投稿日:2008-06-27 Fri
昨日,ウナギの産地偽装について書いた。その時にマネーロンダリングに引っかけて「ウナギロンダリング」と書いた。今朝の読売新聞に,その言葉が書かれていた。誰しも思う事は一緒だなぁ,とほくそ笑んでいた。
さて,先週,松本サリン事件を扱った映画「日本の黒い夏ーえん罪ー」と言うDVDを個人的に見た。ところが偶然にもその主人公の河野さんの奥さんの様態が急変したと今日のニュースで出ていた。
ご主人は,一日でも長く生きてと願っておられる。
この事件は,本当に悲惨だった。もしオウム(現アレフ)が,地下鉄サリン事件を起こしていなかったら,河野さんは一体どうなっただろうと考えさせられる。
えん罪とはこうやって作られるんだと思った。
映画の中では,男女の高校生2人が,地方のテレビ局にインタビューをしながら,このえん罪事件を追っていくわけだが,腹が立つと言うより,段々と恐怖を覚えてきた。
警察もメンツがあるのだろうが,無実の人間を犯罪者にするのは・・・。
しかしマスコミも,それ以上に重大な罪を犯していた。
これを機会に,マスコミ報道のあり方が変わった。
警察も警察だったが,マスコミがどんどん河野さんを犯人に仕立て上げていった。また国民も河野さんを犯人だと思っていた。心ない人間がいたずら電話をしたり,家に投石もしたりした。
しかしその時点では,誰でも河野さんを犯人だと思っただろう。マスコミは本当に怖い。自分たちの都合の良いように,報道する内容を「作っ」てしまう。
「こんな趣旨で言った覚えはないのに,全く逆の報道をされている」と良く言われる。石原知事もそう言う事が過去にあり,随分と憤慨していた事があった。
地下鉄サリン事件が起こり,河野さんが無実となると,マスコミ各社は,一斉にお詫びの報道をし出した。それ以来,「疑わしきは慎重に報道」と言う立場をとりだした。
これは本当に良かったと思う。
もしこの姿勢を,当時マスコミがとっていれば,どこかのテレビ局なり新聞社が弁護したかも知れない。しかしこの「河野犯人説」の中で,「ちょっと待てよ」と言う報道をするには,相当の勇気が要っただろう。
河野さんの取り調べも,相当酷いものだったようだ。
最近,えん罪で無実になるケースが結構ある。
今は痴漢だ。「それでも僕はやっていない」と言う映画があったが,先般,ある男性が痴漢で捕まったが,何があっても罪を認めなかった。しかし「あれは嘘だった」と,後日犯人が出てきたが,これも犯人が出てこなければ,この男性,一生「痴漢」と言う汚名を被っていかないといけない。
痴漢を受けたと申告した女性を,名誉毀損で訴える事が出来ないのもおかしい。
男女差別は良くないと言いながら,男性が逆差別されている感じを受ける。
これでは男性は怖くて満員電車には乗れない。
河野さん自身,死ぬ思いをして救急車を呼んだのに,犯人扱いされてしまった。
奥さんは本当にお気の毒だ。
いつかは意識を取り戻してくれるだろうと,河野さんの献身的な介護が続いた。それがここへ来て容態が変化したとの事。
映画を見ているだけに,どうしても人ごとには思えない。改めてカルト教団に腹が立つ。自分達の勝手な「正義」の為に,日本を恐怖に陥れたのだ。
この「正義のためには何をやっても構わない」と言う思想は本当に恐ろしいと思う。
グリンピースの荷物抜き取り行為は,これと変わらない。人は死んではいないが基本的な考え方は「正義のためには何をやっても構わない」と言うオウムの考え方と一緒である。
あの見るからに温厚そうな河野さん。何とか奥さん,回復して欲しいものだ。兎に角,何も出来なくても良いから生きていて欲しいと言う思いだろう。
陰ながら,祈念していたい。
投稿日:2008-06-26 Thu
マネーロンダリングと言う言葉がある。今回,ウナギの産地偽装事件が起こった。このウナギの流れを見ていると「ウナギロンダリング」と言いたいような流れだ。
まぁ,牛肉と言いウナギと言い,産地偽装が多い。私は安くて安全で美味しければ何処でも良い。
さて,米国が北朝鮮のテロ支援国家指定解除を予定している。たぶん行うのは確実だ。日本にとっては辛いところだ。米国は拉致問題は忘れていないと言っているようだが,あくまでも自国の国益優先で行くに決まっている。
横田めぐみさんのお母さんは,堀川高校の卒業生だ。だからもっと京都市民が,拉致問題を身近に感じて行動を起こすべきなのだろうが,今一つそう言う動きはない。
日本人全体的に,あまり関心がないのだろうか。
自分の国の人間が,拉致されているのである。これは同じ国民として怒りを覚えなくてはいけない問題ではないのだろうか。
例えば,日本人が紫禁城や天安門でピースサインをして写真を撮っていたら,きっと中国国民は怒るだろう。また真珠湾で日本人がピースサインで写真を撮っていたらアメリカ人は怒るに違いない。
しかしアメリカ人が,広島の原爆ドームを背景にピースサインをして写真を撮っていても,日本人は誰も怒らないのではないだろうか。
これが愛国心であり日本人愛ではないだろうか。
中国や韓国では,未だに日本人を毛嫌いしている人間が多い。戦争時代に日本から受けた苦しみを忘れないように,次代へ受け継いでいる。いい加減,昔の事は忘れたらと思うが,結構シツコイ。
