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■プロフィール

オッチャン先生:山下重喜

Author:オッチャン先生:山下重喜
小学校でのPTAの役員を機に現在に至るまで地域の子ども達の育成に関わっている。また「おやじの会」を発足し「地域の子どもは地域で育てる」活動をしている。平成18年に発足した「日本おやじの会連絡会」で全国のおやじの会の情報交換の場としてホームページを開設,全国おやじサミットの支援やネットワーク作りをしている。
現在は毎日小学生新聞の親と子の悩み相談コーナー「悩みなんか吹き飛ばせ!」で「オッチャン先生」の名で回答中。

元松陽小学校PTA会長(H13・H16)
元樫原中学校PTA会長(H17・H19)
松陽オヤジの会初代会長
日本「おやじの会」連絡会事務局長
京都市PTA連絡協議会IT委員会委員
松陽学区社会福祉協議会会長
西京区社会福祉協議会評議員
史跡 天皇の杜古墳保存会副会長
桂病院治験委員会委員
社会福祉法人京都社会事業団第三者機関委員
1953年生,京都市在住,高校1年生
の息子1人との父子家庭

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ペンは剣よりも・・・
昔から「ペンは剣よりも強し」と言われる。このペンは巨大権力に向かって振り下ろされるのなら値打ちもあると思う。しかし下手をすると弱者に向けられるときもある。その大義名分は「知る権利」である。
今回の朝青龍の件でも思うのは,どうして彼をここまで追い詰めなければならないのだろうか。勿論,彼がやったことは悪い。その点は充分に反省して貰えれば良い。

一応,彼は或る種の精神障害と認定された(これも医者によっては診断の結果が違うが)。だったら遠くから見守ってやれば良いのではないか。家の前に46時中,マスコミが陣取っていれば,まともな人間もおかしくなる。

過去,松本サリン事件があった。この時の被疑者として扱われた男性は,最初から犯人扱いだった。要するにマスコミは,剣(ペン)の力を借りて,「結論ありき」から報道を始めている。そんな報道がどこにあるのか。

「知る権利」と言うが,どこまで国民は知りたがっているのだろうか。私なんて朝青龍が死のうが生きようが,どっちだって構わない。また市民オンブズマンもそうだ。この団体は無くてはならない団体だと思う。しっかりと行政の見張り番をして貰わないといけない。しかし「そんな事はどうでも良いし,別に知りたくないでぇ」と言うものまでやっている。
行政に対して色々と要求するのは構わないが,資料を作成したり対応したりするのは行政の人間だ。その人間は給料を貰って,本来しなければならない仕事を止めて,本来の仕事と関係のない仕事をしているわけである。これは税金の無駄使いである。
時には,オンブズマンと言う名を借りて,個人の満足のためにやっているのではないと思うようなことまでやっている。
ただ単の「行政イジメ」ではなく,市民オンブズマンも「こう言うことを行政に対して請求するが宜しいでしょうか?」と我々市民に一言相談の上,やって戴きたいものだ。

兎に角,マスコミはスクープ合戦だ。その裏では,きっと泣いている一般市民もいるはずだ。新聞を含めマスコミも,読者が面白がる内容を追求する。でないと売れないから。そう言うことで,真実の報道がなされるのだろうか。

最近は,マスコミも弱者の声を拾い,ワイドショーや報道番組で取り上げてくるようになった。これは良い傾向である。特に冤罪事件は有り難いことだ。これからも弱者救済を念頭に,自分の気持ちをどこへも持っていけない弱者の人の声をアンプ(amplify)して,支援して上げて欲しい。
それでこそ,ペンは剣よりも強いのである。この「剣」は権力の「権」でも良いと思っている。

マスコミでなければ出来ないことが沢山ある。しかし一つの話題を取り上げても,一過性のものでは終わらして欲しくない。その時は旬でも,時と共に色あせる。拉致問題でも,騒がれた時期はテレビでも特番を組むくらい報道をしていたが,最近は殆ど目にすることはないし聞くこともない。

昔,魚が工業廃水により汚染されて食べなくなった時期があった。その時はマスコミはひっきりなしに報道した。でもそれから1年ほどして,またみんな魚を食べるようになった。魚の汚染は1年で解決するのだろうか。あれだけ水銀だPCBだと騒がれていたのに。

やはり一過性のものなんだなと思った。使い捨てのお笑い芸人のようなものである。その時面白ければ,実力が有ろうが無かろうが使って,売れなくなれば捨てるだけである。

行政の圧力に負けずに,これからも勇気有る真実の報道を切に願うものである。

子育て・家庭・学校 | 10:38:47
中学校の制服
今や公立中学校と言えども,生徒達はブレザーなど,その学校独自の制服が主流である。私の中学生時代は黒の詰め襟制服だった。私としてはそれで充分ではないかと思う。

実は,身長も伸び,新たに我が子の替えズボンが必要となった。その替えズボンの値段が1本8000円である。私のスーツは青山で上下で9900円である。
まぁ,私が安物買いをしているので,この制服のズボンが高く感じるのだろうが,考えてみれば中学校の就学前に作った子どもの制服は確かに高かった。これって,母子家庭や生活が苦しい家庭にとっては,結構厳しい価格だった。

もし昔の様な制服だったら,デパートでもスーパーでも売っているし,既製の服だから,サイズさえ合えば安く買える。
子ども達も,今の中学校のデザインされた制服が格好良いとは思っていない。要するにどんなデザインでも「制服」となれば,格好悪いのである。
であるならば,男子は昔の黒の詰め襟制服,女子はセーラー服に戻せばいいのではないだろうか。

私が高校生の時だったか,或る地方出身の男性歌手がいて,彼は中学校を出て集団就職のために東京へ出てきた。しかし途中で会社を辞め,芸能界に入り歌手になったが,ステージ衣装は詰め襟の学生だった。理由は「家庭が貧しくて高校へ行けなかった。本当は高校へ行って詰め襟の制服が着たかった。だからステージ衣装で詰め襟の制服を着て歌うんです」と言っていた。(舟木一夫もそうだったが,彼ではない)

詰め襟の制服は着こなすと結構格好良いのである。カラー付きの制服の襟のホックをしっかり留めて歩く姿は格好良いものである。校長に聞けば「制服は学校単位で決められる」と言う事だった。しかし今更,またガクランには戻せないだろうと言う事だが,出来ることなら戻したい。

我が子は,今年で中学校を卒業するが,少子化で子どもの人数が減ってきているので,業者が採算を合わせるためには1着の価格を上げざるを得ない。それも京都の場合は,男子制服はA社,女子はB社と業者が決まっている。
昔は,一度業者が学校に入ると一生「左うちわ」と言われたものだが,最近は厳しいようだ。写真屋もそうだ。
でもそう言う中,毎年入札を行ってもっと安いところから購入できるようにすれば良いと思うのだが・・・。

実際,写真屋は私も一時期,やっていたので解るが,原価はタダのような価格である。Lサイズ1枚5円で出来る。修学旅行の集合写真で1枚500〜から1000円で売られている写真の原価は10円である。
スタジオで撮影する写真は,4ツ切りで30円ほどである。それが1万円以上するのである。
私が写真屋をしていたときは,Lサイズ1枚19円で販売していた。4ツ切りでも650円である。額に入れて1400円くらいである。中身はまるっきり一緒である。出張撮影しても,値段は変えなかった。
これでアルバイトを使ってやっていけたのである。
しかしこう言うと,「写真撮影をするときは100枚くらい撮影して,その中から1枚を選ぶので,原価が掛かる」と言う。それでも原価は1000円である。修学旅行へ行くときは,自腹で行くので,その経費も上乗せしないと採算が合わない。だから1枚当たりが高くなると言う。それも言い訳で,子ども達と同じような旅行代金でいけるし,それを上乗せしても,L判1枚120円,集合写真1枚1200円は高い。

しかし今の写真屋は大変だと思う。デジカメが普及し,自宅でプリントが出来る時代である。前述のようにスタジオを構えて撮影しているところや,幼稚園や学校に入って運動会や遠足を撮影しているところはやっていけるが,それ以外は大変だろう。

