきであろう。それと,あくまでも学校保護者は手を取り合って「子ども達のために」と言うことにベクトルを合わせて進むべきであろう。いがみ合っていても誰も得しない。
またPTAを良く「保護者」の意味で言われるが,PTAの「T」は先生である。解り易く言えばPTAは「保護者先生が共に手を取り合って子ども達のために頑張っていきましょう」と言うことである。(勿論,独断と偏見ではあるが・・・)



子育て・家庭・学校 | 00:30:05
教育第三者機関
文科省の発表で給食費の滞納金額が20億円だとか。払わない保護者の理由としては「義務教育なのにどうして払わないといけなの?」だ。
給食費は,正味材料費である。給食調理員の人件費は行政が払っている。だから食材費くらい払うべきである。

私が小学生の頃,給食費を忘れていくと「お前,ただでメシ食うんか?」と言われたものだ。そして昼飯抜きにされた子どもまでいた。
まぁ,これは行きすぎだろうが,子ども心には「当たり前だ」と思っていた。

この20億円というのは,目に見える額である。では目に見えない額と言うのはあるのか?
それが「ある」のである。
文科省がどこまで解っているか知らないが,実は学校現場では校長が身銭を切って未納の子どもの給食費を払っているところもあるのである。
督促しても払わない保護者がいるからである。しかし子どもには給食を摂らさなければならない。でもその子どもの分の給食費(材料費)がない。そうなると校長が犠牲になるのである。勿論,そこまでする必要はない。

こう言う無理難題,筋の通らないことを言ってくる保護者が多い。
子ども同士の突発的な喧嘩も「イジメだ。どうしてそれを見抜けなかったのか?」とか「子ども学校に行かない。担任が嫌いらしいので担任を代えろ」等々。また,もっと酷いのは「障害のある子どもと,うちの子どもと一緒のクラスにするな。障害児は別のクラスにして隔離しろ」と言うバカ親までいる。全く人権問題である。

そこで私は提案したい。
そう言う訳の解らない保護者とのトラブルに関しては,地域,または教育委員会の中に「教育第三者機関」を置き,そこでそう言う保護者に対して意見を聞くようにして欲しい。
要するにそう言う訳の解らない保護者のために大事な授業がある時間中に先生を取られ,他の子ども達が授業を受けられないからである。
また一生懸命にやっている教師に,保護者が自分勝手な理論を並べ,優秀な教師を潰さないためでもある。
学校の先生には,子どもの方だけ向いていて貰うためでもある。

その構成員は地域の各種団体長や識者で,その機関が学校保護者の話を聞く。そして無理難題を吹っ掛ける保護者に対しては注意を促す。
これは過去,私の経験でもある。
昔,やはり普通に考えても「おかしいよ」と言う事を学校へ言ってきた保護者がいた。
保護者に対しては,同じ立場の保護者が一番良いと思い私が対応した。
その時,こんな事,学校(教師)が言ったら大変な騒ぎになると言うことでも,同じ立場の保護者が言うと議論が白熱しても,その内に納得するのである。勿論,押さえつけはしていない。納得が行くまで話をしたまでである。

今,保護者にとって欠けているのは「思った事を直ぐに学校に言わずに誰かに相談してから判断する」と言うこ事である。
例えば「ねぇ,聞いてくれる?私,こう思うんだけど,あなたどう思う?」と言う相談相手がいない事が問題なのである。
そこで「うん,確かにあなたの言うことが合っている」と言われれば学校に問い合わせに行けばいいし「ちょっとそれは違うんじゃない?」と言われれば反省すべきである。
大概,この時点で収まるものである。

これからの時代,是非ともこの「教育第三者機関」を設置することを望みたい。
今,保護者に言いたい事は「学校や先生を守る事が,実は我が子を守る事なんだ」と言う事に気が付いて欲しいと言う事である。


子育て・家庭・学校 | 05:00:00
子どもの能力は無限
鯖街道」と言う会がある。多分,鯖街道歴史研究会の行事だと思うが。
毎年8月,2泊3日でキャンプウォークをする。
どこをキャンプウォークするかというと,文字通り「鯖街道」である。
学校4年生から高校3年生までの男女が,鯖街道到達地点の京都出町柳から起点地の小浜市泉町へ向けて,全長72キロのうち約60キロを逆に歩くのである。
途中,峠を幾つも越え,キャンプ場に泊まったり,小学校の体育館を借りたりして2泊3日を踏破する。
5〜6人一組になり,リーダーはOBの大学生だ。
私も2度ほど同行したことがあるが,小浜に到着する姿を見ると感動で涙が出てくる。

