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■プロフィール

オッチャン先生:山下重喜

Author:オッチャン先生:山下重喜
小学校でのPTAの役員を機に現在に至るまで地域の子ども達の育成に関わっている。また「おやじの会」を発足し「地域の子どもは地域で育てる」活動をしている。平成18年に発足した「日本おやじの会連絡会」で全国のおやじの会の情報交換の場としてホームページを開設,全国おやじサミットの支援やネットワーク作りをしている。
現在は毎日小学生新聞の親と子の悩み相談コーナー「悩みなんか吹き飛ばせ!」で「オッチャン先生」の名で回答中。

元松陽小学校PTA会長(H13・H16)
元樫原中学校PTA会長(H17・H19)
松陽オヤジの会初代会長
日本「おやじの会」連絡会事務局長
京都市PTA連絡協議会IT委員会委員
松陽学区社会福祉協議会会長
西京区社会福祉協議会評議員
史跡 天皇の杜古墳保存会副会長
桂病院治験委員会委員
社会福祉法人京都社会事業団第三者機関委員
1953年生,京都市在住,高校1年生
の息子1人との父子家庭

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雑談
昨日,冬物のスーツを買いに行った。我が家の猫が,私が帰るなりズボンとスーツを伝って肩まで上ってきた。まぁ,嬉しいのは解るがスーツは,爪で引っかかれて糸が出て着られなくなった。
私の体系は身長177センチ,体重75キロ,ウエスト85センチと,メタボの限界体系である。しかし昔から太っていたわけではない。40台前半までは,体重58キロから60キロ,ウエスト72〜78センチをキープしていた。
ところが40代後半になって急に太りだした。その時は,太ることが念願だったが,今は違う。当時はなかなか太れなく困っていたが,今はなかなか痩せられなくて困っている。

スーツ専門店に行って,ウエストを計って貰った。
「大体85センチですから」と言ったが,店員は信じない。
「一応,計らせて戴きます」と言う事で,計って貰った。結果,88センチである。とうとうメタボ限界数値を超えた。
病院の先生から「これ以上太ったらアカンで」と言われていたのに。トホホ・・・である。

で,もう諦めた事がある。
いつかは昔の体系に戻った時に,また着なければいけないと,痩せているときのスーツをとっていたが,もう無理だと諦めて全部捨てた。

運動不足で脂肪肝の為,肝臓とコレステロール,中性脂肪のトリプル高数値。
「運動しなさい」の一言を言われたが,出来るものならしてみたい。
我が家の猫は,よく食べるし良く寝るが,しっかりと運動をしているので良い体系をしている。

子どもが成人するまでは生きていないといけないので,今年こそは痩せることにする。飲んだ後のラーメンはやめよう。
なるべく夜遅くの食事もやめよう。
先ずは食事療法からだ。今まで真剣に痩せようとは思わなかったが,昔の体系から見る影もない。これではイカン。

と宣言をすると頑張れるかも・・・。
あ〜,楽して痩せる方法はないものだろうか。

子育て・家庭・学校 | 17:02:35
クレーマーとモラル
面白いテレビが,昨日放映されていた。
俗に言う「クレーマー」を集めたバラエティー番組だ。当然,モンスターペーレンツも出てきた。
しかし一様に思うのは,クレーマーと言いモンスターペアレンツと言い,本を正せば「モラル低下」と言う事になるのではないだろうか。

アメリカでハンバーガーショップのコーヒーを飲んだとき,熱くて火傷したとして裁判を起こした原告が,億単位の賠償金をせしめている。日本なら,こんなことで裁判を起こす人はいないだろう。当然,自分の不注意である。
しかしこれで裁判に勝てると言う国も国だ。今では,アメリカの製品の全てに常識では考えられない注意書きが腐るほど書いてある。これを書くことによって企業の身を守るのだろう。
日本でも子ども用の市販の風邪薬に「薬を飲んで車を運転しないように」と言う注意書きが書いてある。これまた不思議である。

トイレ掃除をすると物事の判断がまともになる」と「京都掃除に学ぶ会」の人が言われていた。「たかがトイレ掃除で何でやねん?」と言われるかも知れないが,これはやったものでないと理解できない。
イエローハットの鍵山健三郎氏(当時は社長)が初められた「日本を美しくする会」は日本全国に広がり,海外でも出来ている。京都は「掃除に学ぶ会」であり,また前教育長の門川氏が中心となって,京都市教育委員会の有志や,教職員,PTAを巻き込んだ「便きょう会」なるものがある。毎月1回〜2回,市内の小・中学校のトイレ掃除や,神社仏閣,公園などのトイレ掃除を,朝7時から行っている。面白いのは,全員500円を払って参加しているのである。この便きょう会の発足式に,私もその場にいた。その後,2回くらいしか参加してないが,これまた終わった後の気持ちは,どう表現して良いか解らない。「やったものしか解らない」と言う事しか言えないのである。

広島で検挙した暴走族を集めて,広島県警がトイレ掃除をさせた。その結果,全ての暴走族のメンバーが改心して,一時,広島県から暴走族が無くなった話と,とても荒れた高校でその当時の女性校長が,ヤンチャ坊主を集めてトイレ掃除を始めた結果,とても穏やかな良い学校になったと言う話は有名である。

こう言う話を聞くと,トイレ掃除をすると「まともな判断が出来る心が生まれる」と言うのは,説得力がある。
兎に角,今の人間は自分勝手である。注意されると暴力を振るう。注意されるのがイヤなら,最初からしなければ良いのである。
電車内でもどこでも「ダメだ」と言うことはダメなのである。そこに理屈はない。無条件にやってはいけないのである。
昔,私がまだ40代前半の頃,駐輪禁止の場所に自転車を止めた若者がいた。体格は私よりも一回り大きい。その若者がそこに自転車を止めたところ,隣の自転車に当たって自転車がドミノ倒しになり,そのまま行ってしまおうとしたので,ブチッと切れた。
元々自転車を止めてはいけない場所である。それだけでも頭に来るが,そう言う行動をとられると許せない。
「こら,待たんかい!」と言って呼び止めて怒鳴りつけた。
「オレが倒したんとちゃうやんけ!勝手に倒れたんじゃ!」と食ってかかってくるので,こっちも喧嘩ごしだ。
元々自転車が並んでいるので歩きにくい場所だ。それだけで頭に来ていた私である。
これ幸いと,怒鳴りつけていた。
「人がやっていたら,お前もやるんか! 人が殺人をしたらお前も殺人するんか!」とまぁ,子どもの喧嘩である。
しかし最後は,この若者,ブツブツ言いながら自転車を起こしていたので,私も手伝って起こした。
ありゃ,まともに殴り合いしたら,負けていたかも・・・。体格は向こうの方が明らかに上だ。しかし彼には負い目があった。「やってはいけないことをした」と言う気持ちがあるので,最後はブツブツ言いながらも,素直に従ったのだ。

