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■プロフィール

オッチャン先生:山下重喜

Author:オッチャン先生:山下重喜
小学校でのPTAの役員を機に現在に至るまで地域の子ども達の育成に関わっている。また「おやじの会」を発足し「地域の子どもは地域で育てる」活動をしている。平成18年に発足した「日本おやじの会連絡会」で全国のおやじの会の情報交換の場としてホームページを開設,全国おやじサミットの支援やネットワーク作りをしている。
現在は毎日小学生新聞の親と子の悩み相談コーナー「悩みなんか吹き飛ばせ!」で「オッチャン先生」の名で回答中。

元松陽小学校PTA会長(H13・H16)
元樫原中学校PTA会長(H17・H19)
松陽オヤジの会初代会長
日本「おやじの会」連絡会事務局長
京都市PTA連絡協議会IT委員会委員
松陽学区社会福祉協議会会長
西京区社会福祉協議会評議員
史跡 天皇の杜古墳保存会副会長
桂病院治験委員会委員
社会福祉法人京都社会事業団第三者機関委員
1953年生,京都市在住,高校1年生
の息子1人との父子家庭

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小さな親切
阪急電車が,また優先座席を復活させたそうだ。全席が「優先座席」として,乗客のモラルを信じて始まった事が,結局は誰も座席を譲らないと言う結果になったようだ。何となく情けないような気がする。

優先座席でも,堂々と若い人達が座っている。
これは別に構わないが,お年寄りや身体の不自由な人が立っていたら席を替わるべきだろう。そんな事はお構いなしである。
しかし若くても体調が悪かったりして座っていることもあるだろう。だから一概に席を替わらないのが悪いとは言えない。

最近の日本は,人に優しくないと思う。弱者が住み難い世の中なのかも。
税金は上がるし,所得少なくなるし,年金暮らしのお年寄りからも,国はお金を取っているし。国自体が人に優しくないのだから,その国に住んでいる人間が人に優しくないのは,何だか解るような気がする。

人に親切にすると言う教育は,子どもの時からしなくてはならない。しかしその教育が出来る家庭環境が少ないのだろう。
亀田親子ではないが「強ければ何でもOK」と同じで「勉強さえ出来れば何でもOK」ではない。しかし世の中,そうなっている。

今,ヤンチャして暴れている子ども達の方が,ずっと純粋だ。純粋さ故に社会に対して反抗をしている。世の中,真面目にやっている人間が馬鹿を見る。こんな気持ちが有るに違いない。だったらまともに人生を生きようなんて考えないだろう。

モラルの低下・・・が根底にある。
大阪のアメリカ村の落書きもそうだ。自己主張の仕方が間違っている。自分さえよければ・・・と言う事に他ならない。ネット掲示板もそうである。匿名なら何を書いても良いと言う考えの持ち主が多い。ネットこそモラル意識のしっかりとした人間が使うべきなのである。が,悲しいかなそんなことはない。

昔のジャパニーズ・スピリットは,一体どこへ行ったのだろう。



子育て・家庭・学校 | 17:55:05
子ども達の目
先日の土曜日に,「葵プロジェクト」主催のシンポジウムがあった。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007102700124&genre=F1&area=K1A
上賀茂小学校,市原野小学校,柊野小学校の子ども達がそれぞれ発表を行った。
この子達は,葵プロジェクトの,或る意味,一員であり,葵の森を復活させようと昨年から葵の葉を育てている。それに関わっての発表だが,とても素晴らしかった。植物(生き物)を愛する大切さ,慈しむ心をしっかりと育んでいる。勿論,こう言う学習は総合的な学習の時間で行うが,子ども達の発表は,「先生に言われたから仕方なしにやった」と言うものではなく,生き生きとしていた。自分達の地域に「葵の森」と言う地名があると言う柊野小学校の子ども達は,そのいわれを研究していた。また環境問題にまでに言及し,自分達が出来ることをしていこうと提言までしていた。

子ども達の目は,我々大人達の目よりモノの見え方が純粋であり綺麗であると思った。何の変哲もない「葵」を子ども達の目から見れば多くのモノが見えるのである。
上賀茂神社の田中宮司は,この子ども達が育てた葵を,葵祭の斉王代の列の人達や牛車に飾ることを約束してくれた。これも素晴らしいことである。

昔はどこにでも群生していた葵の葉が,今は無くなっている。これは環境の変化が大きく左右する。葵が無くなるとそれを主食とする岐阜蝶がいなくなるのである。この行きも物の命の連鎖がどこかで切られてしまうのである。それを子ども達は危惧していた。

この発表のあと,青少年科学センター所長の日高先生と,門川教育長がコメントをしていた。我々と同じように感心していた。
このあと,佛教大学教授の西岡先生の基調講演があり,そのあとパネルディスカッションが行われた。
コーディネーターは国立総合環境学研究所副所長の秋道先生。パネラーとして京都大学大学院教授の藤原先生,わかさ生活の角谷社長,市教委から生涯学主部の藤田部長と葵プロジェクトの久保田副代表。
藤原先生は「子ども達の発表で充分。こんなパネルディスカッションなんて要らないんちゃうか」と例の調子で話された。それくらい子ども達の発表は素晴らしかった。