そこで感じたことであるが,我々親が思っているほど「子ども達はヤワではない」と言うことである。
我が子,他人の子に限らず「もうここまで頑張ったんだから,無理しなくても・・・」と言う,変な親心が出てしまう。
これがいけないのである。
「我が子の力の限界を,知らずの内に親が作ってしまっている」のではないかと言う事である。

子どもは直ぐに弱音を吐くものである。それが本当のギブアップなのか,口だけなのかを見分けなくてはいけない。
それが難しい。
無理に頑張らせる必要はない。
勉強でも何でもそうだが,その子のペースで歩ませるのが一番良いのではないだろうか。
勉強でも5分で理解する子どもも,30分で理解する子どもも,理解することには変わりはないのである。
時間が早いか遅いかである。理解するのに時間のかかる子どもが,決して劣っているのではないと言う事である。

この鯖街道を歩く子ども達,ただただ歩くだけなのである。しかし凄く楽しげである。
しかし今の子どもでそう言うことが出来る子ども達がいるだろうか?
一見無意味だと思われることを愚直にもやる姿勢,それが実は自分の人生に大きく影響していると言う事を理解しなければならないだろう。

またこのキャンプウォークに同行するカメラマンがいる。この写真家の写真が,これまたいい。
子ども達の表情の捉え方が上手い。それに鯖街道を撮り続けているが,毎回鯖街道の違う表情を見せてくれる。
この個展もお勧めである。
次回,開催されるときには,ブログにも載せたい。

今年も開催されるだろう。
もうそろそろ準備にはいるのではないだろうか。
私は今後も参加出来ないが,毎年無事で2泊3日を終えられることを祈っている次第である。


子育て・家庭・学校 | 01:00:00
雑談
一時期,納豆が市場から消えたが,これには参った。
実はコレステロールが高かったので,納豆を食べると数値が下がると聞いて,昨年から納豆を朝晩食している。
これは本当に効果覿面であった。食して2週間目で一気に10も数値が下がった。
1ヶ月経過後,まだ数値高かったが,ほぼ正常値近くまで下がった。(まぁ,1ヶ月に2回も血液検査するようなせっかちな人間もないだろうが・・・)
で,今も続けている。お陰で高数値ではあるが,何とか正常値である。

そこで例のテレビ番組で「納豆を食べると痩せる」と。
それを見て即「こりゃ,ウソだ」と思った。
何故なら1年近く食しているが,全く体重は変わらない。お腹も相変わらず出ている。(83センチ)
これで痩せるのなら,私はとっくの昔に痩せている。
しかし「まぁ,人それぞれ個人差もあることだし,自分の場合は当てはまらないのだろう」と変に自分を納得させていたが,今回の捏造報道で「やっぱりねぇ」である。
しかし,マスコミの影響とは凄いものだ。

地下鉄サリン事件を思い出した。
無実の人が,マスコミ報道で犯人にされたのだから。。。
全くテレビとは,一歩間違えば怖い道具である。

そんなこんなで今回一番得したのは納豆メーカーだろうが,その反面,増産体制に入った納豆メーカーはお気の毒・・・。
しかし何と言ってもこの番組のお陰で全く納豆を食べられなかった私が一番の被害者だと思っている。

子育て・家庭・学校 | 19:30:12
命の大切さ
夕張市で財政難から透析患者の透析を中止するらしい。
またタレントの風見しんご氏の愛娘が交通事故で亡くなった。さすが同じ子を持つ親として,涙が出た。私は虚構の世界である芸能界関係の訃報は全く他人事だが,今回は違った。相当子煩悩な父親であったらしい。
我が子が病死ならまだ諦めもつくが,交通事故だけはやりきれない。またイジメによる自殺もそうだ。イジメの場合は,自殺だけれども自殺に追い込まれたと言う点では,加害者の見えない殺人だ。それに新年早々の身内の殺人,大学生の通り魔的殺人・・・。