北朝鮮もそうだ。行きたくもない日本の戦争に借り出されて多くに命が奪われた。
逆に日本人は北朝鮮に,大事な日本国民を拉致して連れて行ったのだ。言い換えれば「誘拐」だ。国内でそんな事をしたら大変な事になる。
今回,米国のテロ支援国家指定解除で,いわば手持ちのtrump(切り札)が無くなるかも知れない。
もちろん,日本にはtrumpが無いから米国に頼るしかないが,結局,他人の褌なので,他人任せとなる。
拉致被害者の人達は,本当に辛い思いをしている。もし自分の子どもが拉致されたら,いたたまれないだろう。
だからもっと国民は,自分の事として,怒っても良いのではないだろうか。
なのに,今,殆どの国民が無関心で,一生懸命頑張っているのは拉致被害者の人達だけだ。
どうして日本人は,他人の不幸には同調しようとしないのだろうか。基本的に他人の事に対して無関心なのだろうか。他人の怒りは自分の怒りと出来ないのかも知れない。感情の共有が出来ない国民なのかも知れない。
そのくせ,同じ日本人なのに,他人を中傷したり批判をする時は,変に同調して個人攻撃をするところがある。
怒りを向ける相手が違うだろう・・・って言いたい事が良くある。
今回の米国の北テロ支援国家指定解除は,日本にとって吉と出るか凶と出るか,注目したい。
投稿日:2008-06-25 Wed
コンビニが24時間営業を中止させられる憂き目に遭いそうだ。地球温暖化の環境問題で深夜営業を中止しようというものだ。しかしコンビニ業界は,猛反発している。
私は,以前から24時間営業の店は必要ないと言っている。なのでカラオケやゲームセンターなども,24時間営業をやめた方が良いと思っている。
確かにコンビニは犯罪の予防になっているかも知れない。女性が夜,歩いていて危険を感じてコンビニに駆け込むと言う事があるようだ。
でもそう言う女性は,夜遊びで遅くなっているのだろう。であれば,24時間営業の店が無くなり,夜遊びをする場所が無くなれば,こう言う女性も早く家に帰る事になり,事件に巻き込まれる事もなくなるはずだ。
人間,不便に慣れれば,それなりに便利に生活出来るものだ。元々は不便な生活を,長い間やっていたのだから。
私が24時間営業の店を止めるというのは,環境問題云々を言っているのではない。違う観点で言っている。
子ども達が成長するに良い社会は,大人達のとって不便な社会だと私は思っている。要するに子ども達が夜の世界へ出て,夜遊びする場を無くしたいと思っている。
これから夏になるに従って,夜徘徊する子ども達が増える。そう言う子ども達は,コンビニの前にたむろしたり,カラオケに行ったりする。
また未就学児を連れて,夜中にカラオケに行く若いバカ夫婦もいる。これが子どもにとって良い家庭教育環境だろうか。
今更,馬鹿な親を教育する事は出来ないのだ。であれば,そう言う環境を無くすしかないだろう。
もし夜遊びする場所がなくなっても,夜徘徊する子は徘徊すると言うだろう。それでも良いのだ。近所の公園にたむろするとかしても最初だけで,遊ぶものがなくなれば飽きてくる。精々夏は花火くらいだろう。
先ずは子ども達を家に帰す事を考える事だ。喩え家で親子の会話がなくても良い。
私の中学生,高校生の時は,ラジオが友達だった。しかしテレビが無かった訳ではない。ラジオが面白かったのだ。
毎日,午後9時くらいから明け方まで聞いていた。深夜は電話リクストが主流だった。リクエストする人達のオフ会のようなものもあった。番組のパーソナリティーが中心となってオフ会を行っていたように思う。そこでラジオの中で,お互いペンネームしか知らなかった者同士が交流を深めたりした。
また当時のパーソナリティーは,鶴瓶氏や中島みゆき氏など,今をときめく錚々たる人達がやっていた。とても面白く,夏であれば,気が付けば空が白んでいた事も多々あった。
それが健全かどうかは解らないが,少なくとも夜徘徊するよりかはマシだろう。
子ども達が夜の世界へ出るのは,家庭の中が面白くないからだろう。それ以上に,夜の街が面白く無ければ良いのである。
地球温暖化の環境問題も良いが,子ども達の教育環境問題も考えて欲しいものだ。これからの日本を作るのは,今の子ども達だ。
殆どのヤンチャ坊主は,一時は道を逸れるが,暫くするとまともな道に戻る。であれば,遠回りさせることなく,最初からまともな道を歩ませるのが,大人の仕事ではないだろうか。
わざわざ危ない道を歩ませる必要はない。
そう言う意味で,24時間営業の店を自粛して貰いたいと思う。経営者にとっては死活問題と言われるかも知れない。でも誠に申し訳ないが,自粛して欲しいものだ。
今回が良い機会かも知れない。
環境問題と子どもの教育環境問題を合わせて,24時間営業をどうするかを検討して欲しい。
投稿日:2008-06-25 Wed
最近,殺人予告などをネットの書き込み逮捕されているケースが多い。匿名だから何を書いても大丈夫と思っているのだろう。ところがどっこい,直ぐに送信者を特定する事が出来るのだ。
メールを送ったり,掲示板に書き込むと,その内容に無条件にIPアドレスが着いて来るのだ。