ゴミ出しも決められた日に出さない。兎に角,モラル低下が,クレーマーを産む。自分のことしか考えないから,文句が出るのだ。
「子どもが,給食がマズイというので,うちの子だけ特別メニューにしてくれません?」と平気で言う小学校の母親。「義務教育だから給食費はタダにしろ」・・・ちゃうやろ。
給食は原材料費だけ保護者が負担するのである。それ以外の経費は市が払っている。それは義務教育だからである。自分の食べる分くらいは払えと言いたい。だったら弁当を持たせろ。そうすれば給食費が如何に安いかが解る。

今は正に「モラルハザード」時代である。先ずは他人はどう思うだろうと言うことを考えて行動すべきであり,自分の利益よりも他人の利益を考えて生活をするようになれば,もっと住み良い日本が出来るだろう。そうすれば三丁目の夕日のような社会になるのである。この映画がヒットするのは,日本人のDNAの中に,こう言う世界を欲している何かが擦りこまれているに違いないと思う。
かく言う自分も,いつクレーマーになるか解らない。クレームを付けても,筋の通るクレームが付けられるように気を付けたいと思う。


子育て・家庭・学校 | 00:46:40
親の自己満足の愛情
女優の三田佳子さんの長男が,薬物所持及び使用で逮捕された。3度目である。とんでもない悪い子どもであり,どら息子である。が可哀想・・・と世間の人は見るだろう。しかしこれは明らかに家庭教育の失敗であることは言うまでもない。
一言で言えば「甘やかしすぎ」と言う事になるが,これは甘やかしていたのではなく「放任」だった。
が仕事で忙しいから子どもに構ってやれない」と言う負い目から,子どもに大金を与え,好き勝手させたのである。
しかし子どもにとっては金なんて要らないのである。必要なのは「愛情」だ。子どもは必至にの愛情を求めているのに,はそれに気が付かない。でもとしては,自分ではしっかりと子育てしていると思っている。ここに大きなギャップが生まれる。

子どもが夜の世界へ足を向けたり,薬物・非行に走るのは,自分の心の置き場所を求めているからだ。普通は,それは家庭の中にある。それが家庭の中にないから,外へ求める。そして自分と同じ境遇の子ども達とツルむのである。そしての悪口を言ったり,そこでストレスを発散させる。

私がいつも言う家庭教育とは,全く難しくない。先ず温かい家庭作りからである。これがあれば,改めて教育する必要はない。躾も自然としっかり出来ているのである。子どもはお金を求めているのではない。に自分の方を向いて貰いたいだけなのである。
その手段として,悪事を働いたり金をせびったり,家庭内暴力へと発展するのである。

幼稚園や小学生の子どもを持つ保護者に会うと「あなたは1日,何時間くらい子どもと話をしてますか?」と良く聞く。
中学生は,話しかけてもなかなか相手にしてくれないだろうが,しかし小さいときからコミュニケーションが取れていると,中学生になっても良く話をする。やはり基本は「幼・小期」の子の触れ合いである。
子どもが話しかけてきたときに「今,忙しいから後にしてなんて言ってませんか?」って聞く。これが子どもにとってはショックなのだ。たまには良いが,いつもいつもこうだと,子どもも次第にから離れていく。
その不自然な態度を見て「いつもあんなに話をしてきたのにどうしたんだろう?」ととしては不思議に思うのである。実はの自分がそうさせたのに気が付かない。

例え忙しくても「もう終わるし,ちょっと待って」と言って自分の側に座らせておくか,「リビングで待って」と言って用事をするのである。そうすれば子どもは「この用事が済めば自分と話をしてくれる」と思い何の不安もなく待つのである。これは一応,子どもの存在を認めているからである。ところが「今忙しいから後にして」と言われたら「いつまで待つの?」「いつもそう言うやん」となり,子どもとしては不安なのだ。またこれを続けるとから愛情も受け取りにくくなってくる。そしての気を引こうと叱られるのを覚悟で「悪さ」をするのである。

「私は子どもに愛情をかけて教育しているから大丈夫」と言う自己満足が,後々悲劇を生むのである。それよりもいつも「私はとして子どもに愛情をかけているだろうか?子どもが寂しい思いをしていないだろうか?」と言うことを時には考えながら日常を過ごすことも大切ではないだろうか。しかしその事で神経質になりすぎて,自分が落ち込むのは宜しくない。一番良いのは,同士のネットワークを作って,お茶したりして話をすることだ。「100冊の育児書よりも1時間の井戸端会議」を,私は永年,提唱している。共働きなら,職場で人生の先輩達に聞けばいいし,そう言う環境は幾らでもあるはずである。
子育てはしんどいが,楽しくやりたいものだ。

子育て・家庭・学校 | 11:08:25
地域の中のPTAと選挙
今日,3学区合同の地域ケア会議があった。出席者は民生協議会,社会福祉協議会,老人福祉員のメンバーだ。一応に思ったのが,高齢化社会の団体だと言う事だ。老老介護のようである。お年寄りがお年寄りの面倒を見ている。皆さん,60歳以上である。

どうして地域の,まして福祉の団体は,若返りが出来ないのだろう。まぁ,地域によっては「ドン」がいて,敢えて若い人を採用せず,地域の,所謂(いわゆる)「地の人」達で構成すると言う所もあるが,そう言うところは別として,やはり気になるところである。

そこで思うのだが,どうしてPTAを使わないのだろう。1年でPTA役員は終わる。そのあと,折角,PTA役員をやって,地域の各種団体の人達とも顔見知りになったのだから,これは流れとして地域のどれかの団体に入って,活動すべきである。

ただ,義理か厄介でPTA役員を受けた人もいる。そう言う人達は「やっと1年が終わった」と思って苦痛のみが残り,何もしなくなると言うケースもある。これは本人にとってもマイナスである。どうせ役をするなら,楽しくしないと「損」である。その為には受動ではなく能動的に動く方が楽しい。
しかしそれをすると,変に目立って,私のようにPTA会長が終わった途端に,自治連合会の副会長や,社会福祉協議会の会長にさせられてしまうこともある。なので痛し痒しであるが,やはりやるからには楽しくやりたいと思う。

京都市には,PTAのOBを中心とした会がある。その会合に出て見ると,まぁ,次からは出たくなくなる。これは個人的な意見なので,勿論,その会が好きだと言う人もいる。
私が感じるのは,昔の栄光をそこで懐かしんでいるような気がする。これだけ集まっていれば,この人数だけ地域で何かをやっていれば,もっと地域は変わるだろう。それをやっていないのは「人望に欠けるのでお声がかからない」のか,敢えてしないと言うのかは解らないがどうなんだろう。