どうして,こうも簡単に人のを奪うのだろう。
夕張市にしても,これで患者が死ねば「一種の殺人」だ。金がないのは,市民にとっては関係ない。「あんた達が勝手に金を使って破綻したんやろ。そのツケをなんで我々市民が払わなあかんね。オマケにまで取る気か」と言う気持だろう。行政が率先して人のを軽んじているとしか思えない。

仕事であくせくしてる今の社会,そう言うことがなければ風見氏の娘も死ぬことがなかったかも。。。
我が小学校の前の道も通学時間帯は「スクールゾーン」である。にも関わらず,スピードを落とさずに走り抜ける。環境局の清掃車ですらそうだ。

もっと人々の心の中に「余裕」を持たなければならない。その為にはどうするか,それを真剣に議論するときではないだろうか。時間がゆっくりと流れる社会作りをしなければならないと思う。
それには経済活動は少し歩みを止めてゆっくりと進めていく。そうすれば,不二家や一昔前の雪印のようなことは起こらないだろう。金儲けという経済活動一辺倒で来た日本を,今少し経営者の方達,考えなおして戴きたいものだ。
そんなに世界一の利益の出る会社を作らなくても,そこそこの利益で社員が普通に暮らせるような企業経営を,日本の全ての経営者が行っていけば,少なくとも仕事で使う車のスピードは落ちるだろう。利益優先で時間に追われる仕事をするから,心も焦るし気もはやる。
時間に追われる生活から,時間と共に生きていける」社会の仕組みを考えて欲しいものだ。

・・・それはかけがえのないもの。大切したいし大切にして欲しい。


子育て・家庭・学校 | 09:24:17
地域の大切さ
今年も阪神淡路大震災のイベントが神戸で行われた。
震災の時,私の地域でも断層上にある家屋は,悉く被害が大きかった。
私の所は,少しではあるが断層から外れていたので,被害はそれほど大きくなかった。

今,議論されていることがある。「個人情報優先」か「生命優先」か・・・である。
地域に沢山のお年寄りがいる。その人達の名簿を作りたい。しかし「個人情報」と言う法律でそれが出来ない。
我々社会福祉協議会としては,お年寄りの把握をしないと,色々な事から守れないからである。
一番欲しい情報は,お年寄りが家の中の,どの部屋の,どこに寝ているかと言う所まで知りたいのである。
何故なら,もし地震が起こった場合,倒壊した家屋の中からお年寄りをいち早く救出できるようにである。

それと地域の人達との交流を,お年寄りにはやって貰いたい。
地域の人達にお年寄り自ら,積極的に顔を売って貰っていないと,誰も気づかないまま,孤独死という寂しい死を迎えることになりかねない。
寝たきりのお年寄りや独居老人は,地域の人達に来て貰えばいいのである。しかしこちらがアクションを起こしても,残念ながら,それすら拒むお年寄りがいる。

聞いた話であるが,或る震災地では行方不明者が誰もいなかったと聞く。それは地域の人達が,お年寄りを含め近所の人達と,みんな顔見知りだったからだという。
だから避難所で顔を合わせたときに,「誰々さんはどうした?」と言う話になり誰も見てないとなれば,その人の家に行って救出したと言う事らしい。

京都でも阪神大震災級の地震が起こる可能性は100%ある。
花折断層など,今動いてもおかしくない断層が幾つか京都にはある。
災害で発揮するものは「地域」であり「人と人との繋がり」である。
これは災害に限らず,常日頃からの地域子ども達の子育てや,地域の人達の安否に確認にも必要なことである。

現在,地域の繋がりが希薄になり,自ら地域と交わりを拒否する人達もいる。本当に自分の生活を守ろうと思うのなら,自らが地域へ出ていかないといけないのである。
それを解って欲しい。
人のために何か出来る事をやってこそ,人は自分を助けてくれるのである。
何もせずに要求ばかりしていたり,文句ばかり言っていても,誰も何もして貰えない。
「構わん。自分は誰の助けも借りずに生きて行けるんや」と言っても助けになっている。
ゴミの収集一つにしても,地域の人達が段取りを付けているのである。
地域に世話にならないと言うのなら,自分でゴミ焼却場に持って行けばいい。

お互いが助け合ってこそ,良い地域社会が生まれる。
自分だけが良ければいいと言う人の集まりでは,とんでもない社会が出来る。
昔の「向こう三軒両隣」の精神を忘れてはならない。
良く言われることだが「人という字は,お互い支え合っている」と言う象形文字だそうな。