西岡先生は月曜日にアメリカへ行かれる。藤原先生は三重県での講演をキャンセルして駆けつけてくださった。秋道先生はパリから帰られたところで,今日は鹿児島で講演。皆さん,お忙しいのに有り難いことだ。
このプロジェクトの広報のお手伝いをしているが,そのお陰で世界的にも有名な先生達と知り合うことが出来た。
ホント,金はないが人脈だけはドンドンできる。
まぁ,もし金があれば,きっとこんな事はしていないだろうが・・・。

子育て・家庭・学校 | 22:15:59
亀田問題
決して私は亀田子を擁護するつもりはない。今回の件は身から出た錆であり,仕方の無いことだろう。しかしこれで良いのだろうか?亀田家をここまで増長させた責任は,マスコミファンには無いのだろうか?
私は最初から亀田子には批判的だった。「強ければ何をしても良い」と言うスタンスが嫌いだった。少なくともボクシングはスポーツである。そこには昔から言われている「スポーツマン・スピリット」があるはずである。

日本の武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われている。これは世界共通だと思う。昔はお互いの選手の国歌を斉唱してから対戦に移ったような時があった(今でもかも知れないが)。それだけスポーツとは神聖なものだろう。喧嘩とは違うのである。

が,そんな事は,誰でも解っていることである。であれば,どうして最初に亀田子が出てきたときに,誰も注意をしなかったのか。テレビ局は視聴率が取れるから強く言えないし,一般の人は,下手に亀田子批判すると逆に詰め寄られる。ワイドショーでも,当たり障りのないようなコメントをしていた。そんな流れの中,やくみつる氏が,代弁して語ってくれた。

亀田大毅が今回負けたから良いようなものを,これが勝っていたら,それこそ相変わらずヒーローに祭り上げられている。しかし負けた。その途端,マスコミは挙って批判し出し,今までのファンも批判しだした。

これはおかしい。「彼らを増長させたのは,一体誰なんだ?」と言うことである。格闘をする前に,スポーツマン・スピリットを教えないからこう言うことになるのである。「態度が悪いからテレビ放映はしない」と毅然とした態度を取ればいいのである。またボクシング協会も,礼儀や躾から始めるべきだった。苦言を呈する人は少なからず居たはずである。

大毅はまだ18歳である。ちょっと調子に乗ったヤンチャ坊主であり,まだまだ子どもである。その子どもに,世間がよってたかって「お前は何ちゅうやっちゃ!」ってやられたら,大人でもたまらない。
も父だが,本当に大人になれなかった父である。
しかし子関係は素晴らしい。父と子どもの関係の手本のようなものである。ここまで強い信頼関係で結ばれている子は,そんなに多くはないだろう。だが惜しいかな父が子ども過ぎた。

今回の興毅は大したものだった。それに引き替え,体を張って子どもを守ると言っていた父が会見に出なかった。本当に情けない父である。終了時間を設けず,一人で質問に答えていた。今の20歳の若者に,これだけのプレッシャーに耐えられる若者がどのくらいいるだろう。こんな場面,誰でも逃げたくなる。
筋としては,父が出て,土下座して誠心誠意「全ての責任は自分にあります。どうか興毅,大毅には寛大な処分をお願いします」と言うのが父だ。

この兄弟,父の元を離れ,これから技量と常識を教育されれば,きっと素晴らしい人間になるのではないだろうか。敬語や丁寧語の使い方も知らないかもしれない。でも態度を見れば,誠意は伝わる。ボディーランゲジーで充分である。

マスコミも今回でこの件は切って欲しい。これから大毅が気を取り直して夢に向かって頑張り,頼りなく情けない父に変わって興毅が亀田家を背負っていけば,将来楽しみな一家になると思う。

亀田家の擁護はしないと書いたが,結局擁護しているかも。しかし私は,一人の父になって見ると興毅,大毅と言う子ども達は可愛い。ただのヤンチャ坊主だ。まだまだこれから磨けば人間的に見事な玉になるのではないだろうか。
人間,心底悪いヤツは,そうザラにはいない。これを機会に成長してくれることを期待する。

子育て・家庭・学校 | 14:57:39
団塊の世代の役割(3)
生涯学習」と言う言葉がある。文字通り,人間一生勉強していく事が大切だろう。しかしこの勉強というのは学問ばかりではない。定年後,「時間も出来た事だし,そろそろ何か始めようかな」と言って趣味に走ったりカルチャーセンターに通ったりし始める。しかしこれは生涯学習ではない。生涯学習は時間が出来たらするものではない。無い時間をどう遣り繰りして学習の時間を持つかである。それをサラリーマン時代から身につけておくと,定年後,地域貢献しやすくなる。