兎に角,学校での商品販売は高い。小学校入学の時の絵の具など,同じものがホームセンターで格安で売っている。こう言うところを見直していかないと,益々家庭に負担が掛かってしまう。昔みたいに,一家の大黒柱の収入が良い時代は良いが,これから益々厳しい世の中になっていくのに家庭の負担を大きいままにしておくのは如何なものであろうか。

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平成20年6月22日の書き込みに関して
コメンターへ
先ず書いておく。
コメンターのホスト:p3247-ipbf4010marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
:IPアドレス(個人が特定されるので省略)
このコメントが何処で書かれたのか探すのに苦労した。まさか1年前のものとは。
基本的にコメントは受け付けないようにしている。無責任な事を書かれる為である。なのでメールBOXを解放している。責任あるコメントを貰う為だ。
しかしこの書き込みのところには,コメント受付の欄が残っていたようだ。
さて,コメントの内容は文章の読解力のない人間の書いた内容だ。また文章の中に人を小馬鹿にしたような事も書いているので,批判中傷のグレーゾーンに当たると判断し「警告」としてプロバイダーと府警サイバー犯罪対策室へ通報しておいた。IPアドレスとホストが解っているので個人が特定出来る。
府警のサイバー犯罪対策室は京都府にあるが全国の事件を取り扱っている。室長は知り合いである。
書き方によっては訂正文も出しただろうが自分達の権利擁護だけをしているのか,お粗末な文章だった。
しかし他に大事な記事を沢山書いているのに,それにコメントしてくるのならまだ解るが,こんなつまらない内容に反応して馬鹿な意見を書いてくるんだから情けない。まともに答える気はしないが,もしまだ言いたい事があるのならメールを送って来い。幾らメルアドを偽装しても,もう個人を特定しているので無理な努力だ。また電話番号も一緒に書いて来い。
宜しく。


子育て・家庭・学校 | 23:39:54
命の重み
OLが拉致され殺害された事件があった。それを実行した3人は,面識がなかった。「闇の職安」と言われるもので仲間を募集したらしい。こう言う類が多い。また「復讐代行」と言うサイトもあるらしい。ネット社会は,一体どうなるのだろうか。

しかし問題なのは「簡単に人の命を奪う」と言う事だ。自分の思い通りにならなければ殺す。他人と揉めて,カッとなって殴るというのは昔は良くあるケースだったが,今はそれを通り越して命を奪ってしまう。小学生ですら,殺人を犯す時代だ。

「生命尊厳」。
非常に大事な4文字熟語だ。特定の宗教を子ども達に教え強制するのは勿論いけないが,しかし或る意味宗教教育は必要なのではないだろうか。「ウソをついたら閻魔さんに舌を抜かれる」とか「悪いことをしたら地獄へ堕ちる」等である。勿論,こんな事,大きくなるに従って信じなくなる。でも情操教育の一番大事なときに,物事の善し悪しを,こう言う形で教えていくことが大切でないだろうか。

ましてや他人の命を奪うと言う,とんでもない事を平気でやる人間が多い時代である。それこそ子どもから大人までである。他人の痛みが解らないから,こうなるのだろうか。
私が子どもの頃は,人の死に目に良く立ち会った。祖父母や親戚の叔父など,死んだら人は生き返らない,それで終わりだと言う事を,身を以て体験している。動物や昆虫の死もそうである。

それと食べ物にも因るそうだ。最近の子どもが直ぐに切れるのは,カルシウム不足だと言われる。カップラーメンやおやつなどを摂取しすぎるためらしい。特に即席ラーメンは良くないらしい。
学校から帰ってきて,軽くカップラーメンで腹を満たし塾へ行く・・・こう言う毎日の繰り返しが,子どもの身体には良くないそうだ。
で,カルシウムが不足していると言われれば,「サプリメントや薬剤に頼ってしまうのが,今の若いお母さんだ」と,或る薬剤師が嘆いていた。そうではなく,カルシウムのたっぷり入った食べ物は幾らでもある,そう言うもを食卓の上に並べ,例え1週間に一度でも家族団欒で親子の会話をしながら食事することが,子どもにとって一番の体と心の栄養になるのだと。

兎に角,今は時間の流れが速すぎる。ダイヤル式の電話や少々遅れても誰も文句を言わない単線の蒸気機関車時代が懐かしい。時間も人もゆっくりと流れて行った。
春になれば小川のメダカに目を向け,岸辺のタンポポに心を奪われる。夏になれば,蝉時雨の中で,駄菓子屋の前に置かれた床机に腰掛けてかき氷りを食べ,夜になるとホタルの光に酔いしれる。秋になれば彼岸花の上を飛ぶ赤とんぼ取りに夢中になり,冬になれば雪合戦と言うように,四季折々の過ごし方があり,時の流れがあった。今や若者や子ども達の遊び場もなくなり,もっぱらアミューズメントストアやファッションビルに行くしかない。ここでは空調も効いて四季は何も感じない。

人間も自然の一部。自然と一緒に遊ぶことが,人間の心も浄化される。
そう言う環境に育てば,人の心もおおらかになり,他人の命も大切にするのでは無いだろうか。命は地球よりも重いと言われる。誰にも他人の人生を止める権利はない。子どもに対してもそうだ。無理心中する親もいる。子どもにとっては本当に不幸だ。子どもの人生を親が奪う権利はない。
生きても100年である。自殺などしないで天寿を全うし,また他人の命を尊重し合う人間ばかりになると,この世の中,もっと住みよい世界になるのになぁ。

子育て・家庭・学校 | 16:25:53
企業のモラル
中国各紙が,北京の環境NGO(民間活動団体)「公衆環境研究センター」が公表した「環境汚染企業ブラックリスト」をもとに,外資系企業が汚染物質を垂れ流しており,道徳心が欠如しているなどとする批判記事を掲載した。勿論,その中に日本も含まれている。

これは企業のモラル問題である。もっと言えば,「個人のモラル」の問題である。例えば,祭などで道端に沢山のゴミが落ちている。それを見た多くの人は,そこにゴミを捨てていく。「ゴミはゴミ箱へ」である。

日本の企業は,日本国内では厳しい環境基準をクリアしているのに,どうして中国ではそれが出来ないのだろうか。それでなくても中国は空気汚染や環境悪化が問題とされている。
上海紙の解放日報も同じく「中国の環境保護水準が低いのは認める。国内企業の環境意識も低い。しかし,多国籍企業が,環境基準を守らない理由にはならない」などと非難,他紙も「中国は世界の工場のゴミ処理場ではない」と批判している。(sankei web news)

私がまだ学生の頃の昭和40年代〜50年代にかけて,韓国旅行は「ナイト・ツアー」と言われた。今はもう無いが(と思うが)「キーセン・パーティー」と言うものがあって,売春を目的としてキーセンさんが参加するパーティーが公的に認められていた。貧しい家の,極々普通のOLや教師の女性が売春をしていたのである。それを当時の日本のおやじ達は,全ての韓国の女性はそう言うものだと大きな勘違いをして悪いことをやって来た。勿論,今ではキーセン・パーティーは無いと聞く。

私も今から25年くらい前に1度韓国を訪れたが,とても綺麗な国だった。観光地ではゴミ一つなく,バスに乗れば席を譲ってくれた。観光客を大事にする習慣があるのだろうかと思った。私達の観光は,普通の観光ツアーではなく,観光客がいけないところを連れて行って貰ったり,韓国の日常を体験できるツアーだった。勿論,そんなツアーはどこにもなく,旅行会社にお願いして組んで貰ったツアーだった。
ガイドして下さる方の家に招待されたり,知られざる韓国をみた。そのガイドさんの家は38度線近くにあり,ドンパチやっている音が聞こえていた。ホテルに帰ると支配人が「何があっても皆さんは,日本に送り返しますのでご安心下さい」と言われた。
今一番印象に残っているのは,貧富の差が極端に大きかったことだ。