IPアドレスとは,インターネットに接続した個々のコンピューターに割り振られた,識別のための個別の数字列で,データを送受信する際,発信元と宛て先を特定するのに用いられるものだ。
だから幾ら匿名だからと言って好きな事を書き込んでも,送信者を特定出来るのだ。
勿論,IPアドレスが誰のものかは,一般には解らない。
ところがプロバイダーは解る。何故ならプロバイダーが振り分けているから。もし犯罪性のある内容なら,警察がプロバイダーに情報提示を求めれば,簡単に教えてくれるのだ。
それが解らない人間が,こう言う馬鹿な書き込みをやって捕まるのだ。
私のブログでもそうだ。以前はブログ上でコメントを受け付けていたが,匿名性があるので好き勝手な事を書いてくるバカがいた。しかしホスト名も解るしIPアドレスも解るので,特に酷いものはプロバイダーに通報出来る。
そう言った迷惑メールや書き込みをプロバイダーが認識すると,その会員は強制退会させられる。オマケに,日本国内のどのプロバイダーにも加入出来なくなる。(今は知らないが数年前まではそうだった)
犯罪性があれば,サイバー犯罪対策室へも通報出来る。
まだコメントを受け付けていた時,一人,腹の立つ人間がいた。私の書いた内容を理解出来ない人間で稚拙な文章を送ってくるバカだった。1年前の書き込みに対してコメントを書き込んできた「マヌケ」な人間だ。それも私の文章の趣旨が全く理解出来ないお粗末なヤツである。なので書かれた内容も全く理解出来ない。匿名だから何を書いても良いと思っていたのだろうが,少々中傷めいた書き方だったので,IPアドレスやホストも解るので,プロバイダーとサイバー犯罪対策室に「警告」として連絡しておいた。なので本人には何も対処されないだろう。
自分が特定されると言う事も解らないバカなのだから,当然書く内容は,実にお粗末な内容だった。
コメントは2ヶ月くらい受け付けたが,アダルトの広告がとても多く,またあまりにも無責任でお粗末な書き込みがあったので,馬鹿らしくてコメント受付はやめた。
その代わりメールボックスを設けた。
お陰で,送ってこられるメールは,内容豊かで知識人たる人ばかりだ。
内容が良いと,たまにブログで紹介もしたりしている。
今回の殺人予告をして逮捕された人間は16歳とか20歳前後の若い人達が多かった。恐らくPCにはあまり詳しくない人達だろう。だから匿名で好きな事を書き込めば誰にも解らないと思っているに違いない。しかし世の中,そんなに甘くない。
今は,メール以外でも全て解るようになっている。
それを子ども達に教えなければいけない。学校裏サイトで,匿名で批判中傷の書き込みをしているが,全て誰が書き込んだかが解るのだ。
これを子ども達に教えれば,変な書き込みもしなくなり,書き込まれて悩んで自殺する子どももいなくなるのではないだろうか。
ネット犯罪が増えている。でも必ず犯人は捕まる。
インターネットが始まった頃は,本当に良い世界だった。紳士的で純粋な人と人との交流があった。そう言う世界に戻したものだ。
投稿日:2008-06-24 Tue
学校運営協議会なるものが,順次,各小・中学校に出来つつある。まだまだ全ての学校に導入されるまでには時間がかかると思う。京都でも順次出来つつある。
京都の場合は,文科省が示している学校運営会議の内容とは少し違い,京都方式で出来るようだ。文科省は,学校の教師の人事に関してまで運営協議会が関与する事が出来る。と言って,指名したり罷免したりというのではないが,意見は尊重される。
これは或る意味,学校にとっては脅威だ。学校運営協議会の構成員が,地域の人達で構成されるケースが多いが,地域と学校が上手く行っていなければ,学校側は突き上げを食らう。なのでそう簡単に学校運営協議会は作らないようだ。
現在,何処にもあるのが学校評議員会だ。年に2〜3回有る。内容的には,地域の各種団体長が主だが,その評議員が集まって学校の教育方針や,半年間やってきた実績などを話して貰う。それに対して意見を言うが,大概は,説明を聞いておしまいだ。
問題がなければ,それでも良いだろう。
恐らく,学校運営協議会も,この評議員会の評議員がメンバーのなるのではないだろうか。
よほど意識のある運営協議会でないと,あまり存在感はないだろう。
しかし或る小学校に,最近,学校運営協議会が出来た。その運営協議会の委員に,私の仲の良いグループの1人だが,彼が委員となっている。
その為,この学校での運営協議会は,とても素晴らしいものが出来ていると思う。勿論,学校側にとってはうるさい委員かも知れない。
私の仲間は,みんな問題意識が高く,教育委員会や学校にとってはうるさい存在かも知れない。しかし筋の通った道理のある話なので,グ〜の根も出ないのは当たり前だ。
でも俗に言われるモンスター・ペアレンツではない。学校が良くなる事,教師達が働きやすくなる事,子ども達にとって良い環境作りなどを,話し合ったり行政に進言したりしている。地元の学校イジメはしない。
先ほどの小学校だが,会則作りから始まって部会まである。ここまで考えて活動する運営会議は,そうないだろう。大概が有名無実と言ったところだ。
最近,この学校運営会議の件で,仲間同士メールの遣り取りを頻繁にしている。
それをまとめて,近々ブログに公開したいと思っている。