この勉強は,先述の如く「学問」だけではない。常日頃から地域の活動に出て,地域の人達と行動することが,一つの生涯学習になるのである。
とかく今の人間は,せっかちだ。昔,日本が,まだ農業が主流だった頃,時間はゆっくりと流れていた。春に種を蒔き,半年かけてゆっくりと苗を育て秋に刈り取る。それが終われば収穫祭などがあり,地域の繋がりは益々強くなっていく。

今は,子供を中心とした大人の繋がり,地域の繋がりしかないだろう。でもそれで良いと思う。
今一番大切なのは「地域子ども地域で育てる」社会を築くしかない。その教育が出来るのが団塊の世代の人達である。子ども達のために何かすると言うことは,比較的,地域に受け入れられやすい。ここから地域への参加をしてみてはどうだろうか。
団塊の世代の人達は,絶対に家の中でじっとしていられない人達ばかりである。入院も最初の半月くらいである,のんびり出来るのは。それ以上は寝ていることが苦痛である。それと同じで,今まで仕事人間としてバリバリ仕事をしてきた人が,家の中で,のんびり出来る筈はない。

60歳の平均余命は約22年。自分が88歳になったときに,近所の子ども達から慕われている自分であったら,どれだけ楽しい人生の終焉を迎えることが出来るだろうか。60歳から地域子ども達の子育てをするのである。生まれたばかりの子どもは22歳になっている。小学生の子どもは,結婚して子どもが出来ているかもしれない。
その今の子ども達を団塊の世代の人達が「地域子ども地域で育てる」事によって,温かい地域が出来るのではないだろうか。そう言う地域には不審者は入り難いものである。至る所で大人の目が光っている。
下手なプライドは捨て,地域の中で声を掛け合って,「向こう三軒両隣」の地域が作れるのは団塊の世代の人達である。
これから地域は,新しい住民と旧住民との融合が必要になってくる。私も昔は「入り人(いりびと)」と言われた。その入り人が,今や地域の主流になってきている。

これから数百万人と言う団塊の世代の人達が定年を迎える。この人達を使わない手はない。昔の古き良き時代の日本が復活するか否かは,この人達の双肩にかかっている。


子育て・家庭・学校 | 10:02:39
団塊の世代の役割(2)
昔,農業が盛んな頃,地域は一つになっていた。特にの管理は神経を使った。自分の田圃だから自分だけが好きなようにやれば良いと言うものではなかった。第一,自分一人ではどうにも出来ないのである。
その地域に住んでいる人達が力を合わせて,の管理をし,用路のゴミ取りや除草もする。即ち「みんなで助け合って」一つのことをすると言う生活が当たり前だった。それがその地域に住む人達が生きて行く上での大切な作業だった。敢えて言うなら造語として「共働」(共に働く事)であった。
そして収穫の時期が来れば,全員で手伝いをした。

しかし今の社会はどうだろうか?「人は人,自分は自分」と言う生活をしている。またそれが出来る社会である。そう言う社会の中で,人々の繋がりを作って行くのが,これからの団塊の世代の人達ではないだろうか。
仕事人間として,日本の経済成長を支えてきた人達である。その人達の知識と行動力を地域で生かすのである。
組織作りはお手の物だろう。しかし地域の組織は,会社組織のような組織は作れない。上意下達の組織ではなく,全てが合議の下で何事も決めていく組織である。またこの組織は営利を追求しない,「奉仕の精神」がバックボーンに無ければならない。「何のための組織か?」である。それが地域のお年寄りのために何かしたいと思うのなら,社会福祉協議会に入ればよい。子ども達のために何かをしたい思えば,おやじの会があるし,少年補導委員会や民生児童委員もある(民生児童委員は要件を満たさないとできないが)。
団塊の世代の人達は「宝」である。その宝を「宝の持ち腐れ」にしてはいけない。

人間は「時間を自然」に使うことであるとNPO地域活動支援センター「ぷろぼの」の山内施設長は言う。朝,明るくなってから起き(太陽と共に起き),夜は暗くなったら寝ると言う事である。
最近の新聞に載っていたが,人間の細胞の中には体内時計があるらしい。それが,夜,明るいところで遅くまで起きていたりすると,時間が狂ってきて,昼夜の区別が出来なくなるらしい。結果,昼間でもボーっとするとか,不眠症になると書いてあった。

なのに幼稚園に行くか行かないかの子どもを連れて,夜中過ぎまで居酒屋で飲んでいる若いバカ夫婦がいる。またそう言う子ども連れた,ネジが1本飛んでいるような若い母親グループが,夜中に居酒屋から出てきて「さて,これからカラオケ行こか」なんて言っている。親になりきれないバカ親達である。幼い子どもの仕事は寝ることである。生活習慣を付けることである。この子ども達を見ていると,普段から寝るのは遅いのだと解る。何故なら,みんな元気である。もし我が子なら,夜9時を過ぎると幾ら遅くまで起こしていても寝てしまう。
少なくとも,子どもが自立するまで(大人になるまで)は,自然に任せた生活習慣を身につけさせる事である。
こう言う親の教育は一体どうやったら良いのだろうか?
*********************続く************************