しかし全体的に見て,地域からお声がかからない人の方が多いような気もする。それより逆に地域から総スカンを食らっている人もいるが,そう言う人は論外である。
おやじの会のモットーは「我が子の父親から地域のおやじへ」である。PTAが終わったら地域の活動に入るのが筋である。中には自治会にも入っていない人もいる。これでは何のためにPTA役員をしているのか疑問を抱く。しかし割り切って「学校のため,子どものため」と言う事で自治会には入らず,PTA役員だけをしているのかも知れないが・・・。

今,PTAの有志が或る市長候補を応援している。前市長の応援団体が,そのまま次期市長候補の支援に回る。これはこれで良いと思う。その後,加えてPTAの有志で応援団を作っている。それも幾つかある。
まぁ,分裂していても,一人の候補者を応援するのは結果的には同じだが,訳が解らない。それにPTA保護者)が固いだと思っている。大体,PTAでも選挙に行かない保護者はワンサカいる。そう言う保護者を,候補の集会に連れてきたところで,余程の人間関係がない限り投には行ってくれない。そう言う意味で,あまりPTAは望めない。(投をお願いした一般の保護者が,その友人に投を依頼すると言う事は殆ど望めない)
しかし地域の人は違う。そこにPTAが焦点を合わせないとしんどい結果になる。でも普段から地域との関わりのないPTAが急に地域の人達にお願いしても誰も動かないのである。

候補者の囲む会をしても,来る人間は同じである。西京でやっても,右京のメンバーが応援に来る。それで大丈夫だと自己満足をするのは,候補者ではなく主催者のPTAである。

選挙なんて,そんなに甘いものではない。私は過去,学生時代を含め,選挙の経験は何回かある。組織選挙は凄いものだ。無節操だと顰蹙を買うかも知れないが,学生時代,組織選挙に興味があったので,選挙時期をずらして党派の違う二つの組織選挙を経験した。二つとも大同小異だが,その活動は大したものだった。そう言うことから見ると,今回の選挙は面白い。
率によっては,ひょっとして今までの京都に流れが変わるかも知れない。そう言う危機感を持ってPTAは支援をしているのだろうかと疑問に思う。

やはりPTAを固めるのは,その保護者と余程の人間関係を持っているか,または「地域の人」しかないのである(これが大きい)。それを理解して活動しない限り,PTAの有志が推している市長候補者にとっては,相当厳しい選挙になるだろう。

子育て・家庭・学校 | 18:53:06
教師をダメにするものは・・・?
常々,学校先生をダメにするのは保護者だと良く言われるし,一理あると思う。私も良くそう言う。
しかし本当にそれだけなのだろうかと,最近,良く思う。
保護者よりももっと悪いのは「マスコミ」ではないかと・・・。モンスターペアレンツとマスコミが組めば最悪のシナリオが出来るだろう。

とかくマスコミは「公」を取り上げて話題にする。例えば,一般人が飲酒運転をして事故を起こしても「○○会社××部署の某が・・・」と言うような記事は出ない。ところが,これが役所の人間なら「○○市××区の某が酒気帯び運転でガードレールに激突・・・」と書かれる。たとえ激突しなくてかすっただけでも,そう書かれる。

学校で体罰問題が起きたら,その内容,プロセス如何に関わらず「○○小学校で体罰。担任の教師,反省の色なし」なんて書かれる。もし自分の信念で,この子どもを何とかしなくてはと思って(この子のためを思って)平手打ちを喰らわしたとしたら,反省なんてするはずはない。それはそれでOKである。

マスコミが,「人権」だ「自由」だと騒ぎ立てているのである。先生は教育委員会なんて怖くはない。マスコミが怖いのである。教育に関しては,とても小さな事件でも針小棒大に報道する。また公務員や教師というのは,とても面白いネタなのである。教師だって人間である。失敗もする。普段から教師は未熟だと言いながら,事件を起こすと「教師のくせに」となる。これでは教師もたまったものではない。

実力のある教師が,心ないマスコミ報道によって潰されると言うことは,本当に許せない。またモンスターペアレンツに乗せられて記事を書く記者もバカだ。確かに新聞は売れなくては困る。そう言う意味では,タブロイド紙と余り変わらない。記事は面白いに超したことはない。その方が売れるから。
まぁ,一流と言われる新聞でもその程度である。自分達の都合の悪いことは書かない。
私は新聞マスコミには恨みも何もない。ただ意見として新聞社に送ったメールに対し,当たり障りのない内容なら,直ぐに「貴重なご意見,有り難うございました」と返事が来るが,ちょっと記事内容のおかしい箇所を指摘すると,返事は絶対に来ない。この程度である。

「ペンは剣よりも強し」と言うが,そのペンによって潰された,「普通」の人達は結構いるのではないだろうか。亀田親子が,朝日放送に対し,挑戦的な態度を取った途端,徹底的にやられた。それもシツコクやられた。私も亀田親子は好きにはなれないが,「そこまでまだやるか?」と言う気持ちになったくらい,シツコイ報道だった。改めてマスコミは怖いと思った。

マスコミは,新聞社を含め,自分達の声は大きいし影響力は多大だと言う事を,常々考えてニュース報道をして欲しい。これからは「こんなに良い学校なのに,こう言うことを言うモンスターペアレンツがいる」と言うような報道になって欲しいと思う。それが教師を育てることであり,子ども達を健全育成する事にもなる。兎に角,学校のことに対しては,余り騒ぎ立てて欲しくないと思う。

子育て・家庭・学校 | 16:22:12
親が変われば子どもも変わる
よく「大人が変われば子どもも変わる」と言われている。
しかし家庭と言う,社会集団の中の一番小さな集合社会では「が変われば子どもも変わる」と言う事である。
昨日の続きである。

このお母さんも,やはりどこでもあるようにカウンセリングを受けられた。
その答えは「お子さんは今,力を溜めているのです。ゆったりとした空気の中で休ませて上げましょう」と言うものだった。私から言えば「模範解答」である。その為にお母さんは子どもの充電の為,ひたすらに居心地の良い家庭作りに努めた。
しかし今まで少しは行っていた学校も,とうとう全く行かなくなり,子喧嘩,兄弟喧嘩,夫婦喧嘩と酷くなる一方だった。テレビ三昧,ゲーム三昧の毎日である。

ところが或る時,その子がペットとして飼っているウズラの雛に,何やら語りかけている姿を見てハッとしたそうだ。
「この子は友達の中に戻りたいんだ。」しかし戻りたいのに戻れない。きっと自分よりもこの子の方が苦しんでいるんだと感じたそうだ。

要するに家庭に「柱」の無い恐怖を知り父親の存在に気が付いたと言う事である。「何でも母の思い通り,自分の思い通りになる中で育った息子は,年齢相応な社会の中での生き方を,友達との付き合い方を学べなかった」と言う事に気が付いたのである。