これから学校運営会議を立ち上げるところにとっては参考になると思う。
投稿日:2008-06-23 Mon
茨城県の中学校の教師が,昨年2月に小学5年生の女児を強姦したと言う。本当にいい加減にしろと言いたい。教師という仕事をどう思っているのか。
教師として,聖人君子になれとは言わない。教師でも1人の人間だ。しかし人間としてやってはいけない事があるだろう。
どうしてそれが解らないのだろう。
性的処理をしたのなら金を出して精算出来るところへ行けばいいのだ。プロを相手にすれば良い。それを素人相手,まして子どもとはどう言う事だろう。
子どもの心の傷はなかなか癒えない。
今までにも,こう言う事件は多くあった。なのにどうして絶えないのだろう。
少なくともおやじの会のメンバーは,そう言う人間はいない。何故なら他人の子どもも自分の子どもと思っているからだ。
本当に情けない。
しかしこの教師に限らず,今の若い人達の中には,こう言う人間の予備軍が増えているのだろう。ロリコン趣味で,自分だけで楽しんでいるのなら良いが,それが外へ向けられると怖い。もし我が子が女の子なら心配で仕方がない。
社会が病んできているのだろうか。。。
殺人事件も頻繁に起こっているし,人の心の中の何かがおかしくなっているような気がする。
投稿日:2008-06-23 Mon
ミートホープ事件を思い出した。飛騨牛の偽装事件。
吉兆や先般の点滴作り置き事件でもそうだったが,最初は現場の社員に責任を押しつける。
以前にも書いたが,長となる者は,忠言に耳を傾けなくてはならい。それが自分を守る事になり組織を守る事になるのだ。
長に対して諫言をするというのは,諫言する方も相当の覚悟の上である。それを知らなければならない。今回の丸明にしても,社員の忠言を素直に受けていれば,こう言う問題もなく,会社の存続も守れた。もしこのまま続けていて,食中毒騒ぎになったらどうしたのだろう。遅かれ早かれ,あってもおかしくない内容だった。
その時の方が,事は重大になる。
社長としては,その時の事を考え「よくぞ言ってくれた」と社員に感謝すべきだ。谷本医院のように死者が出たら,その後の方が金がかかる。
しかしこれだけ大きく偽装事件を取り上げられているのに,どうして他山の石としか思えないのだろう。明日は我が身である。自分が一番知っている筈だ。
全く呆れる。
投稿日:2008-06-22 Sun
昨日,富山のNPO射水おやじの会の総会に出た。今年は,全国おやじサミットが富山で開かれる。第6回目だ。総会後40分ほど,おやじサミットにかける思いと趣旨などの話をした。何とか思いが伝わったようだたので嬉しかった。
本当は左足の靱帯を切っているので行くのを止めようと思っていたが,やはり待って貰っているだと思い,何とか頑張って行った。
昨日聞いた話だが,もし私の足の調子が悪かったら,京都まで迎えに行けと言う檄が飛ばされていたとの事。そこまで待ってて貰ったと思うと,男冥利に尽きるというもの。今では本当に行って良かったと思っている。
総会の後は,懇親会。総会には遅れて参加して下さった市山下教育長とも,懇親会でゆっくりと話が出来た。京都市は教育長は事務方から出るが,射水市は叩き上げの先生がなっている。鳥取に行った時も,県教育長と話をしたが,多分そうではなかったかと。犬山市もそうだったように思う。
この山下教育長,感心した事がある。かつて自分が担任として教えた教え子は,殆ど覚えておられた。「○○君の妹さんは誰々で・・・」とか。
射水おやじの会のメンバーで,かつて教育長に教えて貰った人もいた。高校生と言うから今から,2〜30年前の事だが,鮮明に覚えておられた。山下教育長は,私よりも年上だが凄いと思った。
平成17年に全国おやじサミットin京都を開催して,その時に知り合った射水おやじの会の高橋理事長とは本当にウマが合うのかそれ以来,ずっとお付き合いがある。広島にサミットに行った時は,2人で広島珍道中をやっていた。
昨日はこの高橋さんの家に泊まらせて貰った。全く,もう家族付き合いである。その折に,「良く来てくれた」と理事長が涙を浮かべて行ってくれた時は,本当に来て良かったと改めて胸が熱くなった。
これがおやじの会の醍醐味だと思った。全国津々浦々にこう言うメンバーがいるのだ。
これはおやじの会を作っていなければ,一生知り合えない人達だ。そう言う意味で,子どもには感謝だ。子どもがいなければ,PTA活動もしてないし,仕事人間で終わっただろう。
今日は,帰るまで高岡市内を案内して貰った。富山,高岡市と言ってもピンと来ない町だったが,なかなかどうして,良い町だった。今度はゆっくりと行ってみたいものだ。
投稿日:2008-06-20 Fri
グリーンピースの幹部が窃盗罪で逮捕された。「こう言う形でないと告発出来なかった」と彼らは言う。また環境保護団体と称して,調査捕鯨船に対しても危険な妨害行為をやっている。しかし彼らの行為をどうのこうの言うのではない。
恐らくこの窃盗罪で捕まった2人は,執行猶予付きで釈放されるだろうが,この「正義の為には何をやっても良い」と言う考え方が非情に危険なように思う。
正義の行為かそうでないかは,主観である。自分達が正義だと思ってやっている事でも,他人から見れば正義でない事が多々ある。