子育て・家庭・学校 | 00:53:33
団塊の世代の役割(1)
これから多くの団塊の世代の人達が第2,第3の人生を歩むことになる。この世代の人達は日本の高度経済成長期を支え,文字通り仕事人間として家庭を顧みずに会社に貢献し,仕事をしてきた。
しかし定年を迎え,仕事で一日の半分以上の時間を費やしていた人達が,その時間が突然明日から無くなったとしたら,一体何に使おうか・・・となる。
最初は良いだろう。今まで頑張ってきたんだから好きなように自分の時間を使おうとして,旅行に行ったり映画を見たりする。しかしそう言うものは長くは続かない。
またこれからは夫婦で仲良く,楽しく余生を暮らせれば・・・と思っているのも男だけである。余程の夫婦仲が良く無い限り,これは望めない。「今まで散々あなたに苦労をさせられたんだから,これから私は自由に生きますわ」と言われて離婚される「熟年離婚」の憂き目にあう男性がどれほど多いことか。

それはさておき,今まで仕事人間で頑張ってきた人は,自分の趣味や娯楽で余生を過ごすには物足りなくなるのである。その時に「ボランティア」と言う言葉が心の中に生まれるのである。「自分の経験を生かし,これからは世の中に何か役立つことが出来ないか?」と言う事である。その第1歩が「地域活動」である。
ただ,ここで問題が起きるのは,そう言う活動に参加すると,とかくそう言うの動きがチンタラ感じることがある。それをつい会社の上司的モノの見方で,上からモノを言ってしまうのである。これが地域との摩擦を産む事になる。
「かきくけこ」の原理と奈良大学の村田教授は言う。
「か」勝手に物事を解釈し
「き」聞く耳を持たず(人の言う事に耳を貸さない)
「く」そして繰り言を言い
「け」挙げ句の果てに「ケツ」を割り
「こ」孤立する。
と言う要素が,団塊の世代,特にサラリーマン時代に要職に就いていた人に有ると言う事である。
一度,地域に入れば,重役も,平もない。おやじの会もそうである。みんな同じ立場なのである。先ず,その邪魔なプライドを捨てるところから始まる。

60歳の平均余命は22歳である。
60歳で産まれた子どもは,自分が死ぬときは成人しているのである。従ってこの20数年というのは団塊の世代にとって,非常に大事な時期であり,もう一花咲かせられる年数なのである。
************************つづく******************

子育て・家庭・学校 | 13:38:48
子どもの見守り
加古川でまた痛ましい事件が起きた。こう言う事件が起こると,必ず地域の見守り活動が起こる。しかしそれも時が経つに連れしなくなる。しかし大切なのは普段から,全く何もない状態でこう言う活動をしていかないといけないのである。でも何もないときは誰も何もしないのである。

多くの小学校がそうであるが,PTAが子どもの見守りをしましょうと呼びかけても,なかなか多くの保護者は動かない。しかしこう言う事件が起きると,保護者が子どもの登下校時に着きそう。
やろうと思えば出来るのである。それを何もないときに協力を求めると「仕事だから」とか「時間がない」とかで,協力をしないのである。
「自分の子どもは自分で守る」しかないのである。それが基本である。それを地域の人達は自分達に代わって,子どもの見守りをしてくれているのである。なのに,道であっても親が挨拶をしないしお礼も言わない。
これを当然だと思っているのである。
「水と安全はタダ」と言う日本は,もう無くなってしまったのである。
自分の住んでいる地域には,不審者は絶対に入れない,また入って来れらない地域作りをする事が大切である。

本日,池田市で団塊の世代を対象にしたフォーラムがあった。パネルディスカッションのコーディネータをやった。定年を迎え,余生をどう過ごすかと言う事である。60歳男性の平均余命は22年である。最初は好きなことをするが,精々3ヶ月である。それ以上は,やることが無くなり奥さんのお尻にくっついて買い物に出かけるのが関の山である。
ここではテーマと違うので,後日,別に書くとする。
兎に角,そう言う子ども達を見守ったり,教育したり,お年寄りのお世話をしたりすることが,これからの団塊の世代の人達の仕事だろう。

まだまだ世の中,訳の解らない人間が多くいる。その毒牙にかかるのは,幼い女の子である。
一刻も早く犯人が捕まることを臨む次第である。

子育て・家庭・学校 | 22:34:53
人生
9月より入院していた父親の容態が,この前の日曜日未明に急変した。元々肺疾患で入院していたが,そのウイルスが脳の方へ行ったみたいだ。右半身痙攣で,痙攣が起こるたびに苦痛で顔をしかめる。
痙攣止めの注射を打つが,暫くするとまた起こる。やっと呼吸も楽になり症状も安定してきた矢先だったので,信じられなかった。点滴と注射であるが,その薬のせいか寝ていることが多い。たまに目を開けても,私のことが解るのか解らないのか,解らない。
79年間生きてきて,人生の終焉を迎えるには,余りにも辛い状態だ。神や仏がいるのなら恨み節の一つも歌いたい気分だ。