中国も,確かに環境面ではまだまだかも知れない。だからと言って,「じゃぁ,適当にやればいいか」では済まされない。やはり日本国内の環境基準を守り「さすが日本の企業は違う」と言われなければ,日本人としての誇りは守れない。
誰も見ていなければゴミを捨てる,唾を吐く等,そう言う国民性を改めなければならないだろう。

平成15年か16年だったか,京都おやじの会連絡会で「子どもが見てるぞ!キャンペーン」をやった。その第1段が「ポイ捨て禁止」だった。市内のバス停やゴミ箱にシールが貼ってあるので知っている人は多い。目玉の黄色いステッカーとポイ捨て禁止と書いた手の平のステッカーだ。

国民一人一人が環境に目を向けて,自分の出来る事から出来ることをやって行く以外にない。誰も見ていなくても,ゴミは捨ててはいけない。市内にゴミ箱が少ないのは,「自分で出したゴミは自分で持ち帰る」が原則だからである。ゴミ箱が少ないのを理由に,そこら中にゴミを捨てるのは間違いである。
文化と伝統のある国,日本である。その名にふさわしい行動を我々日本人はとるように心がけるべきであろう。「美しい国造り」とは,美しい心を持った日本人が集まって出来た国が「美しい国 日本」なのである。

日本人一人一人がこう言う気持ちになると,中国にある日本企業も環境に配慮することになるだろう。中国人も同じ人間であり,アジア人である。日本企業がいい加減なことをすると言うことは,無意識のうちに,中国人を自分達の立場より下に見ているのである。これは許されるものではない。

子育て・家庭・学校 | 14:54:19
朝青龍
私は,相撲はまるっきりみないし興味もない。私が小学生の頃の好きなものの三種の神器は「巨人・大鵬・卵焼き」だった。確かに大鵬は私も好きだった。今思えば,小学生の時代だけ相撲に興味を持っていたような。大きくなっても,覚えているのは精々千代の富士辺りまでだろう。
勿論,今でも名前だけは知っている力士も多くいるし,高見山とツーショットの写真もある。

でも相撲を見て知った力士は少ない。朝青龍も,ニュースで知っているだけだ。まぁ,これだけ話題性の多い力士も珍しいのでは。
モンゴル出身だそうだが,彼は日本の水には合わないのではないだろうか。何か意識して,モンゴル人である自分を貫き通そうとしているようにも見える。

相撲は日本の国技であるが,それを習得したとして,日本人になる必要はないと思っているのかも知れない。アメリカから野球が伝わったとしても,やっている人間は日本人だから,日本流にやるということなので,ルールやマナーは守るが,それ以外はアメリカ人の慣習には染まらないと言う事と同じなのだろうか。

恐らくモンゴルでは朝青龍は,あのままの態度でも許されるのだろう。そう言うお国柄なのかも知れない。昨日,病院で診察を受けるために部屋を出たところをニュースでやっていた。あれだけの横綱が,えらくか細い神経をしているなと不思議に思って,どれだけやつれているのだろうとみてみたら,ヒゲが伸びている以外は普段と変わらず堂々としていた。これはこれで,またマスコミに叩かれている。今では後援会もサジを投げている。

報道では色々と取りざたされているので敢えてここでは書かないが,もうモンゴルへ帰れば良いと思う。別に投げて言っているわけではなく,やはり生まれ故郷が一番良いと思う。モンゴルでは大きな事業家の息子らしい。金があるのなら,モンゴルでモンゴル相撲協会を作れば良いと思う。そしてモンゴル風の相撲にすれば良いと思う。で,日本の相撲と勝負すればいいのである。相撲は日本の国技でも,他の国で相撲協会を作ってはいけないと言う決まりはないだろうから。

郷に入っては郷に従えと言う諺があるが,モンゴル人に誇りを持っていて,その主義主張を変えないと言う気持ちであるのなら,或る意味凄いと思う。しかしやっていることはチンケである。
どうせやるなら「ああ,そうそう,悪ぅござんした。じゃぁ,モンゴルへ帰りまっさ」と言ってさっさと帰るくらいの横柄さがあれば,もっと良かったかも知れない。どうせ悪役になるのなら,トコトンやらないと。それもパフォーマンスである。

私の周りでは,私を好きな人,嫌いな人,はっきり分かれる。中途半端はいない。それだけ私は個性が強いと思う。でもそれでいいのである。100%の人,みんなが私を好きになってくれたら,これは気持ちが悪い。

或るテーマで議論をして,反対者が無く100%賛成であれば,その議案は廃案にしなければならないと言う理論がある。正しいことをしようとすると必ず反対があるのである。反対意見があるから,正当な意見が生きてくるのである。やはり多数決である。

しかし多数決は民主主義ではないと言う人がいるが,これは民主主義の基本である。少数意見は尊重するが,それには従わない。従ってしまえば「少数決」になってしまう。これこそ民主主義に反する行為だ。

少し脱線したが,朝青龍も引退,継続,帰国・・・等々,諸々の意見が出ている。これは多数決では決められないが,自分がこれから横綱として,どうして行くべきかを真剣に考えて結論を出すべきであろう。周囲の中傷批判は気にせず,それこそ我が道を行くで良いのではないだろうか。私なんて,個性が強く硬派な発言が多いので,何だかんだと言う人は沢山いる。しかしそう言う者の意見は全く気にならない。所詮自分では何も出来ないし,やっていない連中だから・・・。そう言う人の中で私以上に何かをしている人がいれば,私は素直にその人の意見には耳を傾ける。
朝青龍も,そう言う気概で,これからの人生を送って行って貰いたいものだ。相撲が全てではないし,相撲を生かして人々に勇気を与えることも出来るだろう。

子育て・家庭・学校 | 23:25:57
日本がアルカイダ?
ブッシュ米大統領が22日に中西部ミズーリ州カンザスシティーで演説を行った。その内容が戦前の日本とアルカイダとを一緒にしていると言う内容である。
アホか・・・である。
テロ行為と真珠湾攻撃とが一緒だと・・・。なんでやねん。
で,「米国の勝利があって初めて日本が民主化した」という構成をとっている。これはおかしい。この説は,以前のボンクラ大臣が「原爆が落ちて戦争が終わった」と言う,「しょうがない」発言と同じである。
日本は明治維新以来,民主化の歩みを始め,大正デモクラシーから普通選挙が出来,民主化が確立した(と思う)。
アメリカが戦争に勝ったからではない。

大体,日本は中国から大量虐殺のお詫びを首相が替わるたびに延々とし続けているのに,その大量殺人以上の殺人を犯したアメリカに対しては日本は謝罪をさせていない。
中国と同じ立場をとるなら,日本もアメリカに対して謝罪を申し入れなければならない。

しかし中国も中国だ。いつまで謝罪させるつもりか。一つの喧嘩に恨みを持ち,末代まで謝罪させる気が知れない。これは日本人の殆どが思っていることだ。だから敢えて私が言う。
今まで中国は日本にどれだけ恩恵を受けてきたことか。韓国もそうである。
中国,韓国の人間が反日運動をしていると頭に来る。だったら日本も一切,この両国から手を引けば良い。しかし市場経済優先の日本は出来ないだろう。
私は右翼でも左翼でもないが,おかしいことはおかしいのである。歴史の事実として認識するのは構わない。それを隠蔽するのは良くない。しかしそれを盾にとって,これでもかと言うくらいに謝罪と金品を要求するのは,そこらのチンピラと変わらない。

ブッシュ大統領も,自分が始めたイラク戦争を正当化するために日本を持ち出しているが,意味もない筋の通らないアホな例えで演説をやっている。
こんな国に,何を日本は媚びているのか。さっさとイラクから自衛隊を引き揚げよ。
ここまで言われて,日本のシェンシェイ方が,なおもヘラヘラしていたら,もう日本もおしまいである。

子育て・家庭・学校 | 18:22:47
痛ましい事件
高校生が祖父を殺害すると言う痛ましい事件が起きた。殺人は弁解の余地も弁護の余地もないかも知れない。しかしこの高校生に同情してしまうのである。