それから父親に「お父さんの言った通りだった。ごめんなさい。あの子を助けて」とお願いしたのである。
父親も立派である。
その子をこの夫婦の前にきちんと座らせ「いいか,明日からやるべき事は,きちんとやれ。今のような生活は二度と許さん。それが出来ないのなら即刻,この家から出て行け」との信念を伝えた。その時も,このお母さんは,ご主人の横にいて子どもの味方にならなかったそうだ。
で,反抗するかと思いきやホッとした表情で涙を流し,翌日から学校へ行ったそうだ。今では中学生で元気に仲間とクラブで汗をかいているそうだ。

最後に「私は精一杯,子どもを育てて来ました。が,一つ大きな勘違いをしていました。私は子どもを幸せにしてやろうと,主人をほっといてでも,せっせと世話を焼き,困らないようにと道を整えてやりました。それは完全に何不自由ない,お子様を作り,一家の柱である主人と子どもの立場は逆転してました。結果,私が良かれと思ってしていたことは,子ども自らが幸せを掴み取るための力を奪い取ることだったのです。子どもの幸せは子ども自身が掴むしかないのです。として出来るのは,掴める力を付けてやる子育てだった」と気が付いたと言う言葉で閉められている。
それ以来,必要以上に子どもには目を向けないようにしているそうだ。またご主人に対しても素直に感謝が出来るようになったとか。

この記事を読んで感じたことは,こう言う家庭はきっと少なからずあると思うのだ。しかし誰もそれに気が付かないのである。とかく頭の良い子どもは,誰も気にかけない。もそうである。
「頭は良いし,素直だし,本当に良い子どもだ」と言う子どもには,は安心して,知らず知らずのうちに我が子に愛情をかけなくなって行くのである。いや,かけているのだろうが,本人にとっては,かけられている実感がないのだ。何故ならが安心して「自分(子ども)の方へ目が行かないから」である。ヤンチャ坊主なら,何をしでかすか解らないので,いつも目を光らせているが,そうでない子どもには目が行かない。

私は,本当に勉強が出来る子ども,良い子どもこそ,しっかりと目をかけて上げなければいけないと思う。でないと,子どもは勉強して良い点を取ることが唯一,の目を自分に向ける事が出来ると勘違いしてしまうからである。
「華麗なる一族」の鉄平のように,父親に愛されたいばかりに一生懸命にやったが,結果,それでもダメだったら死ぬ以外にないのである。

勉強が出来る子どもは,勉強が出来なくなった自分が,からどんな冷たい仕打ちをされるか解らないと,恐怖を持ちながら毎日を送っているかも知れない。それでは余りにも可哀想だ。

家庭においては,としての威厳を持ち,子どもに対して言うべき事ははっきりと言いきれるになることだ。それがスパルタ教育だって構わない。子どもに対しての体罰の後は,それ以上に愛情をかける行為をすることだ。それが出来るか出来ないかが「虐待と愛のムチ」の分かれ目になる。
として,間違った愛情のかけ方は注意すべきだろう。それには常に井戸端会議を持って,「孤(独)育て」にならないように子育てすべきだろう。

子育て・家庭・学校 | 14:27:52
子どもの問題に親は変われるのか
過日,NPO法人家庭教育再生機構(長田百合子代表)の役員の方と話す機会があった。初めてお会いしたとは言え,共通の話題,認識が多くあり時間の経つのも忘れて話していた。その中で,この方の体験談が書かれた新聞のコピーを戴いた。それを一部引用しながら書いてみたい。

この方は優等生の息子が一夜にして不登校になると言う現実に直面された。今の社会,子ども不登校引きこもりはどの家庭でも起こりうるのである。明日は我が身のように他人事ではないのである。
この方は男の子2人のお母さんである。この子ども2人とも俗に言う「優等生」である。長男はオール5と言う成績に「自分の子育ては間違っていなかった」と有頂天(本人曰く)になったそうだ。そして弟の方も見栄えの良い中学生に育て上げようと,思いは膨らんでいき,勝ち誇った気持ちで幸せな毎日を過ごしていたそうだ。

ところが児童会長を務め終えた弟君が,急に不登校になったのである。幸せ一家を演じ続けてきた彼女にとって,こんなに格好の悪いことはないと悩み焦っていたようである。
学校へ行かせるために布団から引きずり出したり取っ組み合いの喧嘩をしたり,脅してみたりお願いしてみたりと苦労されたようである。
そんな中,子どもの要求はエスカレートし「ゲームを買ってくれたら学校へ行く」と言うので,それにお金を使い,終いには旅行まで要求してくる始末。

そんな中,ご主人が買ってきてくれた本に「問題を持った子どもは,柱のない家庭で序列を学ぶことなく,お子様状態で育ち,母の過保護・過管理・過干渉で成長が遅れ,年齢相応の社会に順応出来なくなっている」と書いてあったそうだ。

正にその通りだろう。
が我が子に気を使い,硝子細工にでも触るように接する。子どもはそんなを見て,無意識の内に「なんてチョロイもんや」と思ってしまう。
ペットと人間の子どもを一緒にして申し訳ないが,犬でも家の中で好き放題したり,飼い主に時には食ってかかるような行動をするのは,飼い主よりも自分の方が上だと思っているからである。余りにも可愛がりすぎるのである。犬は家庭内で誰が一番強くて誰が一番弱いかを本能的に察知する。そこで自分なりに序列を作るのである。父は怖いから言う事を聞く。しかし子どもは自分よりも弱いから適当にやっちゃえ,と言う事で,子どもの言う事は聞かなくなる。
それと同じ事だと思う。

の期待通りに生きなければ・・・と無意識の内に擦りこまれ,勉強,勉強を重ねる子ども達,しかもその重圧が自分の身体にのし掛かっているのに気が付かないでいる子ども達。どんな柔軟な鋼(はがね)でも,許容範囲を超えれば折れる。その折れるまで子どもも気が付かない。

この大変苦労をされたお母さんは,最終的には,見事,この不登校引きこもり子どもを立ち直らせ,いつも生活が戻ったのだが,長くなるのでこの感動の続きは明日に。

子育て・家庭・学校 | 15:10:25
教育権
Sankei webの記事で,公教育の実体について少し書いてあった。それを読んで感じたことである。
日本の公的な考えでおかしいと思うことが多々ある。その一つで,例えば被害者より加害者を保護すると言う裁判制度。これが公教育の現場に通じていると感じることがある。

授業崩壊,クラス崩壊寸前のところでも,教師はその主たる原因となる子ども達を叱らない。昔は「外に立っとれ!」と言って,水の入ったバケツを両手に持たされ,外へ出されたものだ。また授業中にも立たされたりする。
今,この光景は映画の中だけだ。

では,どうしてそう言うことをしないのか。一つは「体だ」と言われるからである。こんなものは体でも何でもない。当たり前のである。
で,もう一つ,良く教師側から言われるのが「そう言うことをすると(授業を妨害している児童の)教育権を奪うことになる。だから僕は叱りたくない」と言い,たまに注意するときも「本当はこんなことをしたくないけど」と釈明するのだと言う。