最近,殺人や暴力など,無味乾燥,殺伐とした現代社会を見るに付け,益々そう感じる。
しかし,人々は昔の良き日本の暮らしを,無意識のうちに求めているのである。
その証拠に映画「三丁目の夕日」が大ヒットした。
日本人のDNAには,こう言うことを愛でる因子が,しっかりと刻み込まれているのだろうと思う。

子育て・家庭・学校 | 09:00:00
罪の意識
「万引き」・・・。
この行為は,どうして罪の意識がないのだろうか?私の友人でコンビニを経営している男性がいる。当然,彼の店でも万引きはある。過去何回と無く捕まえている。
まぁ,警察沙汰までしないのは,その子の将来を考えてのことだろう。彼も同じ年代の子どもを持つ親だから・・・。

彼が小さな街でコンビのを始めた約20年前の事になるが,呆れていた事件がある。
その日,男子中学生を万引きで捕まえた。当然,電話で親を呼び出すのだが,普通の感覚で行けば親として先ず発する言葉は,オーナーに向かって「申し訳ありませんでした」であると思う。ところがその親は,いきなり「はい,おいくらですか?」と面倒くさそうに言ったと言うのだ。開いた口がふさがらないとはこの事だろう。
そして,「お金を払えば良いと言うものではないやろ」と,今度はその母親への説教が始まったらしい。「なんでオレが母親に説教をしなアカンねん」と嘆いていた。
で,その母親は詫びは入れたそうだが,その場には子どもはいない。
店の外にいて,友達と話していたそうだ。一応,金を払って出て行ったその母親は,外にいる我が子に向かって「はよ帰ってきぃや」の一言で,スタスタと一人で帰ったそうだ。

もし我が子なら頬の一発も殴り,店主に頭を下げさせ,そして連れて帰る。これが本来の親の姿ではないだろうか?
私がおかしいのだろうか?
と言うのも,そう言う保護者が多いと言う事である。

また,これは或る小学校での出来事。
小学6年生の女の子が万引きをして警察に捕まり,身元を引き取りに行った。その身元引き取り人が,なんとそれは校長と担任。母親は「忙しいし,先生行って」の一言で終わり。放って置くわけにも行かず行ったらしい。
で,取り敢えず引き取って校長室でその母親と娘を前にして注意をすると,その母親が逆ギレ。
「この子はなぁ,うちの為に商品を万引きしたんや。こんな親孝行な子どもをどうして怒れるねん!」
凄い迫力で言われたら,これって「正論?」と勘違いしてしまう。

まぁ,この2例のような家庭に育った子どもは,こう言うことをしても当然かとも思うが,極々普通の家庭子ども達も万引きをすることがある。生活も中流で,特に不自由さはないのにやってしまう。
今も昔も変わらないが「見つかったらお金払ったらええねん」と言う,彼ら独特の哲学が未だにあるようだ。「見つかったら自分の将来は無い」と言うところまで考えが行かないのがおかしい。
この「万引き」と言う犯罪の第一歩の時に,厳しい対処をしておかないと,ズルズル行ってしまうような気がする。
万引きをする子ども達に罪悪感,罪の意識を持たせないといけない。
実際に万引きされ続けて潰れた店は少なくない。

また我が子が他人に迷惑をかけたら,親が我が子を連れて謝罪に行く。親が頭を下げる姿を子どもに見せないとダメだ。
かくいう私もその経験はある。相手のお母さんは良く知っている方で恐縮されていたが「これが一つのケジメです」と言うことで我が子を連れて頭を下げに行った。
「もうこんなん絶対嫌や」って帰り道にボソッと言っていた。
それで良いのである。

私の友人がこの間「万引きしたヤツは,警察や学校でなく自治会長に連絡したらええねん」と言ってた。そうすれば地域の人に名前が知れ渡る。それが嫌ならしないだろうと言う理論だが,そうなると人権問題に関わって来るので無理だろうが,個人的には賛成である。

兎に角,今の子ども達は罪の意識が低すぎる。
これを何とかするには「家庭教育」しかないのだが,それが出来ない親の子どもが罪を犯すのであって,これまたどうしたものかと頭を悩ませる。そう言う家庭の親の教育からしなくてはならないのだろうか。。。
大変な世の中である。