過去にもエリート家族に生まれて,自宅に放火し家族を殺害したとか,全く見も知らないお年寄りを通り魔的に殺すなど,俗に「頭の良い子」と言われる子どものとんでもない事件があった。

しかし頭の良い子が全てそう言う因子を持っているとは思わない。やはり家庭環境の中で,そう言う心が育っていくのだろうか。
今回は,この少年の両親は離婚し,そして母方の両親に預けられたようだ。私は,祖父母と言うのは,孫には愛情だけ注げば良いと思っている。今回は,相当な重圧(本人にしてみれば)を祖父からかけられていたのだろう。私は医者になることがそんなに凄いことだとは思わない。これほど重労働な職種はないと思うが。例え我が子が勉強が出来ても医者にはしたくないと思う。

親元から「離されて」祖母と生活を始めて立派に成長した人がいる。島田洋七氏だが,普通の人間ならグレてしまうだろう。何せ母親から捨てられたんだから。(実際は違うが)
その中で,祖母の愛情を一杯に受けて,その祖母の偉大さを本にした。これって素晴らしいことだと思う。このがばいばあちゃんの生き方,育て方は素晴らしい。このがばいばあちゃんの何分の一かの考え方が,この亡くなった祖父にあれば,こう言う事にはならなかったのではないだろうか。

勿論,亡くなった祖父も,預かった孫である。立派に育てようと努力されたに違いない。しかしその思いも,「愛情」という温かいものの上に建ってこそ,孫に通じるのではないだろうか。きっとこの少年には祖父の愛情を感じることは出来ず,重圧のみであり,毎日悶々としていて,ある日突然「やっぱり,もうアカンわ。このままやったら自分がどうなるか解らんわ。そやこの苦しみの元凶はおじいちゃんや。ならおじいちゃんさえいなくなれば・・・」と言うように,考えが段々エスカレートして,冷静さを失い,犯行に及んだと思う。人間追い詰められると冷静さを失い,何をしでかすか解らない。これはこの少年に限らず,誰にでもあることだ。

もし彼を母親の手元に置いておけば,また違ったかも知れない。多感な時代に親(大人)の愛情を受けられずにいる子どもは,本当に可哀想である。だから,変にこの少年に感情移入してしまう。
「寂しかったんだね。辛かったんだね」と言って上げたい気がする。でもやったことは許されるものではない。
マスコミは,強い口調でこの事件を報道している。でもこう言う子どもにしてしまったのは誰なのか・・・である。
この少年には,先ず罪を償って,そして自分の夢を実現できるように頑張って生きていって欲しいと願うばかりである。

子育て・家庭・学校 | 10:47:19
「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」へ
中教審が表題の様な基本方針を出した。内容は今の子ども達は言語能力が低いと言う事で,それを強化しようと言うものらしい。「ゆとり教育」で子ども達の学力が低下し,その方向転換を迫られていたが,方向転換すると「ゆとり教育は失敗」だと言われるので,それは困ると言う事で,指導要領の範囲を超えた「発展的な学習」や補習・宿題の奨励などの「対症療法」を繰り返してきた。

しかしここへ来て「言葉は学力向上のために欠かせない手段」と位置づけ,小学校の低学年から,国語だけでなく全ての教育活動を通じて言語力を育成する必要があると判断した。これはゆとり教育からの一つの明確な脱却を意味する。

経済協力開発機構が2003年に行った国際学習到達度調査では,日本の「読解力」の順位が8位から14位にランクダウンした。
我が子もそうであるが数学の文章問題が解けない。理由は簡単である。書いてある意味が理解できないのである。文章を切って,じっくり読めば何を求められているのか解るのだが,それが解らない。

以前,テレビが普及しだした頃,当時の或る評論家が「国民総白痴」と言った。また写真週刊誌が出始めた頃,飛ぶように売れた。何故なら活字離れした若者やサラリーマンが好んで買った。マンガと同じで写真が殆どで「見る」だけで済むから。
また隠れたベストセラーで言えば,いつも少年漫画(週刊)雑誌はダントツだ。

しかし中教審は,こうした言語能力コミュニケーション能力が欠けていることが,人間関係の構築が苦手な子供を増やし,いじめやニートなどの問題の遠因となっていると分析しているが,果たしてそうだろうか。言語力の習得を通じ,子どもコミュニケーション能力を向上させることも目指したいとしているらしいが,これは少し違うと思う。

コミュニケーション能力は,遊びの中で育つものである。今の子ども達,「群れて」遊ぶことをしているだろうか?この「群れて」遊ぶことをしない限り,この問題は解決しない。読書好きで,書くことも好き,言語能力も秀でている人間でも,コミュニケーションが取れない人間はいる。何でもかんでも,「教育」だけで解決するものではない。
人類の歴史から見て,最初は文字も言葉も無かった。しかし立派に社会生活を営んでいた。また言葉も話せない赤ちゃんを,同じ一つの集団の中に入れると,ちゃんとその集団の中で,それぞれがコミュニケーションを取っている。

詰め込み教育はいけないし,元に戻すなと言われているが,今の受験制度が変わらない限り,学校で詰め込み教育をしなくても,で詰め込み教育をしているからどうしようもないのである。
そこをしっかりと考えて中教審の答申を出して貰わないと,結果,困るのは子ども達である。
いくら言語能力が優れていても,それを評価して貰えず,点数一辺倒の大学入試制度であれば,誰もそんな教育方針には賛成しないであろう。

子育て・家庭・学校 | 15:03:24
憲法第3章・第25条
憲法第3章の「国民の権利及び義務」の第25条に「すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定めてある。

先頃,生活保護に上乗せされて支給されていた「老齢加算」が廃止された。2万円に充たない額である。しかし生活保護を受けているお年寄りにとっては,持ちの200万,300万ほど価値のある額である。
年寄りはおを使わないから良いだろうと言う事でカットされと聞く。持ちの発想である。生活保護の支給額は家賃と生活費7万くらいである。幾らお年寄りとは言え,一ヶ月7万はしんどい。光熱費を払って食費を払ってすれば,何も残らない。エンゲル係数が限りなく100%に近くなるのである。
これが経済大国日本に済む人の生活だろうか。

財政再建は大いにやるべきだ。しかし赤字経営をしている建物が腐るほど有り,熊や鹿しか通らない林道を整備して,その為にがないがないと言っている事自体がおかしいのである。そこを改善して財政再建をするのならまだ解るが「がないから,福祉に使っているおを無くします」「がないから税を上げます」では本末転倒,順番が違うのである。

それに頭に来るのは,うるさい人間には何も言わないと言うことである。生活保護を受けながら外車を乗り回している人間もいるのである。どうしてそう言う人間には強く出られないのか。相手がアウトローの人間だからか。おかしいではないか。
行政は一体誰の味方なのか。本当に弱者の味方か?