全くアホである。
じゃぁ,その授業を妨害する子ども以外の29人(少人数クラス制の場合)の教育権は,誰が保証するのだ。
正に前述の如く,被害者よりも加害者を保護している今の裁判制度そのものの考え方だ。
昨日も書いたが,子どもは或る意味「服従」をさせねばならないのである。子ども達を「生徒」にしないといけないのである。

こう言う考え方をしている教師が,まだまだいる。しかしその考え方は良いと思う。その通りやって,クラスも穏やかで,子ども達もスクスク育ち,学力も上がっているというのであれば・・・。
しかし今の子ども達は,そんな甘いことで先生の言うことを聞くわけがない。

何をやっても叱られないのなら,好き放題をするのである。家庭内においてもそうだ。何をしても親が叱らなければ,子どもは好き勝手をする。その最たるモノが引きこもり,家庭内暴力でである。(ここで言う引きこもりは,生まれつきの精神的な障害者で引きこもっている人のことではない)

子どもを叱っても,絶対に萎縮はしない。それがトラウマになったり将来的にダメになったりはしない。子どもの頭の中はそう言うように出来ている。実際に,うちの子どもでも,小さいときに叱られたり,怒鳴られたり,お尻を叩かれた事などは記憶に残っていない。
今では,世間,どこにでもいるクソ生意気な中学生である。しかしクソ生意気でも,小さいときにしっかりと「ダメなことはダメ」と教えているから,物事の善悪の分別は付いている。小さいときには頭に教えるよりも,身体に擦りこまさなくてはいけない。(勿論,限度はあるが。そこは親としての良識の範囲である)

教育権は,子ども達に等しく与えられている。その権利を放棄しているのが,授業中に騒ぐ子ども達である。そう言う子ども達の教育権を奪う云々と言う考えは必要はないのである。自らその権利を放棄している子どもの,何の権利を守ろうとしているのか。(しかしそう言う子どもを排除せよとは,私は言っていない)

子どもを立たせて,それでその親が文句を言ってきたら,それはお門違いである。「お前の家庭の教育が悪いんやろ。だったらお前,毎日学校へ来て,我が子がじっとしているように見張っとれ」くらい言っても良いのである。
小さいときから,僅か45分,じっとしていられないような子育てをした親が悪い。

色々な子どもを見ているが,小さいときに母親から本の読み聞かせをされていた子どもは,情緒も安定していて,1時間くらいはじっとしていられる。また手前味噌な事を言うが,我が子は小さいときから膝の上に座らせてクラッシックを聞かせていたので,今でもたまに一緒にコンサートへ行くが,2時間くらいは軽くじっとして聞いている。勿論,寝てはいない。私も寝ないから。

そう言う事を自然にやればいいのである。これは躾でも何でもない。日常生活の中での1コマの出来事である。この読み聞かせをしていたお母さんは,将来,我が子を情緒の安定した子どもに育てようとは思っていなかったと思う。私だってそうである。
こう言うありふれた日常生活の中の1コマでの子どもとの触れ合いが,家庭教育なのである。改まって「さて,今から家庭教育をするぞ」と言うものではないのである。

水飲み場まで牛を連れて行って,そのあと水を飲むか飲まないかは牛次第である。学校子ども達に教育を受けさせられる環境まで持って行っている。あとは本人が勉強しようがしまいが,これはその子の自由である。ただ勉強しない子どもが,勉強したい子どもの妨害をするのは良くないのである。
これは授業を妨害する子どもが,勉強したい子ども教育権を奪っているのである。それを先生は考えないといけない。

子ども達は平等に教育を受ける権利がある。授業を妨害する子どもは,その時は,外へ出て貰って,後ほど,そう言う子ども達を集めて,先生が勉強を教えなくてはいけないのである。少なくとも授業を妨害する子ども教育権を言うのなら,自分を犠牲にしてまでも,その子の為に授業をするべきである。それが出来ているのなら「あんたはエライ」と誉めよう。
それを自分のスキルが低いのを棚に上げて,それを隠すために,その授業妨害する子どもに責任を転嫁させて,何だかんだと理屈を付けて授業崩壊を正当化する教師は最低である。

本当に教師がド真剣になれば,学級崩壊は起こらない。子ども達もドンドン叱り,怒鳴り,時には体OKで行くと,必ず学級崩壊はない。学級崩壊なんて,私の子どもの頃は聞いたことのない言葉だ。

学校先生)はもっと強くなれ。保護者学校教育方針に口を挟むな。これさえ出来れば,学校も我が子も安泰である。保護者は兎に角,学校を信じることである。そうすれば,その信頼に応えようと,先生も頑張るのである。
ホント,一部ではあるが,今の保護者は常識では考えられない,うるさいのがいる。


子育て・家庭・学校 | 14:36:35
子ども家畜論・・・?
埼玉県に狭山ヶ丘高校というのがある。そこの校長の小川義男先生が書いた本で「子ども家畜論」と言う,まぁ,何とも過激な本がある。たまたま書店で手にとって,立ち読みをして帰ったが,この本は何れ買おうと思った。(この日は別に買う本があったので)

パラパラと見ただけで「面白い」「その通り!」である。
まず子どもには「服従する心」を,と提案している。以前,私がブログで書いたが,或る意味「恐怖で押さえつける」と言う事である。しかし萎縮させるのではなく子どもたちに「生徒させる」事だ。「お前ら学校に勉強しに来ているんやろ。だったら先生先生するし,お前ら生徒生徒しろ」と言う事だ。

それぞれがそれぞれの立場で進めるのが教育である。教えるものがいて,教えられるものがいる。教えられるものは,教えて貰う人には尊敬の念を払うべきだ。自分の知らないことは,譬え自分より年下,身分の低い人にでも教えを請うと言うのが学びの基本である。
まして学校の先生は,生徒達からしたら,全て人生の先輩であり,自分達よりも物事を知っている人達である。

大体,卒業式の時に「仰げば尊し」を歌わないと言う事自体がおかしいのである。どんな保護者が文句を言ったか解らないが,子ども達は先生に対して「我が師の恩」を感じないといけないのだ。

今の小・中学生は,先生に対して敬語や丁寧語を使う子どもは一人もいないと言っても過言ではないだろう。みんな「タメぐち」である。
それに対して叱る先生は一人もいない。
私が中学生の時だった。数学の時間に当てられて,つい気を抜いてタメぐちで先生に話しかけてしまった。まぁ,怒鳴られたこと怒鳴られたこと。「お前!誰に口きいとるんじゃ!!ドアホ!!舐めとるんかぁ!!」である。確実に殴られると思った。
先生はこれが大事である。
今そんな事をしたら「先生,何切れてんの?」と言われておしまいだろうが,それでもやらないといけないのである。