考えてみれば,良くもまぁ,親不孝を重ねたものだ。父親として最悪の息子だったかも知れない。子どもの頃は体が弱く,いつも病院通い。大人になれば,弟は堅実に人生を生きているが,逆に私は自由に人生を生きてきた。勿論,知らぬ間に親と同様,多くの人に迷惑をかけていたかも知れない。何故なら,多くの人に助けられてきたから。
その恩返しで,多くの人のためになることをやって行きたいと思っている。

父親の姿は見ていられない。呼吸も荒く,さぞやしんどいだろうと思う。本人は眠っているので解らないだろうが,時折,空を掴むように左手を上げる。右手は,痙攣は収まったものの,手は握ったままになってしまった。これで意識が戻れば,本人にとって辛いこと,この上ないだろう。であれば,意識が戻らない方が良いとも思う。
昨日,担当医より,「この先,症状が悪化した場合,人工呼吸器を付けますか?」と聞かれた。私は自然死を選んだ。快復見込みの無い場合,延命治療は意識がないにしろ,本人にとっても辛いし見ている家族が一番辛い。当然,息子としては,どんな形であれ生きていて欲しいと願う。しかし父親の死を何時かは従容しなくてはいけない。その時期を何時にするかである。生有るもの,時が来れば自然死が一番良いと思う。
ただ苦しまないようにはして欲しい。
あとは毎日,時間の許す限り,病室へ行って上げたい。勿論,何も出来ない。ただ見守るだけである。それでも良いと思っている。

私もそろそろ死について考える年齢である。悔いのない人生を送れるように,毎日,真剣に生きなければならない。考えてみれば,いつも自分のことより人のことで熱くなっている。その事を放って置いても,自分には何も関わりがない。なのに熱くなってしまう。
人が不幸になるのは見ていられないし,こと,子ども達(我が子に限らず)のことになると守ってやろうと思う。また相談を受けると断れない性分である。
この性格は,恐らく死んでも治らないだろう。でもそれで良いと思っている。年も考えず他人のことで熱くなれる自分が好きだ。
しかし,その反面,もっと人生を堅実に生きて,父親が元気なときに,もっと目に見える形で親孝行をしとけば良かったと,やはり後悔している。
子どものためには生きられるが,(父)親のために生きると言うことは,考えもしなかった。墓石に布団は着せられないと言うがそうなんだなぁと思う。
本当に父親,私のような息子を持って幸せだったのだろうか・・・。


子育て・家庭・学校 | 11:10:54
地域と子ども
地域の中に天皇の杜古墳という公園がある。週に2回,監視員が交代で監視に回る。一人当たり年に4回くらいである。私の順番が来た。
で,本日,監視に回ってきた。
本来,ここでは野球等の球技はしてはいけない事になっているが,私は,子ども達が家の中から出て,外で自由に遊ぶ事は良いことだと思っているので黙認している。
今日も小学生が,野球をしていた。野球と言っても,庭球をを使って,狭い範囲でやっているのである。
巡回でその近くを通ったら,その小学生達から「こんにちは」と声をかけられた。これは画期的なことである。普通は,挨拶しても返事をしないのが子ども達である。では,何故挨拶をしてくれたのか。
彼らは私を知っていたからである。では,どこで?
それは小学校でだろう。恐らくおやじの会の活動で,私の顔を覚えていたに違いない。勿論,私は,全ての子ども達の顔は覚えていない。

今回,思ったことは,これが「地域の子どもは地域で育てる」なんだなぁと思った。大人が子どもに顔を覚えて貰えれば,子ども達はちゃんと挨拶をする。また何かあったら,声をかけてくるだろう。
既に我が子は中学生で小学校にはいないが,小学校子ども達にとっては,学校でよく見かけるオッチャンなんだ。これをもっと広げて,地域の大人の人達が年齢関係なく,常に学校に出入りしていれば,子ども達にとっては,みんな地域のおっちゃん,おばちゃんになるのである。
そう言う地域作りを早くしたいと思っている。
今回は,やっとその下地が出来たようで,とても嬉しかった。

子育て・家庭・学校 | 21:21:55
惜しい!
昨晩,ボクシングを見た。例の亀田三兄弟の次男の試合だ。亀田家の親関係は素晴らしい。が信頼仕合い,親関係で言うなら最高の親ではないだろうか。息がバッシングを受ければ,体を張って我がを守る親。なかなか出来ない。

これだけの親関係を作っているのに,実に惜しい。もう少し,親として我がの一般常識学を教えるべきだった。これは勉強が出来る出来ないと言う問題ではない。例え教養が無くても,言葉遣い一つで,周囲の見る目は変わる。逆に高学歴でも,言葉の使い方を知らなければ,自分の値打ちを下げてしまう。

昨日のボクシングは,惨憺たるものだった。ボクシングは喧嘩ではない。勝てばよいと言うものでもない。チャンピオンの内藤選手,ウイナースピーチも良かった。今まで亀田兄弟の勝ったときのスピーチは,聞くに堪えない。やはり,ああいう場では,言葉は丁寧語を使うべきだ。
教養が言葉に出ると言うが,それだけではない。やはり家庭環境の問題であろう。