生活保護を認めてくれないと,行政機関の前で抗議の練炭自殺をした人もいる。生活保護辞退の書類を無理矢理書かされて死亡した人もいる。人の命を,どう思っているのだろうか。「貧乏人は麦(粟?)を食え」と言った首相が嘗(かつ)ていたが,今の国会議員も,声に出さなくてもそう思っている議員はいるに違いない。

公務員を定義すると「すべて公務員は,憲法第99条に基づき,憲法を尊重し擁護する義務を負う。また,憲法第15条に基づき,『全体の奉仕者として公共の利益のために勤務する』という一般的な義務を負う。」とある。また一部のものに対して利益を供与してはならないとも書いてある。
今,国会議員の中で,この定義通りにやっている議員が,どれだけいるだろうか。

父子家庭でもそうだ。私は何とか食えるが,父子家庭でも生活が大変な家庭は沢山ある。男女雇用機会均等法が出来たのなら,これは男性にも適応されるべきだ。リストラされたり,好きでやっているわけではないが,フリーターのお父さんもいるだろう。病気だって男女問わずする。その時に,母子家庭の方に医療費が無料になればどれだけ助かるだろうか。

生活保護の審査に当たり,身内がいれば申請も却下される。しかし身内がいても,全ての身内が助けてくれるとは限らない。また離婚した相手を身内として面倒見て貰えと言う行政官もいたそうだ。全く非常識極まりない。

今のお年寄りは,戦争に行って国を守り,戦後は日本の経済の復興に身を粉にして,時には働き蜂と言われながら家庭も顧みずに働いて,そして年を取ったらお荷物になっと言って切り捨てられると言う構図は,絶対に許せない。
や老後の生活保護は,今まで頑張ってきてくれたお年寄りへの感謝の気持ちだ。「これからはゆっくりと人生を楽しんで下さい」と言うものだ。それなのに利用価値が無くなれば簡単に捨ててしまうのか。これが今の日本なのか。

これからはド真剣に無駄遣いをやめ,私利私欲で行政をせず,福祉優先の国造りをしていかないと日本の将来はない。みんな自分のことだけしか考えない弱肉強食の時代が来て,貧富の差は益々大きくなり,昔の農民一揆が起こるのは必至である。所謂,クーデターである。
団塊の世代が一気に定年を迎え,社会に不満を抱いた人達が立ち上がる。忘れてはいけないのは,彼らは70年安保を生き抜いた人達である。よど号ハイジャック事件,学生運動真っ直中に生きた人達である。
その中で,出来る人間がいれば,今の若者達を集め,クーデターの指揮を執るかも知れない。
そうなったとき,今の政(まつりごと)を司る人達は,耐えられるのだろうか。
まぁ,可能性としては限りなくゼロに近いが,政治家はもっと国民の底辺層の声を聞け。出来るなら同じ生活を1ヶ月でも良いからやって見るが良い。

老齢加算の訴訟を起こしているニュースを見て,つくづく思った次第である。

子育て・家庭・学校 | 14:39:47
人間の能力
今日,たまたまテレビのスイッチをひねったら,タイの聴力障害者22名が演じる「千手観音」と言う演技(?)をしていた。
全く聴力がないのに,どうして音楽と合わせて演技が出来るのだろうと不思議でならない。
音楽に合わせて演技をするのならまだしも,本当に人間の能力とは凄いものだ。

ベートーベンが,聴力を失って交響曲を作ったというのも凄いし,盲目の宮城道雄が琴の組曲(?)を作ったのも凄い。
この間は,知的障害者が絵を描いていた。それも裸の大将よりも重症な青年である。

で,思うのは,父親母親人生を悲観して,子ども達をも巻き添えにして死ぬことだ。自分が死ぬのは勝手だ。それに子ども達を巻き込まないで欲しい。自分達が死ねば,子ども達が不憫だと無理心中するようだがとんでもない。「子どもはあんたよりもずっと強く逞しく生きるんじゃい!」といつも心の中で叫んでいる。

親だからと言って,子どもの命を奪う権利はない。五体満足に生まれて来て,何を人生に絶望することがあるのか。ヘレンケラーは三重苦だった。それでも人生を全うし,人々に勇気を与えた。これほど生きていることに辛いことはない。

今日のテレビを見て,人間の能力は無限であると改めて思った。生きることは苦しいかも知れないが,必ず開けると信じて生きていけば,人生は開けると思う。かく言う私も,そう思い続けて10年。でもなかなかそう簡単には開かない。それが人生だ。しかし負けてしまえば,今まで生きてきた自分の過去の人生を否定する事になる。なので,これから先も,相も変わらず前向きに自分を信じて進むしかないのである。

子育て・家庭・学校 | 18:41:44
マネーゲーム
ガソリンを入れに行って驚いた。セルフの店で149円。
確かに原油の元売りが高騰しているのかも知れないが,それ以外に先物取引で値が上がっているのだろう。
実際には買いもしないのに,モノが動かないで売買をしている。その為に価格が上がっているような状態。どうしてそう言うビジネスが成り立つのか良く解らない。チョクチョク電話で「ガソリン買いませんか?」とか灯油にゴールドなどの商品の売り込みがある。先物取引だが,これで自己破産をした人を何人も見ている。こう言う類を「小豆相場」と行ったのは昔のことだろうか。
ハイ・リスク ハイ・リターンは良いが,アッという間にスッカラカンである。素人は本当に手を出さない方が良いと思う。しかしプロと言えども最初は素人と言うけれど,そう言う人はそれなりに素質があるのだろう。

甘い誘いに乗って,大損している人もいる。冷静に考えてみれば,そんな上手い話はないと言うような事に引っかかっている。不景気になればなるほど,そう言うインチキ商売が横行する。
これを無くそうと思えば,社会福祉の充実を図るしかない。老後が心配だから,お金を蓄えたいと思うのである。
税金だって高くったって構わない。それで老後の心配が要らないのなら。

ところがどうだろう。一番老後の心配が要らないはずの年金ですら,手に入るかどうか解らない状態である。厚生年金の保険料を使って,赤字だらけの施設を沢山作ったと言うのも,一つのマネーゲームである。しかし一般に言われるマネーゲームとは質が違う。
先物取引は身銭を切って行う。従って損をするのは自分。ところが公費を使ってやるマネーゲームは,失敗しても誰も責任を取らない。こう言うものなら,私もやってみたい。

兎に角,無駄使いをして誰も責任を取らず,金がない金がないと騒いで,税金を上げようとする政府に,誰が期待できようか。私学に通う子ども達にも,公立校並の授業料で行けるように保護者の負担を少なくするべきだ。

国会議委員も民間企業並に給料は抑えるべきである。政治家は国民の暮らしと安全を守るのが使命だろう。国民に奉仕すると言う気持ちで政治をしようと言うのなら,自分達の報酬は二の次であるはずだ。自分の生活は後回しの筈だ。医者ではないが「医は仁術」であり算術ではない。国の役人は全て「算術」なのである。

社会福祉に携わって思うが,今,介護士の数がが少ない。何故なら給料が低いからである。重労働で低賃金であれば,誰がそう言う仕事に就くだろうか。
コムスンを弁護するつもりはないが,解っていても不正請求しなければならないのが,今の介護現場の現状ではないのだろうか。補助金が出せないのなら,国で全てを面倒見たらどうだ。
どれだけ介護が大変か経験してみるが良い。私も両親を見ているが,精神的にどれだけしんどいことか。

税金を使ってマネーゲームをするよりも,そう言うことに使う金があるのなら,福祉に回せと言いたい。既に高齢化社会に突入している現在,早く手を打たないと,孤独死は出るわ,家庭は崩壊するわで,日本中が大変なことになるに違いない。

子育て・家庭・学校 | 19:15:24
教師も子どもも・・・
私は,テレビ番組でWBS(ワールド・ビジネス・サテライト)を良く見る。経済ニュースが中心であるが,なかなか面白い内容も取り上げる。その中で,昨日,教師子ども達のを取り上げていた。
予備校が主催する「教師力養成」と言うに,教師が通っているのである。
これは東京でのことであるが,他府県にもあるのだろうか? 教師がこう言うに行って,一体何を学ぶのだろうと興味津々で見ていた。見ていて思ったことであるが,「こんなん当たり前の事やん」である。わざわざ予備校に通って知識を得なければならないことなのだろうか。

こう言う教育は,自校で仕事が出来る先生に指導を受ければ良いことである。公費を使ってに通わせる必要はどこにもない。しかしその学校の校長は「(仕事が)出来る先生は,沢山仕事を持っているので,そこまでお願いするには忍びない」と言う。

これは間違いである。そもそも仕事と言うものは自分で考えて,その足らない所は先輩や,出来る人から技術を盗むのである。子どもに考える力(生きる力)を付けさせなければならない教師が,自分で生きる力を見出せず,他人に指導(教育)して貰って,自分のスキルを高めるという考え自体がおかしい。
民間企業ではあり得ない事だ。