先生生徒は「学び合い」と言うが,生徒達(子ども達)が好き勝手なことをしてしまったら,学級崩壊に繋がるのである。「学び合い」だからこそ,「生徒する」事を,教え込むのである。先生生徒に対して注意もしない,叱りもしない事が学び合いではない。

本は最初と真ん中と最後を読めば,大体,内容は解る。
で,最後の方に,私が気に入ったフレーズがあった。この言葉を聞いたら,保護者としては頼もしく思う。
なにせ,立ち読みなので正確には書けないが,趣旨はこうだ。
「(保護者として色々と言いたいこともあるだろうが)兎に角,学校を信頼して欲しい。大丈夫だ。教育は,どうか教師に任せて戴きたい(欲しい?)。その為に,全国の校長や教師は教育理念の基本に返って,この国難(だったかなぁ?)に立ち向かっている」と言うような事が書いてあったような気がする。
うる覚えで申し訳ないが,いくら私でも,書店で本も買わずに鞄からノートを出してこの言葉を写すわけにはいかなかった。

今,この言葉を自信を持って言える教師が,どのくらいいるだろうか。譬え引け目があっても,これはハッタリでも何でも良い,自信を持って保護者に言うべきだ。で,言ったからにはそうなろうと努力するだろうし。

この小川校長は,本当に面白い人物だ。もしこの学校に我が子がいて,私がPTA会長をしていたら,これまた面白い事を小川校長と出来たに違いない。
京都市内にも,結構「イケテル」先生がいる。先生は保身に回ってはダメだ。場合によっては逆ギレでもして,保護者に対してカマしてやるような先生がいても良いと思う。自分の進退をかけて,自分の思いの丈を保護者にぶつけても良いのでは?
教育委員会もバカじゃない。それでその教師を潰すようなことはしない。実力さえ有れば何でも出来るのである。

先生は,保護者の方は向かなくて良い。子どもだけを見ていれば良い。保護者に対して神経を使うのなら,その神経は全て子ども達に向ければ良い。頑張っている先生の姿を見た保護者は必ず応援してくれる。
それを肝に銘じて,子ども達を家畜にすれば良い。(但し,此の本に書いている趣旨である)

しかし,どうせブログに書くのなら,本を買ってしっかりと内容を把握した後,書けば良いのにと思われるだろう。その通りである。
でも私の性格上,それが出来ない性格だ。困ったものだ。

子育て・家庭・学校 | 18:12:12
判決
裁判の判決とは,本当に面白い。全く意味が解らない。原告に非が無くても,何だかんだと言って100%の求より幾らか落ちる。確実に相手が悪いと判決が出ているのに,原告にも少しの過失を付けて(この意味が未だに解らない。付けなければいけないようにして付けている)被告のを減している。

以下の判決も正直おかしいと思う。
【JR西日本の特急サンダーバードや在来線の車内で20代の女3人に的暴力を振るったとして、強姦(ごうかん)と傷害の罪に問われた解体工植園貴光被告(36)=滋賀県湖南市=の判決が17日、大津地裁であった。大崎良信裁判長は「人目を恐れず、大胆不敵で卑劣極まりない犯行」として懲役18年(求懲役25年)を言い渡した。】

これはおかしい。
が25年なら25年に相当するだ。中国なら死だ。一生涯出て来れないに値する。なのに何故求よりも7年も短いのか。
この被害にあった女の事を考えたことがあるのだろうか。身体的,精神的に大きな苦痛を強いられている。これが癒えるためには,何十年とかかるであろう。トラウマになるに違いない。

私は,25年でも少ないくらいだと思っている。
私は犯罪者の更生は100%あり得ないと思っている。これは一生治らない病気である。また再犯率は限りなく100%に近いと思う。
田代まさし然り,植草元早大教授然りである。

この植園と言う男,出所したら必ずまたやるに違いない。務所にいるときは,女が周りにいないので欲はなくなるが,一旦外へ出ると,また癖が積乱雲のようにムクムクと湧いてくるのである。
昔,上岡竜太郎氏が,ヨットで世界1周した堀江健一氏に「欲の処理はどうされたんですか?」と言う質問をしたらしい。その時に堀江氏は「そう言う環境がないので,全く欲というものは無かった」と答えていたとの事。

こう言うものである。だから犯罪者も,務所の中では「模範囚に」直ぐになるのである。それに騙されるのである。
なので,犯罪者は,譬え釈放されてもアメリカのように犯罪者にタグを付けるべきである。そうか欲が起きないように,脳の欲中枢を切れば良い。(が,これは極端かも)
そうすると「人権問題だ」と言う人が必ず出てくる。生憎(あいにく)だが私の持論は,誰が何と言おうと「他人の人権を守れないヤツに,自分の人権を言う資格はない」と言う事である。当然である。

テレビのニュースを見ていていつも思うのが,何故犯罪者の顔を隠すのだろう? 隠すどころか,髪の毛を掴んで顔を上げさせ,「コイツが犯人です」と言って全国に放映すれば良いのである。それが浸透すれば,少しは犯罪も減るだろう。

しかしこの考えが行き過ぎると,この間の務所暴動になる。とんでもない医者がいたものだ。これはイジメであり,個人の趣味である。言わせて貰えれば,この医者も一つの癖の持ち主であり,処罰に値する。
個人的に犯罪者の人格(人権)を無視すると言うのは,私の持論とは違う。

兎に角,日本の裁判はおかしいと思うことが多々ある。
この被害者の女達,被告が死なない限り,気持ちは晴れないだろう。お気の毒の一言しかない。
その被害者が,小学生,中学生に及んでいるのである。
この強姦した男,今度は捕まらないようにと,こう言う少女を襲うかも知れない。こんなヤカラは,女で有れば,もう誰でも良いのである。
それが怖い。だからこう言う男たちは極を以て,社会に出さないようにして欲しいのである。

子育て・家庭・学校 | 17:48:31
トドの詰まりは・・・
誠に漠然としたタイトルだが,今朝,京都府私立中学高等学校連合会の方9校9名の校長先生と事務局の方2名,こちらは京都市立中学校PTA連絡協議会から10名のPTA会長と校長会から6名の校長が出席し,懇談をする機会があった。
いつもは文書のやり取りだけらしいが,今回は初めて顔を合わせて話をすることになったらしい。

こちらから4項目ほど,私学へ対しての要望があったが,各項目について細かく回答はなかった。しかし私学としての意見を聞くことが出来たのは有意義だった。
私学の現状も良く解った。
私学と言えども公教育の一端を担っていると言う自負が感じられた。京都府や市に対しても,過去色々と協力しておられた。

平成元年,昭和64年,65年と言えば,子どもの人口も多く,公立高校だけでは,全ての子ども達を受け入れられなかった。その時に,私学は募集人員が1000名でも,1200名を受け入れるような事をしていたらしい。これは少しでも子ども達が悲しむことの無いようにと言う配慮であり,また府の方からもそう言う要請があったらしい。