若いので仕方がないと思うが,もっと謙虚さが必要だ。親も周囲の苦言に耳を傾けるべきだ。「亀田家は,このやり方なんじゃい!」と親が吐き捨てるから,どももそれで良いと思ってしまう。

本当に惜しい。この亀田家は親の絆が強いが,それだけに無頼家族となり,世間から浮いてしまうかも知れない。それが勿体ない。親として「勝てば何でも有りや」ではなく,その前に「ボクシングはスポーツでありフェアープレーで臨むべきである」と言う事を教えることが大切であろう。そうなれば実力とスポーツマン精神と,そして言葉遣いも変われば,これほど素晴らしい親,選手はいないと思う。

亀田にも,もう少し大人になって欲しい。今のスタイルを,今後も亀田家のボクシングスタイルとして続けるのならば,これは評価が半減するだろう。強いときは周囲は持ち上げるが,一旦落ちると誰も見向きもしない。一番しんどい時にファンから応援して貰えるようなスタイルを作る事が,親として我がを守る事なのである。しかしその時は同情でファンは応援してないのである。それを勘違いしてはならない。吠えるばかりでは野獣と一緒である。

自分のどもを大きくするには,先ず,親が大きくならないといけないだろう。
本当に惜しい親だ。これからの成長を期待する。

子育て・家庭・学校 | 09:32:31
薬の認可
「外国で認可されているなのに,どうして日本で認可されないの?」と言うことで,色々と患者と厚労省で揉めている。確かに有効であると認められたのなら,早急に認可すべきであろうと思う。
しかし外国で認可されたが,日本国内で認可されるまでに時間がかかるというのは,これまた仕方がないのである。

私は民間の第三者治験委員である。
には必ず副作用が伴う。患者はその面を見ないで効果の面だけを見ている。しかしそれは仕方のないことである。毒の弓矢が身体に刺さっている状態で,これから使うの効能や副作用をガタガタと言われても,本人にしてみれば,先ずは「毒矢を抜いてくれ」と言う事である。

国は臆病になっている。外国で認可されているをなんでもかんでも認可すると,副作用が出た時に責任追及されるのは国だからである。
最近,B・C型肝炎のインターフェロンの使用が認められたようだ。
しかし副作用はどうだろうか?
最近,治験委員会でも取り上げられただが,治験期間がアメリカと日本とでは期間が異なっている。
長く利用していると色々と副作用が出るが,その副作用の中に「うつ」になるという報告事例がアメリカの治験報告にあった。自殺者も出た。
普通,目に見える副作用,例えば湿疹だとか熱が出るなどの副作用なら,医師の判断で投薬を中止する事が出来る。しかし「うつ」は外から見て判断の付けようがない。また「うつ」になったから投薬を止めたとしても,他の副作用と違って,これは元には戻らない。
まぁ,残念ながらこの投薬が肝炎だったかどうかは忘れてしまった。

特効には必ず副作用があると言う事を念頭に置いて,患者の判断で投薬して貰うようにしなければ,今後も認可は遅くなるだろう。子どもに大人用のを飲ませても良いかどうかを時間をかけて治験をしていくのと同じで,体系も住環境も食事も違う国の認可されていると言っても,果たして日本人に合うのかどうかが,国は心配なだけである。だから同じを時間をかけて治験するのである。
しかし今や日本人も食生活や体型からして諸外国と変わらなくなって来た。なので問題はないと思うが・・・。

は諸刃の剣である。それを知った上で使う事が大切であり,自分が使いたいと思ったは自分の責任において使用する。そう言う事であれば,外国で認可されたでも,ドンドン日本で認可していても良いのではないだろうか。
私も治験委員会では,結構,使う立場になってクレームを付けてしまう。こう言うことをするから認可が遅れるのだろうが,でも現場にいては「まぁ,こんなもんで良いか」と言う気にはなれないのである。何も厚労省が意地悪で認可を遅らせているのではないと言うことである。

しかし遅れる理由が,もし国内の製会社の利益を守るためという理由なら許されない。米の自由化ではないが,外国で認可されたをドンドン認可すると,日本のは売れなくなる。その為に外国の認可に時間をかけ,その時間を利用して日本で同じを開発させるための時間稼ぎとしたら許せない。
まぁ,そんな事はないだろうが,日本ので効果が出ないと言うのなら,そして海外で実績があるなら,日本でも早期に認可して良いのではないだろうか。

子育て・家庭・学校 | 14:32:22
少年犯
「ビールを飲みたいから」「捕まりたくなかったから」と言う身勝手な考えで,19歳の少年が殺人を犯した。それも万引きではなく強盗である。この少年,普段から素行が悪かったらしい。常にナイフをちらつかせていたようだ。今は中学校が荒れているが,私が高校生の時は,中学校より高校が荒れていた。その時代に,とんでもないクラスメイトがいた。そう言う,とんでもないヤツは,将来,立派に更生し楽しい人生を歩むである。
東京の有名な大暴走族のヘッドだった男性はIT企業を起業した。ヤンキー先生や元やんちゃだった弁護士もいる。要するに硬派なワルが,その負のエネルギーを正のエネルギーに変えたときに,その人の人生は変わる。
なまじっか,人前でチャラチャラとナイフを見せたりして,硬派でもなく軟派でもない中途半端なワルが,とんでもない事をしでかすのである。
この19歳の少年も父親に連れられて出頭したとか。逃げるならトコトン逃げるか,自首するなら一人で自首するくらいの根性があれば,こんな殺人は犯していないだろう。
こう言う中途半端な人間が,箸にも棒にもかからないのである。