私が初めて会社勤めした時は,誰からも仕事は教えて貰えなかった。唯一上司の指導は「先輩のテクニックを盗め」である。先輩と同行したときに先輩の話法,行動を盗み取れ,そして自分のものにして,それを元に自分のオリジナルの営業トークを作れと・・・。

こう言う時代を生きた我々や,ベビーブーマーの人達は,きっとそう思うに違いないと思う。「先生さんよぉ,もっとしっかりしてくれよぉ・・・」と。

また学校だけに子ども達の教育を任せてはおけないと,有名大企業が集まって子ども達のを作った。第3回目の入式をやっていた。入式に君が代を斉唱していた。参加者は小学生20〜30名ほどだった。これに参加している企業は50に及ぶと言う。サントリーの佐治会長や,セコムの取締役など,錚々たる人達が支援している。

で,やっていることは「総合学習」に他ならない。以前,文科省が「ゆとり教育」を掲げて出発し,その中で総合学習の時間を作った。その為に授業時間が減り子ども達の学力が低下したと言われた。そしてこれは失敗だったと言って見直しをしている。

しかしこれは失敗ではないと思う。本来,ゆとり教育の中で,こののような教育をして欲しかったのである。ところが学校だけでは出来なかった。何故なら保護者が望んでいなかったからだ。ゆとり教育総合学習は本当に大事である。しかし今の入試制度が変わらない限り,出来ないのである。

このも,私から見れば凄く良い事をやっている。一つのテーマを与え,それについて子ども達がグループ毎に分かれてディスカッションし発表する。子ども達に目は輝いていた。しかし保護者にとっては,そんな事は「受験に関係ない」のである。
だから学校では失敗した。このに我が子を通わせた保護者は「エライ!」と思う。でも全ての保護者がこうで有れば,子ども達は情操豊かな子どもに育つだろう。

何か変である。社会総合学習教育の方向に進んでいるのに,学校現場では全く違う動きであり保護者の要望に沿う形で動いている。教師子どもを教えるためのテクニックを習得するために予備校のに通うと言う社会,どこか変ではないのだろうか・・・。そうであるならば,の先生を学校現場に連れてくれば良いのである。そんなに通う教師とトレードすればよいのである。

雑学も沢山知識として持っており,それに学校で習う知識が備わっている子ども・・・そう言う子どもに育てなくてはいけない。今の若者は学校で習った知識は沢山あるが,これを駆使できる知恵がない。だから壁にブチ当たったときに応用が利かない。マニュアル人間の若者が多いのはその為である。

人間関係の潤滑油は,ユーモアであり雑学である。時にはリーダーシップも必要であろう。その為には群れて「遊ぶ」事も大事である。小学生時代は,子どもの仕事は,健康を維持することと遊ぶことである。それが出来る環境作りが必要であるが,現実はに通ったり,習い事をしたりである。しかし「三丁目の夕日」世代の私達から見れば可哀想に思うが,子ども達は,比較するものがないから,それが当たり前と思っているので,案外苦痛でないかも知れない。

兎に角,今一度,企業も,学校も,行政も,地域も一緒になって教育を考えるときが来ているように思った。

子育て・家庭・学校 | 00:31:30
中には・・・
昨日深夜,面白いテレビ番組を見た。初めて見たが,二つの家族の奥さんが入れ替わると言うものだ。どういう番組だと訝しく見ていたら,これが結構面白かった。

この二家族の奥さんは,何と17歳と18歳だ。共に中学生の時に出産して子育てをしている。旦那も21歳である。しかし驚いたことに,奥さんの方はしっかりしている。女の子も出産すると母になってしっかりするのだろうか。

世間からは色々と言われたようだ。「あんた達みたいなのが,子どもを虐待して殺すのね」等々。勿論偏見だ。しかし私もそう思うことがある。でもこの二家族を見ておると,そう言う思いは無くなった。片方の家族の男はどうしようもない。良くもまぁ,こんな男と一緒にいるなぁと思うような男だ。しかし18歳妻の方は,将来を考えて看護士の資格を取得しようと勉強している。方や21歳の旦那は,両に甘やかされて育ったのか,一向に「面倒くさい」と言って何もしない。しかし入れ替わった17歳妻に,この旦那がコンコンと説教されている。それで少しは変わったようだが。

男と女の違いだろうか。女性は強い。確かに若くして子どもを虐待死させる(男も女も)も多い。男はダメだ。子どもだ。勿論,私も含めてだ。格好良く言えば,「男は何時までも少年の心を持っている」と言うが,それは「大人としての責任を果たし,生活基盤をしっかりさせて,誰にも迷惑をかけずに好きなことをやる」と言うことが前提である。正味の子どもであればどうしようもない。

結局,若くして「出来ちゃった結婚」をすれば,苦労するのは女性である。男は,生活臭が出て来た妻よりも,外で見る女性が良く見えるようになるのは当然だ。で挙げ句に妻に飽きて浮気をし,そして離婚となるパターンが多い。

でも,この17歳妻の家庭の方は,きっと良い子育てが出来るだろう。彼女の話も放映中に出ていたが,なかなか17歳とは思えないしっかりした事を言っていた。身だしなみも17歳妻が金髪以外は普通である。旦那も普通の格好である。勿論,18歳妻の方も,女性がしっかりしているので大丈夫とは思うが,子育てをしない旦那には,少々ムカツク。

この妻達の偉いところは「子どものため」と言う事を頭に置いている。これが大事である。こう若くして子どもを育てている人達には,特別な生活保護支援金を出してあげればいいのにと思った。この17歳妻の家族はの力は一切借りずに自立している。少ない給料で一所懸命に頑張っている。

今まで,10代の夫婦はとんでもない夫婦ばかり見てきたので,いささか私も偏見があった。しかし中にはこう言う夫婦もいるんだと思った。これで,今後,こう言う夫婦に対しての見方は変わるだろう。

しかし良い歳をして,乳飲み子を抱いて夜遅くまで,タバコの煙ムンムンの居酒屋で飲んでいるバカ夫婦もいる。幼稚園にも行っていない子どもを連れて友達同士て,遅くまでカラオケに行っているバカママ・・・。こう言う家族も相変わらず多いのが情けない。若い夫婦は共にまだまだ遊びたいだろうが,になった以上,それは犠牲にしなければいけない。だから散々遊び倒して「我が青春に悔い無し」となったところで結婚するのが1番良いのである。そうすれば,今度は子育てが楽しくなるのである。

子育ては「孤育て」になるなと良く言われる。一人で悩んで子どもを育ててはいけないと。しかし「己(こ)育て」と言う事も言える。子育てを通して自分も育って行かなくてはいけない。子どもが自分達を母,父にしてくれているんだと。子どもと一緒に育たない限り,子どもにとって,良い子育ては出来ない。

そう言う意味で,この二家族の母はしっかりと育っている。将来が楽しみである。方や旦那達は,これからだろう・・・。当分は旦那子どもと思って,10代妻さん,頑張って「旦那育て」して行って欲しい。
最後にこの二家族,心から頑張れと心より祈り応援したい。

子育て・家庭・学校 | 14:23:48
夏の思い出
京都の夏は「祇園祭に始まり五山の送り火で終わる」と言われる。そろそろ京都の夏も終わりだが,この暑さは当分残暑となって続くだろう。

日本には四季がある。一つの季節に飽きてくる頃に次の季節が来る。これがいい。

自然というものは凄い。どうしてその季節が解るのか不思議だが,春には桜が咲き,秋にはカエデが紅葉する。虫たちも秋の気配を感じると,コオロギや鈴虫が鳴き出す。野菜はハウス栽培をされているので余り季節感が無くなってきたが,それでも四季折々の野菜や果物が出回る。

車でも,今は当たり前のようにしてエアコが付いているが,私が学生の頃は,教習所の車さえエアコンはなかった。誕生日が7月だからクソ暑い夏の盛りに免許を取りに行った。
仮免の道路教習の時,暑いので早く帰りたいから,先に出発した教習車を途中で追い抜こうとして止められたり,交差点で,停止線までは少しあるのに,その手前に木陰があるのでそこで止まったら怒られたり・・・。
しかしそんな鬼教官が,路上教習で早めに帰れそうなときは,他の教習者に解らないようにコースを外れて,小さな売店まで運転させられて,キャンディーを買いに行った事もあった。
卒業検定の時,大学の試験と重なったが,何の躊躇いもなく卒検を受けに行った。単位を落としても,次ぎに取ればよいが,卒検は落とすと追試で金が掛かる。単純な理由である。