今回,確かに窃盗という手段をとって,鯨肉の横領が発覚した。しかしこの横領事件は,窃盗事件の事で,その事件性が薄められてしまう。
この窃盗と言う行為が「是か非か」と言う問題に発展していくのだ。
過去にカルト教団によるテロ行為があった。彼らにとっては「正義」だった。その正義と貫き通す為には,殺人も辞さないと言う考えである。これこそ「正義の為には何をやっても良い」と言う考え方だ。自爆テロもそうだ。
今回は,人こそ死んでないが,この考えに通じるものがある。なので今回の事件は,そんなに甘いものでないと思う。
窃盗をやった団体が,一般に認められている環境保護団体と言う事で,きっと甘く見られるだろう。しかしこれを他の一般に認知されていない団体がやったらどうだろう。窃盗罪が今よりも大きく取り上げられるし,「一体この団体はなんなのだ」と言う方向でマスコミは動くだろう。
香港の或る女史が,中国の地震で小学校が倒壊して多数の犠牲者が出たのは,国の関わった工事で,手抜き工事だからだと自分のブログで書いた。それを見た中国政府は国家批判,国家転覆を図ったとして,逮捕・拘束した。
これは或る意味,「国の正義」である。国家を守る為に,この女史を逮捕したのだ。国家にとってはこれが正義だ。
しかし明らかに言論の弾圧である。やはり中国には幾ら開かれたと言っても,言論の自由はない。
これも「正義の為には何をしても良い」と言う考えの一つである。
今回の事件は,そんなに浅いものではないような気がした。
投稿日:2008-06-19 Thu
我が子が中3の時に,友達4人と近所のスーパーの屋上に上がった。勿論,立ち入り禁止である。それを店の支配人に見つかって,警察も呼ばれて大目玉を食らった。私も呼ばれて子ども達を引き取りに行った。私も格好がつかないので,この4人を支配人と警官前で怒鳴った。
次の日,子ども達が学校へ行くと,担任は笑って「アホな事しんときや」で終わった。
確かにそれだけの事である。
しかしこの1週間前,他府県のこのスーパーの店で,エスカレーターで子どもが亡くなった事件があった。手すりから身を乗り出して,ガードのアクリルに首を挟まれて亡くなったのだ。
だから店側としてもピリピリしていたのだ。
屋上に上っていけないというのは,何があるか解らないからだ。もし何らかの事情で屋上から落ちたら大変である。その責任を問われるのは店側だ。しかし立ち入り禁止場所へ入ったのは子ども達だから,それに対して店側を非難する事は出来ない。まして中学生だ。
今回,杉並区の小学校で,6年生の児童が校舎の屋上の明かり取りの上に乗って,それが割れて12メートル下に落下し死亡した。
学校側は予想してなかったと言っていた。当然だろう。何故なら「屋上には上がってはいけない」と言うルールが学校にあったからだ。
なのに「どうして教師が子ども達を連れて屋上に上がったのか?」と言う事である。
要するに子ども達にとって,屋上は「危険な場所」だと言う事で,屋上には上がっていけないと言う事なのだと思う。
だったら,子ども達をつれて上がった教師は,「この屋上で何が起こるか解らない」と言う認識を持つべきだったのだ。
我々保護者を含め大人は「子どもは大人の予想外の行動をする」と言う事を常に考えておくべきなのである。「こんな事くらい解るだろう」と言う事は「絶対に無い」と思うべきなのだ。
大体,授業をするのに,どうして屋上でしなければならないのか。授業の内容を聞いていても,運動場でも構わないし,体育館でも構わないような内容だ。
それが従前から行われていたと言うから呆れてものが言えない。全く軽率な行為だ。
学校選択制や教員評価制度を導入したりして,学校や教師のレベルアップを図っている東京だが,もっと基本的な事を指導する必要があるのではないか。教師は勉強を教えるスキルが高くても,子どもの命を守れないようではどうしようもない。
もっと子どもの基本的な行動を勉強すべきだろう。
今回は明らかに学校と教師の責任だ。「そんなところへ上った子どもが悪い」とは言えない。子どもはそう言うものなのだ。
大事な子どもを亡くした親御さんは,本当にお気の毒の一言しかない。さぞや無念だろう。
在り来たりの言葉しか言えないが,ご冥福をお祈りしたい。
投稿日:2008-06-18 Wed
亀井静香衆院議員が鳩山法相の死刑執行に対して,苦言を呈していた。死刑廃止論の人達は,「死刑に犯罪の抑止力はない」と言う。
私は死刑廃止論者ではないが,死刑に限らず,今の刑罰そのものに犯罪の抑止力は無いと思っている。
大体,罪を犯す人間が,一々罪を犯す前に「この人間を殺したら,自分は死刑になるかもしれないのでやっぱり止めよう」なんて考えない。
また「万引きを見つかったら窃盗罪になって逮捕されるので,止めておこう」なんて思って止める人間はいない。
殺人をするにしても「1人くらい殺しても死刑にはならんわ」と言う事は考えるかも知れない。万引きをしても「まぁ,謝ってお金を払ったらおしまいや」と思ってやる人間もいる。
要するに「死刑」と言う刑罰は,犯罪者に対しての刑罰ではなく,被害者の溜飲を下げる刑罰だと思う。