子育て・家庭・学校 | 01:00:00
100冊の育児書より
私は,常日頃から「100冊の育児書より1時間の井戸端会議を推奨している。
子どもが虐待を受け,死亡するケースや瀕死の重傷を負う子ども達のニュースを読むたびに,胸を締め付けられる。
子どもは,最後の最後までを裏切らないが,どうしてはこうも簡単に子どもの信頼を裏切るのだろう。
虐待で死んでいく子ども達は,死ぬ寸前まで,まさかに殺されるとは思っていないだろう。自分を産んでくれて,愛してくれているが,そんなことをするはずはないと・・・。
その子どもの気持に最近は直ぐに感情移入してしまい,テレビのニュースを見ても新聞記事を読んでも涙が出る。

さてそう言う母子育てが解らないのである。これは全く特別なだけではなく,極々普通のでもいるのである。
内気でまじめな母であるほど,全て育児書を信じてしまい,我が子が育児書の通りに成長していなければおかしいのでは?と思ってしまうのである。
全く馬鹿馬鹿しい話である。人間全て個性があるのである。子どもとて例外ではない。

また自分の子育ては「間違っていない」と信じているもいる。
要するに「自分流」「我流」と言うヤツである。
その考えは,間違いである。
常に「自分の子育てはこれで良いのだろうか?」と疑問を持ちつつ子育てをする。

しかしそれだけでは,ノイローゼになってしまう。
そこで必要なのが「井戸端会議なのである。
最近,地域の繋がりが希薄になってきたが,地域(ご近所)の同じ子どもを持つ母同士,また子育てを終えたご婦人方と雑談をするのが,最良の「生きた育児書子育て読本)」なのだ。
もしそう言う人達が地域にいなければ,どこの学区にでもある社会福祉協議会主催の「(母)子の集い」を探して参加すれば良いのである。
この場は,本来はお母さん方とその子(生まれたての子どもから保育園へ行くまでの子ども)との触れ合いを中心とした子育て教室であるが,実際は我が子をスタッフに任せて,お母さん方同士で井戸端会議をされている。
まぁ,これも「有り」かと,スタッフ一同,微笑みながら子ども達の相手をしている。
たった週に一度だが,これを楽しみに結構遠いところからも来られる。
そう言う形で,ドンドン出て行くべきではないだろうか。

子育ては決して「孤育てになってはいけない」のである。
そして楽しく子育てをして欲しい。

かく言う私は父子家庭であるが,父役も母役もしなければならなかったので大変だったが(今もだが),それだけに子育てのノウハウは少しはあるつもりでいる。(なんて言ってみても,まだまだ世間の母さん達には遠く及ばないであろうが・・・)

実際,私も恥ずかしかったが,お母さん達の中に入って井戸端会議をしてたのである。これは子育てするのに大いに助かった。
願わくば,昔の「お節介おばちゃん」が地域に沢山出てきて欲しいものだ。
昔ながらの近所の「怖いオッチャン」「優しいオッチャン」は,おやじの会の出現によって実現できそうである。

折角この世で授かった命,大切に扱って欲しいものだ。



子育て・家庭・学校 | 09:00:00
老老介護
テレビで老老介護の実体をニュース番組の特集で放映されていた。
文字通り,老老介護とはお年寄り夫婦で,片方がもう片方を介護すると言うもの。
下手をすると,夫婦二人共が何らかの病気を抱えている場合もある。そして,より重病の方の介護をするという,全く悲しいケース。
その為に毎年,介護に疲れて「殺人」「心中」と悲しい事件が絶えない。

これは大きい目で見ると地域社会にも言えると思う。
私は今,学区社会福祉協議会の会長をしているが,その理事(社協の役員で学区内のお年寄りのお世話をしている)の人達も,実は平均年齢が70前半である。勿論,皆さんボランティアである)
しかし皆さん,お元気である。
私は歳は50代前半であるが,この中では一番年下であり若輩者になる。
「お若いですね」と言われるのはこの会くらいなものだ。