友人と夏に海水浴に行くとき,高級車はみんなエアコンが付いているので窓を閉めて走っているので,こっちも負けじと,見栄を張って窓を閉めて走った。まぁ,5分と持たなかった。

バイト先の仲間と,車数台で敦賀の美浜原発の近くにある水晶浜に良く泳ぎに行った。昭和48年頃までは,有名な海水浴場だった。夜は美浜原発の駐車場に車を止めて寝る。夜に警備員が来るので,その時は車を置いて外へ出ていて,遅くに駐車場に張られた鎖を乗り越えて車に戻り寝る。

夕方帰宅する時,国道に出るまでは海岸線を走るが,その夕日が綺麗だった。ラジオから岬めぐりの曲が偶然にも流れ,この曲を聴くとこの場面を思い出す。
一緒に行った友人は,夕日に見とれて,この曲を聴いているときに前の車にオカマして,私と違った想い出が蘇るそうだ。
兎に角,楽しかった。
昔は時間がゆっくりと流れていたように思う。

そんな学生時代,高校の世界史の先生に会うと「この天ぷら学生が・・・」と良く言われた。昔,天丼は天ぷらの衣ばっかりで,エビの身は甘エビほども無かった。
だから「大学生と言う大きな衣を着ている割には中身がないぞ」と言うことである。まぁ,そう言われてみると,そうだったかも知れない。
しかしその学生と言う身分を大いに利用して,他人には迷惑はかけないが,思いっきり好きなことが出来た時代だった。

大学時代は,研究者になる予定の学生以外は遊べばよい。その中で身につけた事が,社会へ出て役に立つ。私も今,ネットワーク作りが出来るのは,この学生時代に下地が出来たものだと思っている。大学4年間は,学校で教えてくれないことを体験し勉強する時期だと思っている。でも勉強が好きな人はすればいいと思っている。将来サラリーマンを考えている学生は,思いっきり遊んで一般教養を身につける方がよい。
但し,遊ぶと言っても,酒池肉林に溺れろと言うのではない。学生時代は時間がある。その時間を有効に使って見識を広めると言う事である。

今年の夏は大変だった。年を経るごとに,まぁ,色々と有るものだ。

子育て・家庭・学校 | 14:02:37
キャンプ
1泊2日の少年補導委員会主催の小学生キャンプのお手伝いに,おやじの会として3名が参加した。
地域はおやじの会と少年補導委員会とは仲が悪いものだが,松陽地域はとても良い関係である。
市教委の施設に「花脊山の家」と言うのがあるが,ここで今回は行った。ただ意味が良く解らない事があった。
行ったことのある人は解ると思うが,宿泊施設の前から,キャンプ用の炊事場まで道具を運ぶのに,リヤカー,または一輪車で運ばなくては行けない。
これが結構坂道で,無茶苦茶しんどい。途中で休憩しなければならないほどの坂である。普通に歩いて登る分にはどうってことないが,一輪車に荷物を積んで何回も往復はキツイ。
少補の人達は,結構年輩が多いので,我々3人への期待は大きい。
道は舗装され,ちゃんとついているのだし,車でスッと上がれば,ものの10分も有れば荷物を運び終える。
またこの一輪車が空くのを,次のグループの人達は待っていなければならない。全く効率の悪い話であるが,どうしてそこまで車で行けないのか,不思議である。
しかしこの施設,多くの人が来ていた。何回か来たが,本当に素晴らしい施設だと思う。

キャンプファイアーのあと,空を見上げると満天の星,プラネタリウムそのものである。そのあと怖い話をボランティアの若者がして,そのあと肝試しがあった。笑ったのは,普段はしらけムードの6年生の女の子でも,怖い怖いと手を放さない。ただの暗い道を100メートルほど歩くだけなのに。やっぱり幾ら大人ぶっても子ども子どもである。最後はテントで6人くらいずつ寝るのだが「おっちゃん,幽霊怖いし,私達が寝るまで側にいて」と言われる始末。(勿論,出来るわけはない。それもキャンプの勉強のうちである)

日中はアブラゼミやクマゼミがうるさいほど鳴いているが,夕方になると主役交代で蜩(ひぐらし)が鳴き出す。自然とは凄いものだ。
たまには都会の雑踏を逃れ,自然の中に身を任せるのも,良いものだと思う。

次はおやじの会主催の「夜の学校探検(お化け屋敷)」である。全児童の半部以上は参加するという大イベントである。学校の若手の先生も一緒になって行う。子ども達も怖いクセに参加する。昨年は大人も怖がっていた。
今年はバージョンアップして,体育館と二つの校舎を使い行う。なにせ不登校児道が全員参加した行事である。これは続ける以外にない。

このキャンプを通し,また新しいおやじの会のメンバーが増えた。着実に地域子ども地域で育てる環境が出来上がって行っているように思う。
おやじの会や少年補導の人達が,こう言うことを続けられるのは,普段道で出会った子どもから「あ,キャンプおっちゃんや」とか「おやじの会のおっちゃんや」と言われることが嬉しくて,続けられているのだろうと思う。これがなければ,子どもとの行事は続かないだろう。大人というものは,随分と単純なものである。


子育て・家庭・学校 | 16:16:36
友人からのメール
私の友人からのメールです。子育てで素晴らしいことを書いてくれていますので紹介します。
彼は私が小学校でPTA会長をした年度に,他校でPTA会長をしてました。その時からの付き合いです。私の信頼できる友人の一人です。
********************************
子どもの成人はいつでしょうか。以前ジェフさんの講演で、ジェフさんの奥さんのお母さんの話を聞きました。たぶん一緒に聞いたと思います。「子育てが正しかったかどうかを知るのはいつか」という話題でした。お母さんの答は「子ども子育てをしている姿を見るとき」でした。もし、子どもが間違った子育てをするなら、それを正すのはの責任と言うことになります。

また、私自身、気がつかないまま間違った考えを持っていることもあり得ますが、これを気づかせてくれるのは周りのひとであり、恐らく一番社会をよく知っているのはの世代の人たちだと思います。確かに、時代は変わって、の世代の考え方では通用しないこともありますが、我々が子どもの頃の地域がみんなで支え合って生きてきた時代にどっぷりとつかって、そのよいところ悪いところを知っているのはの世代です。よくよく、話を聞くことが大切だと思います。そして、の世代の人たちは自分から話をしてくれることは少ないです。こちらから、話を聞きに行かない限り話をしてくれません。

どうか、我が子にはの背中をしっかりと見せて、我が子がしっかりと子育てをする姿を見るまで責任を持って頑張ってください。

先日、水谷修先生の講演会のテレビを見ました。その中で先生は今から自殺するという引き籠もりの少女からの電話に「誰かのために生きてみないか」と語りかけます。途端に電話は切られてしましますがその後少女からの電話がかかるようになり、短い会話だけの付き合いが続き、何年も年月が過ぎ、少女は少しずつ外の世界に歩き出し、そして、やがて、高齢者の施設でお年寄りの世話をする仕事に就くようになります。

自分が生きると言うことは、人に生きてもらうためであり、人が生きてくれるなら自分も生きていける。自分が生きているのは人が生きてくれているおかげである。
「自利利他」という言葉があります。色々な解釈ができます。上のような解釈もあるように思います。

とにかく一日一日を頑張りましょう。1日24時間、1週間168時間を休憩も取りながら、しなければならないことを頑張りましょう!