そう言う意味では,死刑は被害者感情を考慮すると残しておかないといけない刑罰のように思う。昔は「仇討ち」と言う行為が許されていた。これに準じるものではないだろうか。もし我が子が殺されて,加害者が無期懲役と言う訳の解らない刑罰になったとしたら,私は加害者が社会に出て来るのを待ってこの手で殺してやる。でも私は「この加害者を殺せば,自分も相当の罰を受ける」と解っていても,やってしまうだろう。だから刑罰なんて犯罪の抑止力にはならないのだと思う。
そう言う事を避ける為に,死刑は必要だと考える。
でも私は死刑に代わる重い刑を作って欲しいと思っている。
最近「死にたいから人を殺す」と言うアホがいる。自分で死ねないから殺人を犯すのだ。そう言う人間は,もっとも悲惨な死に方をさせなければいけない。死ぬ事を願望にしている人間に対して,死刑を求刑すると言う事は,重罪犯の願いを叶えてやるのと同じだ。
池田小事件の犯人は,死刑を求刑されて,即,死刑にされた。刑罰は相手に苦痛を与えて罪の重さを考えさせる為にある。ところが,コイツは何の精神的な苦しみを受けないままに死刑になった。こんな刑罰なら止めた方がマシだ。
そこから考えると死刑は廃止である。そしてアメリカのように一生牢屋から出さない事だ。冷暖房なしの暗い独房へ,一生入れておく事だ。気がおかしくなって悶死でもすれば,自業自得だ。何せ,1人の人間の人生を奪うのである。それくらいの苦しみを受けて当然だ。
大体,今の裁判にも問題はある。過去の判例に従いすぎる。昔と今では時代が違うのだ。
万引き一つをとってもそうだ。戦後は生活の為,生きて行く為に,悪いとは解っていながら万引きをした。そう言う人間は,更生のチャンスを与えるべきであり,そのお陰で立ち直った。ところが今の万引きは,買えるだけの金があるにも関わらず,ゲーム感覚で万引きをする。こう言う人間に更生の余地はあるだろうか?万引きは「罪だ(悪い)」と言う意識がないのだから。
だから多寡が万引きでも刑罰を重くしないといけないだ。勿論,刑罰を重くしても万引きは無くならないだろう。でも刑罰を重くすると,万引きの罪の重さ,自分がやった罪の重さを知る。だから更生出来る可能性はあるのだ。
死刑を廃止するかしないかと言う問題より,もっと大事な議論をする事はないだろうか。
どうしたら犯罪のない国にする事が出来るのか。
昔,殺人の専売特許は暴力団だった。今は一般人でも拳銃を手に出来る。殺人が日常茶飯事だ。でも日本人は,まだ危機感を持たない。本当に大変な国になったのだ。
どうすれば犯罪をなくせるか・・・。それには子どもの教育しかないのである。今更,大人を教育しようとしても無理な話だ。
兎に角,社会環境から変えていくべきなのだ。24時間営業の店なんて要らない。ここから改革していかないといけない。夜中に乳飲み子を連れてカラオケやタバコの煙ムンムンの居酒屋に行っているバカ親もいるのだ。
子育てが出来る環境作り,子ども達が育つのに良い環境作りを今からして行かないと,この先,日本はドンドン悪くなって行く。
子ども達にとって良い環境は,「大人にとって不便な社会」なのだ。コンビニも午後10時で終われば良い。カラオケもゲームセンターも,みんな午後9時までで終了すれば良いのだ。カラオケやゲームセンターなんか,無くても生活していく上で誰も困らない。
何でもかんでも金儲け主義で走ってしまうから,子ども達もおかしくなるのだ。そのしっぺ返しを今,受け始めているのだ。
子ども達は,夜,何処にも行くところが無くなれば,家で本でも読むだろう。私が子どもの頃の夜の過ごし方は,白黒テレビとラジオと読書だった。CDも無ければビデオもない。
ラジオは,高校生まで必需品だった。中学校から高校生卒業までは,ラジオの電リク(電話リクエスト)を聞くのが楽しみで午後9時からずっと家にいて聞いていた。また外に出ても遊ぶところがなかった。
こう言う社会に戻れば良い。正月3ヶ日は,店は全て休みにする。そして日本の良さを感じる。新年は家族で一年の豊富を話し合いながら祝う。
どうだ。
これで日本は変わる。
が,全く不可能な事だ。
もうやってられん。
投稿日:2008-06-16 Mon
先月,北九州市で女子高生が自殺した。原因は自分のBBSで「早く死ね」などの悪口をクラスメイトに書かれたからだ。その生徒の父親が,15日記者会見し,書き込みを認めている同級生の女子生徒について,近く侮辱容疑で福岡県警小倉南署に刑事告訴する考えを明らかにしたらしい。 父親は「学校の報告では納得できない。刑事告訴することでより具体的に警察が真相解明できる。加害生徒には何らかの社会的制裁を受けてもらわなければいけない」と話したとの事。
ネットでのイジメは,陰湿である。「顔が見えない」「匿名」と言うだけで,昔で言う陰口以上に陰湿である。学校裏サイトも,未だに増加の傾向にある。そう言うサイトを運営している業者は心が痛まないのだろうか。注意書きさえ書いておけば問題なしと思っているのだろうか。
この父親の行動は良いと思う。
今の子ども達(大人もそうだが),万引きをしても,「多寡が万引きくらい」としか考えていない。これが立派な「窃盗罪」と言う犯罪になると言う認識が薄い。これから万引きをしたら,罰金を取るか逮捕して留置場に入れればよい。そこまでしないと解らないのだ。