これは学区社協に限らず,区社協,市社協でも言える。
元気なお年寄りが,お年寄りの面倒を見ていると言う構図である。
当会の活動内容は,月に3回の「触れ合い健康サロン」を開催し,筋力トレーニング&食事会&ゲームなどをして,お年寄りを家から出そうと言う活動,また年に2回「ふれあい昼食会」を開催し漫才や歌などを見ながら食事をして楽しく1日を過ごして貰う。
あと社会見学や独居老人の昼食会,布団乾燥サービス,それに大事な「介護者の集い」。
これは介護に頑張っておられる人の集いで,困り事相談や息抜きの場を提供している。
また未就学児童の親(母)子の集いを毎週開催して,子育てが「孤育て」にならないように支援している。

こう言う活動を頑張ってやって戴いているのが,私が率いる学区社協理事16名の活動である。
まさにお年寄りがお年寄りの面倒を見ているのである。

また財政難の折から京都市からの活動費が年々減らされる。
その為に,年に1回,地域より「賛助会員」を募集し運営資金の支援を戴く。
それも年々減っている。その中で,やりくりしてお年寄りの健康管理をしているのである。

本当に国に言いたい。もっと財政の見直しをして欲しい。無駄遣いは一杯ある。たった一つの大赤字の箱モノの運営をやめるだけで,その浮いたお金で地域のお年寄りは1年間良いサービスを受けられるのである。
我々も資金繰りに苦労して,活動をすることもないのである。
全く腹立たしく思う。

この26日に行う「ふれあい健康サロン」に,なんと他学区ではあるが中学生数名のの見学申し込みがあった。
とても嬉しいことである。
今の子ども達に,是非とも福祉に関心を持って貰いたい。
また我々や今の若い人達も関心を持たざるを得ない社会になってきた。
今の日本,全ての人が介護者予備軍」なのである。
何れは自分たちの親も年を取り,介護しなければならないのである。
幾ら介護保険があると言っても,全くアテにはならない。
年金すら,まともに貰えるかどうか解らない世の中になってくるのである。
我が身,そして自分の身内は自分で守るしかないのである。
本当に大変な時代がやってきたものだ。
また介護に関わる方(ヘルパーなど)の給料が,仕事の割には安い。
これも何とかしないと,必要とされる若い人達の力が確保できないのではないだろうか。

願わくば日本は「経済大国」にはならなくて良いから,「最高の福祉大国」になって欲しいものだ。

子育て・家庭・学校 | 23:00:00
障害者に理解を
障害者による,悲惨な事件が起きてしまった。
過去,やはり精神病院に通院経験がある人が殺人を犯したことがあった。
その時,世論は「そう言う人間は一生病院から出すな」とか「隔離しろ」と言う意見が多かった。
今回も同じような事件だが,過去と同じように言われないように祈りたい。

本当にこう言う人間は,極々一部である。なのに全ての人が「犯罪者予備軍」のように思われる。
当然,これから自分の近所の授産施設の人達を偏見の目で見る人も出てくるだろう。
今回のケースは,この犯罪以前に幾つも事件を起こしている。
ただ「障害者なので起訴できなかった」と言うことで「放置」されたことに原因がある。
幾ら障害者だとは言え,時の弁護士が,ああだこうだと弁護して不起訴になったとしても,もっとしっかりと対処すべきだった。
授産施設の管理者も,こう言う経歴があると解っている以上,特別に誰か付くべきだっただろう。
健常者でもなかなか治らない「性癖」である。

授産施設に通う障害者は,みんな一生懸命に生きている。
将来は自立して生活していかないといけないのだから。
当然,周囲も温かく見守る事も大切であろう。

私としてはいかなる理由が有ろうとも,やはり管理者の責任だと思う。
たったこの一人のために,現在の授産所の人達が偏見の目で見られるのがとても心配だ。
社会福祉の役をやっているから言うのではないが,こう言う人達と接する機会も多く,自分では理解者だと思っている。
なので,今回の事件はとても悔しい。
それと罪を犯す人間は,圧倒的に「健常者の方が多い」と言う事を忘れないで欲しい。

今回の罪を犯した本人は,やはり事の重大さに気が付いていないと思う。
だから余計に,この子の父親は,いたたまれない気持だろう。
同じ子どもを持つ父親として,察するに余りある。
この父親の怒りと悲しみは,どこに向ければいいのだろうか?