しかしここへ来て少子化となり,子ども達の取り合いになってきた。
私学としても,沢山子ども達を受け入れたときに採用した教員を,子ども達が少なくなったからと言って切るわけにはいかない。そう言う中で,非常に苦労しているようだ。
オマケに,今では公立高校へ生徒を集めようとして「私学は高いですよ」と言っている現状がある。これでは私学はたまったものではない。府から協力を要請されたときは,快く受け入れたのに,こう言う状況になれば「自分達は自分達で何とかしなさい」と言う府や市のやり方は如何なものかと同情してしまう。

私学は建学精神をしっかりと持っている。それをずっと持ち続けている。それが子ども達にも浸透しているのである。人間教育は,私学の方がしっかりと出来ているような気もする。
実は私も私学出身だが,何とこの関に私の同級生が校長として来ていた。懐かしい思いをした。そうだから私学を庇っているわけではないが,私の時は,各教科の先生が全て個人指導をしてくれた。大学入試前は,問題集を作ってくれたりレベルの高い教科書を貸して貰ったりと,至れり尽くせりの先生達だった。やる気のある生徒にはトコトン付き合うのが私学先生だと思った。
公立高校へ行って,塾へ通わせるのなら私学へやる方が得策かも知れない。

その話の中で,高校を卒業して就職もせず,進学もしないと言う子どもが,毎年5〜6%はいるそうだ。これは由々しき問題である。
思うに,此の背景には子どもに対する指導力の欠如,要するにしっかりとした家庭教育がなされていないのでは,と思う。
勿論,子どもが将来の夢を追い,進学したり就職すると,それを成就するためには足枷になると言う事で,もそれが解っていて面倒を見ているとなればOKである。しかしただ単に,「自分探し」とか「自分に合った仕事が見つかるまで」とか言う言葉だけで,子どもに何もさせないと言うのはとして戴けない。それは子どもに対して「理解がある」と言うのではない。も自分の気持ちをごまかしているのである。

私の知り合いで,子どもがミュージシャンになると言って,ずっとフリーターをしていたらしい。夜な夜な繁華街でストリートミュージシャンをしていたらしい。それを黙って見ているのがとして非常に苦しかったと言っていた。しかし子どもも「この年まで」と決めてやっていたのでそれを信じていたと言う。今ではプロのミュージシャンの夢は捨てて就職しているとか。こう言うので有れば全く問題はない。

しかし進学もしない,就職もしない,さりとてバイトもしないであれば,問題である。そう言う子どもが毎年,京都府内の私学の卒業人口の内5〜6%もいるとなると,公立高校を含めると一体どれだけのニート予備軍がいるのだろうか。
かの東大でも,在校生の中に2割はニート予備軍がいると言う。

こうなると日本の国はどうなるのだろう。働き手が無くなってくるのである。そうなると外国からの移民受け入れとなってくる。実際に,もうそう言う企業が現れてきた。私がサラリーマンをしていたときの上司が,そう言う仕事を始めて,手伝ってくれないかと言われているくらいである。

人が働かないと税金が生まれないのである。そうなると日本経済は破産してしまう。まぁ,大変な世の中になってきたものだ。

日本の国の根幹を揺るがすのは,突き詰めれば家庭教育になると言う事である。また学校教育も今のままではダメだ。
しっかりと小学生の時に,子ども達に道徳教育をし,社会性を植付けないとダメである。自由だ人権だと言って,子ども達を「放任」してきた学校に責任がある。恐怖で子ども達を押さえつけてはいけないと言われているが,小学生の時はそれで良いのである。萎縮するなんて事はない。そう言う時代に生きて来た人間が,戦後の日本を動かし,経済大国に押し上げているではないか。

体罰は良くないが,子どもを怒鳴ることくらいはOKである。授業中に歩いている子どもがいれば,胸ぐら掴んで「じっと座っとれ!!」くらい言わないとダメである。ダメなことはダメと,恐怖を持って教えないと子どもは解らない。

今日,人と会う約束があり,午後5時頃,市内へ出る時に,電車の中で女性を連れた高校生の男の子が大きな声で携帯電話で話していた。見るからにバカである。身なりからしてバカである。これが格好良いと思っているからバカである。またこんな時間から市内へ遊びに行くことを許しているは,もっと大馬鹿者である。
この高校生,注意して殴っても良いのなら注意もする。注意して反抗されたら,私の事だから必ず蹴りの一発くらいは入れるに決まっている。しかし世の中,手を出した方が負けである。以前は注意をしていたが,最近はストレスが溜まるのでしてない。またこんな馬鹿者の為に自分の人生を棒に振るわけにはいかないので。

最近の高校生は携帯電話を1日平均4〜5時間使っているそうだ。いつも手に持っている。いつも触っている。さすが私学は,学校へ携帯を持って来ている子ども達に対しては,朝に全て携帯を学校が預かるそうだ。公立では出来ないだろう。携帯の弊害は本当に大きい。特に女子校の校長先生が仰っていた。

朝ごはんを食べない子どもは,食べる子どもよりも学力が低いと言われている。また今は携帯を常に触っている子どもも,学力が低いそうだ。今日の電車の中の高校生を見ていて納得が行く。頭には女の子の事しかないだろうし。

出来る子どもと出来ない子どもの差が,最近は二極化してきた。この底辺層の子ども達が救いようがない。家庭自体に問題があるから。さりとて他人の家庭に干渉は出来ない。
何か問題を起こした子どもが「こんな子どもに育てた覚えはない」と良く言うが,大丈夫,間違いなくそう言う子どもに育てているのである。

どうしても最終的には,家庭教育になるのかなぁ。
家庭教育なんて何も難しくないんだが・・・。
夫婦揃って,またこのご時世,私も含めて片であっても,温かい家庭であれば,子どもは素直に育つのである。トドの詰まりは,子どもが家に帰って来たくなるような家庭作りをすることが,一番最初の家庭教育なんだが・・・。と言うことは教育か・・・。(久々に長い文章を書いてしまったなぁ)

子育て・家庭・学校 | 22:58:14
成人式
昨日,各地で成人式が開催された。私の時代は,みんな白けていたためか,同世代で行った若者は少なかったように思う。それでも京都会館に詰めかけた若者達は,みんな真面目に成人式を迎えていた。
服装は性はよく頑張ってスーツで,性の着物姿というのは余り記憶にない。私もそうだが,普段着で行く若者も結構いたように思う。
ところが今は,一様に性は着物姿,性は羽織袴・・・である。
自分で作ったのか,に作って貰ったのかは解らないが,羽織袴姿で騒ぎ立てている子を見ていると情けない気がする。まぁ,「の顔が見たい」と言う言葉があるが,正にそう思う。結局,大人になっていない。