今回の告訴にしても「多寡が掲示板に悪口書いたくらいでそこまでしなくても」と言う人もいるだろう。しかしそれが大きな間違いなのだ。
この「それくらい」が今の日本をおかしくしたのだ。
例えば言葉遣いでもそうである。先生に子ども達が敬語を使わない事に対して叱ると「まあまあ,そんな事くらいで怒らんと」と言う事で来たので,今の子ども達は先生に敬語を使わない。
私は,中学2年の時,数学の授業中に,つい気がゆるんで先生にタメ口で返事をしてしまった。その時に「お前,誰にもの言うとるんじゃ!」って思いっ切り怒鳴られた。
今,そんな先生はいない。そんなことやると「何キレてんの?」って生徒に言われておしまいである。
歩道に看板が少しはみ出ていても「少しくらいは良いだろう」で誰も注意しないと,そのはみ出しはドンドン長くなる。
物事には基準がある。その基準から「少しくらい」とか「そんなことくらいで」と言って少しズレてしまうと,今度はそのズレたところがいつの間にか基準になってしまう。そして,またその基準から「少しくらいは」と言う事でズレていくと,振り返ってみれば,元の基準値から大きく外れているのだ。それが今の日本の社会であり教育だと思っている。
小さな事を大切にする事の大切さを,もっと考えなければならないだろう。
この提訴する父親も,また我が子の小さな行動に目を向けられなかったのである。父親がもっと早くに気づいていれば我が子を死なせずに済んだ。我が子がネットでBBSを開設しているのなら,そのサイトを常に見ておくべきだった。「パソコンが出来なかったから」は理由にならない。
確かに書き込みをした生徒は悪い。しかしサイトを公開すると言う事はこう言う事もあると言う事を教えるのも親の役目だ。それを反省して貰いたい。
また書き込みをした生徒の親もそうだ。この親も自殺をした生徒の親と一緒である。情報化社会と言われ久しい。その中で「パソコンは出来ません」「携帯は持ちません」では通らないのである。勿論,パソコンが出来なくても生きて行く上で不自由はない。出来ればもっと生活が便利になるだけである。
しかし子どもがいる親としては,それではいけない。親は使えなくても子どもは使えるのである。だったら親は使えるように努力すべきなのだ。これは自分の為ではなく,我が子を守る為である。それを世の保護者は理解すべきである。
詰まるところ,今回の事件は,加害者生徒,被害者生徒共,その保護者の責任だと思う。子どもは道具を上手く使えない。その道具を与えているのは保護者だ。
「みんなも持っているし,携帯『くらい』なら良いだろう」と言う甘い考えでいるから,こう言う悲劇が生まれる。
免許の無い子どもに,車を買い与える親はいない。子どもが免許を取って,初めて買い与える。子どもに安易に携帯を持たせるのは,免許の無い子どもに車を与えているのと同じだ。
だったら親がしっかりと使い方を教えるか,監視するべきなのである。
ネットの世界へ入ると言う事は,それほど危険な事なのである。入り口は簡単に見つかり簡単に入れる。だから危険なのだ。
親の知らない世界へ子ども達は入って行っているのだ。その認識が親には全くない。
だからその世界で起こった事に対しては,対処出来ないのだ。
せめて子どもを持つ親なら,「これくらい」とか「それくらい」と言う考えを捨てて欲しい。我が子を育てる第一歩は,基本を忠実に守らせる事である。一番簡単で難しく,そして一番重要なのは我が子に「親の言う事を,ずっと聞かせ続ける」と言う事ではないだろうか。
投稿日:2008-06-15 Sun
情けない話だが,金曜日の昼間,左足首の靱帯を切り,骨にも少々損傷した。見る間に足首が2倍くらいに腫れ上がった。歩道の小さなくぼみに気付かず,左足をとられてグネった。足が内側に90度以上曲がり,ブチッ,グキッと鈍い音がした。
暫くは立てなかったが,何とか病院へ行った。
松葉杖で病院から帰ったが,気分は落ち込むし情けないし・・・。
と,前から下校中の小学校2〜3年生の女の子が歩いてきた。そして私の顔を心配そうに覗き込むと「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
「有り難う。大丈夫だよ」と笑顔で返事をすると,にこっと笑って「さよなら」って帰って行った。
これは嬉しかった。
しかし私はロリコン趣味はないので,女の子に声をかけられて喜んでいるのではない。
恐らくこの少女は私の事を知っているに違いない。でないと知らない人には声をかけないから。
で,私を知る場というのは,「おやじの会」である。
もう小学校を離れてから4年も経っているので,小学校へ行く事はない。行くとしたらおやじの会の行事である。または社会福祉協議会の行事である。
こうやって,地域で子ども達に声をかけられるのが嬉しくて,おやじの会をやっているようなものだ。恐らく,今,おやじの会が続いているところは,こう言う喜びを1回でもおやじ達が経験しているからであろう。
男女関係なく,子ども達から声をかけられる事が,地域のお年寄りやおやじ達は嬉しい。こう言う時に「おやじの会を作って良かった」と思う一瞬だ。今は男女問わず,中学生,高校生が声をかけてくれる。