これからの世の中に役立つ人間が,クソの役にも立たない人間に殺されると言うことが無性に腹が立つ。この少年,更生は絶対に出来ないだろう。
「凶悪」犯罪者は,未成年であっても,全て顔を出すべきである。またその保護者も顔を氏名を公表すべきである。
未成年者の場合は,その子どもは親の監督下にある。その子の監督が出来ない罪は,親として背負って貰わないといけない。親子連座制である。それだけ親は子育てに責任を持てと言うことである。

今回の事件は「出来心」と言う範疇を超えている。万引きではなく,正に強盗である。で,この少年にも当然,弁護士が付くであろう。一体,どういう内容で弁護するのか楽しみである。計画を練っているので,心神喪失状態であったと言う言い訳は通用しないし,殺すつもりはなかったと言う事も認められない。

他人の人権を守れないヤツに,自分の人権を語る資格はない。その人権を認めさせようとする弁護士も,幾ら仕事とは言え辛いだろう。

日本の国は,どうして加害者が保護されるのだろう。被害者の気持ちは,全く斟酌されない。おかしな国だ。
原因を作った加害者が悪いに決まっている。
暴走族が暴走行為でパトカーに追いかけられ,事故を起こしたら追尾した警官が悪いとなる。どう考えてもおかしい。
私は刑罰を重くすると犯罪が減るとは思わない。しかし抑止力にはなる。それでも良いのである。現に飲酒運転は減っていると思う。駐車違反も減っている。なにか,刑罰で縛られるというのもイヤだが,そうしないといけない所まで来ているのだろう。
昔の日本は誰も鍵をかけずに外出が出来た。今はドアに最低2つは鍵を付けないと危ないと言われている。
大変な世の中になったものだ。

今回,命を落とした青年は,無念であっただろう。親としてもこれほど辛いことはない。どうして今の若者は,こうも簡単に人の命を奪うのだろうか。
最近思うに,子ども達の殺人や自殺が続く中,彼らの心の中に潜んでいる闇に,何とか光を当てることは出来ないものなのだろうか。

子育て・家庭・学校 | 16:35:49
死刑の是非
最近,体調が思わしくないのでブログも滞り気味だ。
私の好きな番組の一つに,毎週日曜日,午後からのテレビ番組で,MCがやしきたかじんと言う辛口シンガーの番組だ。タレント業が長いからタレントと思われるかも知れないが,私が中高生の時には,確かにシンガーだった。
この番組,著名な人達が出て,毎回,時事問題を含め議論をする。しかし一般的な品のある討論会ではないので,時には声を張り上げ,本音で言い合いをする。
だから好きである。

で,昨日のテーマは「死刑は是か非か」と言う内容だった。死刑廃止論者の菊田弁護士が,強者レギュラー人を相手に持論を主張する。
私はレギュラー人の考えに同調する。死刑は必要であると言うことである。
しかし一方で,廃止する議論にも賛成である。と言って,菊田弁護士の主張を支持するのではない。

裁判は,犯罪者更生を目的としている日本と,犯罪者には罰を与えると言う欧米の考え方では,結果が違う。
まだまだ貧しく発展途上にあった時代の日本であれば「止むに止まれぬ気持ちで」とか「つい出来心で」と言うことが通用し,日本式の裁判で良かった。
しかし現在のように人を殺すのを何とも思わないでやってしまうと言う人間が多くなってきた時代に「更生を目的として」と言う裁きが本当に良いのだろうか?
例えばムカツク相手がいて殺してしまった。しかし反省もして初犯だと言う事で,絶対に死刑にはならない。15年から20年くらいで社会へ出てくる。模範囚ともなれば,もっと早く社会に出てくるだろう。
これってやったもん勝ち?やったもんが得をする?
まぁ,これは私も背景を全く書いてないので一概にどうのこうとは言えないが,被害者の立場に立つと,たまったもんではないだろう。

先日,19歳の少年が,万引きをして見つかって,店員を刺殺した。この少年,決して死刑にはならない。しかし被害者の親としては,この少年を殺したい気持ちになる。
裁判は,復讐の場ではないと言うが,被害者にとっては,復讐の場にして欲しいものだ。

で,話は戻るが,過去に池田小に乱入して小学生を殺傷した男が死刑になった。それも短期間で死刑になった。私は死刑には賛成だが,こんなに早くするべきでないと思った。この男は死刑を望んでいたのである。司法はその望みを叶えて,短期間で死刑をした。と言うことは,この男は一つも精神的苦痛を感じていないのである。