今回の事件は,加害者にとっても被害者にとっても,とても悲しい事件だった。

子育て・家庭・学校 | 00:54:26
子どものための市民憲章
京都市では,昨年より「子どものための市民憲章」作りに取り組んでいる。
これは,子ども達のために,我々大人が何をすべきかと言うことを憲章として表そうと言うものである。
昨年は,何回となく場所を変えヒアリングを行った。
全市を回り色々な立場の人から広く意見を聞き,いよいよ大詰めに来ている。
子どもを共に育む京都市民憲章」として表に出るのも間近だ。

本当に私は京都の教育は誇りに思っている。
PTAや一般企業人,全ての立場の人達の垣根を取り払い,京都に住む人達が「子ども達のため」と言う事で一つになれるのが京都ではないだろうか。
それが「竈金(かまどきん)」「番組小学校」の精神であろう。
京都の人達の心の中には,それが潜在的に息づいているのだろう。
これからも,私は子ども達のために何をしてあげられるか?ではなく何が出来るか?を考え続けていきたい。
さて来月,どんな市民憲章が出来るか,本当に楽しみである。

子育て・家庭・学校 | 00:49:12
子ども達にとって良い社会環境とは・・・?
子ども達にとって良い社会環境とは,一言で言って「大人に不便な社会環境」であると思う。
自分の子ども頃を思い出してみよう。(昭和30年代)
先ず,コンビニはなかった。カラオケもなかった。勿論,ゲームセンターもないしテレビゲームもなかった。
正月3ヶ日は,どの店も一部の喫茶店以外は全て閉まっていた。

昔は,セブンイレブンも午前7時から午後11時までだった。(だからセブンイレブンと言う)
敗戦後の貧しかった日本は「国民みんなが豊かな暮らしをしよう」を合い言葉に,みんな一生懸命努力して今の日本を作り上げた。押しも押されぬ世界の経済大国に成長した。
だから,もう経済成長は良いのではないか。
確かに今は格差社会とは言われているが,一応に普通にしておれば食っていける国である。日本で餓死したというは話は最近では聞かない(虐待は別として)。日本はこれ以上の豊かさを,もう求める必要は無いくらい経済の安定期を迎えたと思う。

で,これからの日本が目を向けるのは「子ども達の教育環境を整える」事である。
どうして24時間営業の店が必要なのだろう。
夜の世界へ逃避する子供達は,そう言う子ども達を受け入れる環境が有るからである。24時間眠らない街が,どれだけ子ども達の心を蝕んでいるか,世の大人は気が付くべきである。
コンビニは,午後9時には閉店,カラオケも100歩譲って午後10時で閉店。ゲームセンターは午後6時まで,そして飲み屋は午後12時まで。
夜の街から子ども達を強制的に閉め出さない限り非行は無くならない。

そうなると子ども達は公園などでたむろするかも知れない。しかしそれでも良いのである。その中で自分達の生き方を色々と話し合えばいいのである。遊ぶモノがないから,話ししかできない。それが良いのである。そこで人とのコミュニケーションが学べるのである。

遊ぶ場所がなければ,子ども達は家に帰る子も中にはいる。当然,親も遊ぶところがないから家に帰る。そこに必ず親子の触れ合いが出来るはず。
また正月3ヶ日は,初詣の後,どこも店が開いてないので家での団欒をすればいい。そうすれば日本の昔からの良い伝統を守る事が出来る。
またテレビゲームもないので,カルタや百人一首,トランプにボードゲームと「みんなで出来る遊び」をやった。

それが昭和30年代にはあった。友達と遊んでもガキ大将がいて,自然と縦社会を経験した。いじめっ子はいたけど,弱い者イジメはしなかった。またクラスで虐められている子どもがいると,クラスの殆どがその子の味方をしてやった。いじめっ子自信がイジメる事に引け目を感じるくらいに。

遊ぶモノがなかったから自分たちで工夫して遊ぶモノを作って遊んだ。
野球をしても人が足らないときは,無理矢理にでも友達を誘った。
何故そう言うことが出来たか。何もない時代であったからである。
「大人にとって非常に不便な時代」であったからである。

これからは,子ども達が国の財産になる。営業時間が短くなっても,売り上げは変わらない。その時間に合わせて人は買い物をする。そして直ぐに順応する。
全て「子ども達のため」と言う合い言葉を持ってすれば,誰も文句は言わないはずだと思う。またそうならなければならない。
これからは「大人に不便な社会環境作り」に取り組まねばならないだろう。







子育て・家庭・学校 | 12:56:50