子育て・家庭・学校 | 15:19:26
風化させてはいけないもの
私が小学生の頃,修学旅行などで長崎や広島の原爆資料館などを見学していた記憶がある。しかし最近はしないようだ。原爆被災地の広島や長崎市内の学校でも,最近は行かないような話を聞いた。(真実は解らないが)

また私が大学生の頃は,免停を伴うような違反をした場合,勿論,そんな時は免許試験場で講習を受けるわけだが,その時にとても悲惨な事故現場の映画を見せられた。
ところが,今はそんな事はない。
私の個人的な意見としては,そう言う事故現場の悲惨な映像は見せるべきであると思う。また被害者が嘆き悲しんでいる所も見せればよい。そう言う映像を見て,初めて事故の恐ろしさを知る。

原爆もそうである。戦争の悲惨さ,原爆の恐ろしさを知らしめるためにも,また風化させないためにも,モロに悲惨な場面(映像なり写真なり)を見せるべきだと思う。
また小学生の6年間で,1度は広島か長崎の平和公園や資料館を見学させるべきである。子ども達が怖がったり,泣いても見せるべきである。その事によって,戦争の悲惨さを心の中に留めることが出来るのである。

以前,こう言う話を聞いた。
或る小学校の先生が,授業中に天国と地獄の話をしたそうだ。と,次の日,そのクラスの母が学校へ怒鳴り込んできた。「子どもが怖がって寝なかった。どうしてそう言う話をするのか?!」と・・・。
アホである。
こんな事は,私が小学生の頃は当たり前にして「」から聞いた。「ウソをついたり人に悪さをしたら地獄に行って閻魔さんに舌を抜かれるで。だからお利口さんにしときや」である。
「その代わり良い子とをしたら天国に行けるし」である。一体この母子どもにどんな教育をしているのだろうか。

また夕方5時過ぎまで外で遊んでいると,近所のおばちゃん達から「ほら,5時過ぎて外で遊んでいたら子取りが来るで,早よ帰りや」と言われたもんだ。
だから子ども達は,注意をされなくても夕方になったら「子っ取りが来るから,か〜〜えろ」と歌いながら帰った。

今では残虐さや恐怖で子どもを縛るなと言うが,小学生の間は必要である。それがトラウマになって,先々精神的に問題が起きると言うのなら仕方がないが,そんな事は全くない。今の日本を動かしている人間は,全てそう言う教育を受けてきているのである。そんな人達(私もそうだが)が引き籠もりをしたり,人間不信になったり,イジメにあったりしただろうか。もしイジメにあっても逞しく生きてきた。また弱い者イジメをするヤツは,逆にはじき飛ばされていた。

子ども逞しく育てなくてはいけない。その為には,挫折を早い内から味あわせて打たれ強い子どもにしなくてはいけない。その挫折の第一歩が子どもに「我慢」をさせると言う事である。

3日前,市バスに乗っていた。或る停留所で小学生低学年の男の子を連れたお母さんが乗ってきた。席は一杯で座れない。その内,男の子が「喉,乾いた」とお母さんに言った。するとそのお母さんは「ダメ」と返事をした。子どもは「どうして?」と答えた。で,お母さんが「我慢しなさい。今は我慢をするときです」と答えた。子どもも素直に聞いた。
この会話を聞いていて,私は思わず心の中で拍手をした。別に飲ませても良いと思う。しかし,敢えて我慢をさせたと思う。「バスを降りてから」と言う含みを感じた。それを子どもも感じたのだろう。

戦争の悲惨さもそうだし,交通事故の悲惨さもそうである。また子ども逞しく育てるという事も,全て過去にあったことであり,それを風化させてはいけない。余りにも人の心に神経質になりすぎているように思う。人間,逞しく生きよう。そして逞しく子どもを育てよう。

百獣の王ライオンは,我が子が生まれたら,直ぐに千尋の谷へ突き落とすと言う。そして這い上がってきた子どもだけ育てると言う。勿論,本当はそんな事はしないだろう。しかし百獣の王となるなら,それだけの気概のある者でなければ,その資格は得られないと言う事である。
しかしもし子どもが谷に落ちてしまったら「早く這い上がって来い」と,涙を堪えて手を差し伸べるのもである。

の愛情とはそう言うものである。
今一度,としての在り方を,自問自答し,時には第三者と話をして,子育ての確認作業をしながら,逞しく我が子を育てて欲しい。辛いことがあって死を選ぶ子ども達・・・とても悲しい思いになる。そう言う子どもを出さないためにも,今一度,(自分が)逞しくなって子育てをやって欲しい。そうすれば逞しい子どもが出来るはずである。


子育て・家庭・学校 | 23:16:13
中国
東京大気汚染訴訟が,和解する運びとなった。大気汚染により,特にしんどいのが喘息だ。これはなった者でないと苦しさが解らない。私は中学生まで小児喘息と言われる持病があった。これは歳と共に治るとされていた。確かに,大学に入る頃には治っていた。

風邪を引くと,必ず喘息が出てくる。喘息は横になるととてもしんどい。しかし風邪で熱があるのに起きてられない。この矛盾した中で地獄の苦しみを味わいながら,治癒するのを待つしかない。私の子どもの頃は,今みたいな薬はなかった。発作が出れば,今は発作止めの薬の入っている吸引機があって,発作が出ればそれを吸い込めば直ぐに楽になる。勿論,一時的なものだが・・・。それでも子どもの頃に有れば,私はどれだけ苦しまずに済んだであろう。

この訴訟の原告の中には,もう既に死んだ人もいると聞く。和解してお金を貰っても死んだ人は帰ってこないし病気も良くならないが,治療費に莫大な金が掛かるので,幾分かは経済的に楽になるだろう。

この大気汚染が始まった時代の東京と,今の北京の大気汚染が一緒らしい。来年オリンピック開催で熱くなっている北京だが,余りにも問題を抱えすぎている。しかしこれを機に,中のマナーの悪さや環境問題に取り組んで,素晴らしい造りが出来るので有れば,オリンピックを開催する意義はあると思う。

でも中は共産主義のである。大気汚染民が苦しんでいても,日本みたいに果たして救いの手を差し伸べるだろうか。オリンピックで立ち退きを有無を言わせずやってしまうである。民の「個」を大切にするより「家」を大切にする主義のである。
また子どもも2人目を作れば罰金と言われているが,金持ちは罰金を払ってでも子どもを作るが,地方の人達は,子どもが出来たら罰金を払えないから,家財道具や家まで処分されてしまう。
おかしなだ。何のための罰金か解らない。罰金を払えば,スピード違反や,飲酒運転をやっても良いと言うのと変わらない。金さえ出せば何でもOKと言う変な共産主義家だ。

日本もそうだが,最初から素晴らしい造りはあり得ない。マナーだって悪かった。大気汚染もあった。しかし一つずつ解決してきた。今では,電車の中でタバコを吸う人は誰もいない。禁煙場所では,誰もタバコを吸わない。これも戦後の復興から今まで長い時間をかけて作り上げてきたものだ。

このを作り上げていく過程で最も大切なのは,これからの中を担っていく子ども達の教育である。これをしっかりとやらない限り,金はあっても品格のない家になってしまうだろう。
と日本との成り立ちは違うが,オリンピックを機に,これから中が取り組もうとしている家戦略(?)を強く遂行し,産業や経済の発展だけでなく,真の近代家へ生まれ変わることを心より祈りたい。

子育て・家庭・学校 | 23:00:38
イジメ
今,テレビでイジメをテーマにしたドラマがやっている。「ライフ」と言う題名だったと思う。子どもに言われて初めて見た。印象としては,やり過ぎかなと思うし,イジメに遭っている子どもも,元気すぎる。いささか現実離れした内容だ。

今から20年くらい前だろうか「人間失格」と言うドラマをやっていた。イジメで死んだ息子の敵を討つために,その子の同級生,教師を殺しに回る。この父親の気持ち,今となっては良く解る。

私が子どもの頃にあったイジメと,今の子ども達の間でのイジメとは,同じイジメでも全く質が違うように思う。またイジメに遭う子どもも,全く違うと思う。それは,心の脆(もろ)さである。良く言えば「硝子のようなハート」と言えるかも・・・。<