これは納得が行かなかった。死刑判決を出してから,執行するまでにもっと時間を与え,死の恐怖を味合わせるべきだった。それでないと刑罰を与える意味がない。私が被害者の父親なら,毎日,手の指を1本ずつ切り落として行くなど,拷問をして最終的に死刑にしてやりたい。
こう書くと「お前はサディストか?」と言われそうだが,至って私はノーマル人間である。
実際には,こう言うことは出来ないが,基本的に大罪を犯す人間,即ち,「他人の人権を守れない人間には,自分の人権はない」と言うのが私の持論である。
弁護士は,とかく犯罪者の人権を言うがとんでもない話である。

で私としては,一生涯出さない禁固刑を採用するというのなら,死刑は廃止しても良いと思っている。冷暖房無しの独房で,一生過ごすのである。模範囚になっても,待遇を少し良くするだけで,絶対に社会へ出さない。
また未成年であっても,顔と名前は出す。そして監督不行き届きで,同罪として保護者の名前も公表する。子育てはそれだけ親が責任を持ってするべきなのである。
こうまでしても,日本の凶悪犯罪は無くならないだろう。
しかし少しは抑止効果が出るのではないだろうか。

子育て・家庭・学校 | 13:49:27
おやじサミット
最近,1日の寒暖の差が大きく,年のせいか体調を崩し気味だ。久しぶりの風邪かな。
一昨日久しぶりに右京のおやじの会のメンバー4人と飲んだ。先に会合があったので,午後9時過ぎからの参加となったが,地域を超えての付き合いというのは本当に良いものだ。
話は当然子どものだが,楽しく日頃のガス抜きが出来ように思う。

先週は,来年,全国おやじサミットの開催地である広島へ行ってきた。来月は鳥取と福岡でおやじサミットがあるので,参加する予定である。
全国おやじサミットが年に1回あるが,それ以外に,各県でおやじサミットが開催されている。残念なが京都はまだやっていないので,個人的にやる予定である
会館を借りずに,小学を使って金をかけずに行う。
そこへ香川や鳥取,福岡などのおやじの会を呼ぶ地味なサミットだが,これが本当の手作りのおやじサミットだ。
平成13年に小学校で作ったおやじの会をきっかけに,全国の多くのおやじ達と知り合いになり,仲間になった。これはやはり一つの大きな財産と言えるだろう。

実は先週,全国おやじサミットの実行委員会のあとの懇親会で,話の流れ上,京都サミットをやると言わざを得なくなり,宣言してきてしまった。なので,少し考えようと思っている。方法は福岡方式でやる予定である。

しかし先にやることは,この風邪を治すことだ。

子育て・家庭・学校 | 08:54:35
居場所作り
土曜日,日曜日と広島に行って来た。来年の全国おやじサミットの開催地である。地元の実行委員会の打ち合わせに参加した。色々な意見が出ていた。時には,声を張り上げてやり合う場面もあったが,みんな熱いおやじ,熱いおかみである。
地元の福祉会館で行ったが,そのあと懇会を行った。持ち寄りのつまみと缶ビール,焼酎である。それで充分である。

その懇会の席で感動したことがあった。
おやじサミットで,故野村氏の夜回りで救われた,10代の元ヤンチャ坊主が2人いた。2人ともシャイで恥ずかしそうに話をする。これが元ヤンチャ坊主?と思うほどである。今度のサミットの時に野村氏に対する思いを語ってくれるらしい。時間が短いので,もっと長くしてみればと伝えておいた。
暫くして私はトイレに立った。
そのトイレに入ろうとした時に,元ヤンチャ坊主の一人が出てきた。軽く挨拶をして入れ替わり,用を済まして出てきたら,なんと私の履いてきたスリッパがちゃんと揃えておいてあった。この細やかな気遣いに感動を覚えた。
一時は,世の中を斜めから見ていた青年である。野村おやじにも突っかかっていたと思う。その子ども達が,誰に言われるともなく,こう言う気遣いが出来るようになったのである。普通の子どもでもここまで出来る子は少ない。

こう言うヤンチャ坊主は,元々は「良い子」なのである。人一倍繊細であるが故に,環境にあがないきれず,現実から目を背け,世界へと入って行くのである。こう言う子ども達を世界へ入る前に阻止できればそれに越したことはないが,世界に入っても引き戻すことは充分に出来るのである。
そう言う世界に入ってしまった子どもに,輪をかけるようにしてレッテルを貼ってしまう。そうなれば,もう本人の力では抜け出せないのである。そこへ手を差し伸べてやると,やがて心を開き,太陽の下の世界へ戻れるのである。

に世に追いやったのは,であり大人である。誰も好きこのんで,夜の世界,心の世界へ入って行く子ども達はいない。だったらそう言う世界へ追いやった大人達の手で引っ張り出さなくてはいけない。明るい世界で,彼らの居場所を作って上げなければいけないのである。それが我々大人仕事ではないだろうか。

子育て・家庭・学校 | 15:00:43