成人式をした会場付近で,どうしてみんな集まって,日本酒を一気飲みしなくてはならないのか。堂々と酒が飲めるようになる事が,二十歳の「証」なのだろうか。余りにも次元が低すぎる。
まぁ,こう言う馬鹿者は極々一部だろうし,また本人達は格好が良いと思っているだろうが,この様子がニュースで全国に放映されて,正に「バカの見本です」と言わんばかりだった。
これをが見ていたら,は泣くぞ。

こう言う若者が,これから結婚してになるのである。こんなに育てられた子どもは,一体どんな人生を歩むのだろうか。お節介ながらも心配してしまう。

道徳教育が如何にされていないかだ。全くされていない。家庭での躾もされていない。本当に道徳教育に力を入れないと,日本の国はダメになるだろう。
日本の武道は「礼に始まり礼に終わる」と言う。昔は武道に限らず,日本人の「誇り」として,それがあった。今は,そのカケラもない。寂しい社会になったものだ。

二十歳になると言う事は,自分の行動に責任を持つと言う事である。自由には「責任」という言葉が付き,権利には「義務」と言う言葉が付いてくるのである。これはセットである。自由奔放にするのも結構,その代わり責任を取らなくてはいけない。成人式の会場の前で,酒をカッ喰らっている場合ではないのである。もっと大人としての大きな自覚を持つのが,本当の成人である。年だけ二十歳でも,頭の中身は小学生では,お話にならない。

少なくともそう言う「天ぷら成人」がいることが情けない。(昔「天ぷら学生」と良く言われた。昔の天丼や天ぷらうどんなどの天ぷらは大きな衣ばかりで,中身のエビは尻尾だけだった。そう言う意味から,外見は成人(大学生)でも中身は何もない若者(学生)という意味)

殆どがしっかりとした考えを持っている若者達なのだが,こう言う一部のバカ者と一緒にされて「今の若い人達は・・・」と言われるのが,本当に可哀想である。

時間がかかっても良いから,大人になりきれない若者達が,早く大人になることを望む。

子育て・家庭・学校 | 18:13:12
大人になりきれない国
一昔前,北朝鮮が,自分の我が儘を通して国際社会に自分達の要求を認めさせた。その光景は子どもが親にモノをねだる時の我が儘のように見えた。アメリカは北朝鮮の親ではないが,まぁ,手こずったであろう。

今回はクェートである。ハンドボールの試合で,自国のチームを勝たせたい気持ちは解るが,不公平審判をしてまで勝たすと言うのはどうかと思う。また,この不公平審判をした審判を北京五輪のハンドボールの審判に北京が決めたと言うのだから開いた口が塞がらない。こう言う人間は,今度は北京の選手に都合の良い審判をするに違いない。

ハンドボールの再試合も拒んでいるし,ボイコットまでしてしまって,結局は韓国と日本だけの試合になりかねないかも知れないと言う。

余りにも子どもには言えない状況だ。我が儘を言えば何でも通るのか・・・と言うことを国を上げてやっているのである。子どもの教育には不適切な課題である。

クェートも,今は石油資源があるので調子に乗って言いたい事を言って,やりたい事をやっているが,何時かは石油も枯渇する。その時に売るものがなくなり,国は衰退していく。国際社会で生きていこうと思うのなら,そこまで考えて,今,行動するべきである。そうなった時に,どこの国も助けてくれなくなる・・・と思うが,そうではないだろう。その時はその時で何とかなるのだろう。それが今の世界情勢かも知れない。
何故なら今の国際社会では,徹底的に対応すると言う事が出来ないからである。その良い例が北朝鮮である。結局は,北朝鮮も何とかなっているのである。またこの先,要求事が有れば,過去の例から見て再び地下に潜って核開発を始めるかも知れない。

拉致問題だって,今は余り聞かなくなった。横田めぐみさんのお母さんは,この京都の堀川高校の卒業生である。恐らく京都市民の中でそれを知っている人は少ないのでは・・・。本来なら京都上げて拉致問題解決の運動を起こすべきである。

確かに国によって学力レベルの差はある。日本の中でも学力格差が付いてきているが,世界的にも国によっての学力格差が付いている。この国際社会で生きて行くには,教育の発展途上国はしっかりと世界を見つめ,国内の子ども達の学校教育に力を入れ,世界に通用する考えを持ち,物事の正確な判断ができる知識を身につけた人材を育てていかないと,モンスターペアレンツならぬ「monster land(国家)」になるだろう。

子育て・家庭・学校 | 12:50:43
我慢
相手を好きになって,それを受け入れて貰えないとストーカーになり,尚かつ相手を殺してしまうと言う身勝手な犯罪が目立つ。
最近も飲食店の性が交際を迫っていた性に殺された。性は「脅してでも付き合いたかった」らしい。
恋愛とは双方の感情が一致して成り立つものである。一方的に好きになって,相手感情を無視して付き合おうという気が知れない。異性は「モノ」ではないのである。動物の世界なら,相手がどう思うが勝手にレイプしてしまう。これは種の保存の本能で,そうなるのである。しかし人間はそうではない。

性を性としてみていない性が少なからずいる。これはアダルトビデオの影響もあるのだろう。性に対してはこうするものだと思ってしまうのである。AVを見た児小学生が同級の児児童にイタズラをしたと言うニュースがあったが,この児は父親の持っていたAVを見て真似たそうだ。

何故,人は勉強をしなければならないのか。この勉強というのは,「知識」を身につけるためだけの勉強ではない。広く一般教養も身につけると言うことである。それが出来て動物の本能を,或る程度制御出来るようになるからだ。

しかし子どもの時に「我慢」を教えられなかった子どもは,一方的な感情で動いてしまう。
恋愛は失恋もする時もあるし,成就するときもある。また若い内は別れはつきものである。またこれは勉強が出来る出来ないに関わらず,必ずある事である。
失恋をした時や片思いの時に「我慢」出来るかどうかである。その我慢が出来ないから事件になるのである。

異性を一人の人間として見られないから,とんでもない行動を起こすのだと思う。世の中には本当に自分勝手な人間が少なからずいる。近所のトラブルもそうである。家の前に車を止めたと言って,暴力沙汰になる。

世の中,ギスギスしすぎである。どうしてもっと大らかな気持ちになれないのだろうか。それは寛容な心が無くなってきたからである。その一つが「我慢」である。本当に相手のことを好きならば,そして相手から相手にされなかったら,潔く引き下がって,相手の幸せを願うと言う事をしなければならない。それが「愛」である。「なんとしてでも自分のものに」と言うのは「恋」である。こんなものは長続きしない。

理不尽に,訳の解らないに殺された性は,本当に可哀想である。何も悪いことをしていないのに,またその性にも何もしていないのに,好きでないと言うだけで殺されるなんて。
今の子ども達は,お金を出せば何でも手に入る時代に生きている。そう言う時代だからこそ,「我慢」を教えなくてはいけない。
その点,ジョニーデップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」は,まさに我が子と一緒に見るには相応しい映画ではないだろうか。


子育て・家庭・学校 | 21:05:57