これからも地域の子ども達の為に,大人として出来る事がないか,模索し続けていきたい。
あ〜,全治3〜6週間の怪我・・・。根性だけでは治らんやろなぁ・・・。(T_T)
投稿日:2008-06-13 Fri
秋葉原殺傷事件の内容が,日を追う毎に明らかになってくる。犯人は「止めて欲しかった」と言っているらしい。
確かに本人の甘えであり,身勝手な理論だと思う。しかしこれはこの犯人の正直な気持ちだったかも知れないと思う。自分ではどうしようもないので,敢えて多くの人の目に触れるBBSを使った。これが彼なりのSOSだったのかも知れない。
ところが,このBBSにおいても「やっぱり自分は誰からも相手にされない人間だ」と言う疎外感を深めたのではないだろうか。事実,BBSで書き込みをしてきた人間が,呆れて相手にしなくなり去って行っている。そんな中,益々彼は自虐に走る。そうなると,もう自分では止められなくなるのだろう。
彼は,一度,トラックで事件現場付近を通過している。そして2度目で歩行者に突っ込んでいる。これは,一時でも躊躇(ためら)いがあったに違いない。しかしその気持ちを吹っ切って,2回目に歩行者をはねたのだろう。
BBSの書き込みも半端じゃないようだった。一日100件近くの書き込みをしていたらしい。なのに誰も気が付かなかった。この事件の後,アホなヤツが,似たような書き込みをして捕まっている。どうしてこう言う,何も出来なくせに,事件の書き込みだけを模倣しようとするアホが多いのだろう。
全く幼稚なのだ。体型と年だけは大人だが,頭の中は全く幼稚だ。思考能力なしの人間なのだ。ちょっと結果を考えればどうなるかと言う事が考えられない。
例えば不倫相手と結婚したいので夫を殺すと言う事件や,口うるさい身内を殺してしまえば静かで良いと言う事で殺人を平気でやる。
どうしてそれで幸せになれるのか。ものの分別がつく人間でも,こう言う事をやる。物事を俯瞰して見る事が出来ない人間が多くなっていたのではないだろうか。
さて,今,「学校裏サイト」や「闇の職業安定所」なんて言うものが,ネット上に氾濫している。基本となるのは「掲示板」だ。今回の事件も掲示板への書き込みだ。
そのネット管理者が日本国内ならまだ規制も出来ようが,最近では海外サーバーを使っての管理者が多くなっている。
国内であれば,そう言うサイトを運営している管理者を徹底的に摘発して行政指導なり,罰則を与えたりして規制をすれば良い。
それが出来なければ,プロバイダーが,そう言うサイトを常に監視して問題のある書き込みがあるサイトへは,接続出来ないようにすれば良いのである。サイト運営者に対し指導する事が出来ないのなら,あとはプロバイダーで接続を拒否するようにするしかないのだ。
WinMXやWinnyなどの接続に規制をかけているプロバイダーは多くある。だからそう言う事をすれば良い。
そう言うと「ネット上にある膨大なサイトを,一々監視は出来ない」と言う。しかしそれをやるのがプロバイダーの仕事の一つだと思っている。
幾らフィルタリングをしろと言っても,なかなか出来ないだろう。でもフィルタリングとは,ただ単に接続を規制すると言う事だけではない。「ホワイトサイトだけは接続します」と言う方法もフィルタリングの一つだ。ホワイトサイトだけを接続可にして,他の怪しいサイトは接続出来ないようにすれば良い。
ブラックサイトは,腐るほど有るので対処出来ないのなら,数少ないホワイトサイトをピックアップして接続出来るようにするか,サイト運営者から申請のあったところだけを接続するようにすれば良い。勿論,審査に合格したところだけである。
兎に角,プロバイダーに何か手を打ってもらわないと,子ども達は守れないし,今回の事件のように,大人も守れない。
今回は「テロ」だと言うが,テロというのは或る意味,大きな主義,主張の下に行うものだと思っている。他人を傷つける事だけが目的ではない。その後にどうするかと言う事を考えている。
どうしても社会に衝撃を与えたい,主張したい事があると言うのなら,アキバのど真ん中で,フランシーヌのように焼身自殺を図れば良い。ある程度,衝撃を与えられるし,他人に迷惑をかける事はない。
また親の会見も,正直,凄く違和感を感じた。以前,ホームから人を突き落として殺人罪に問われている少年の両親は,感情のこもった会見をしていた。今回は,全く他人事のように淡々と父親は話していた。隣で母親がへたり込んでいたが,前述の両親には同情したが,今回の両親に対しては,全く同情心は湧かなかった。
これをニュースを見ていて「ああ,こう言う親に育てられた子どもは,こう言う育ち方をするかも知れない」と思ってしまった。幾ら犯罪者の親とは言え,もっと我が子を守ろうとする気持ちが見えて来ても良いのでは?と思った。
池田小事件の時の父親もそうだった。我が子が幾ら殺人を犯したとしても,父親なら或る程度,弁護の言葉が出ても良い。また自分の責任だという言葉が出ても良いはずなのに,我が子だけをボロクソにこき下ろしておいた。そんな親に育てられたら子どもなら,誰だって人生を斜めに見て,尚も斜に構えて人生を生きてしまうだろう。
親の子育てとは,人生において,本当に重大な仕事なのである。1人の子どもを育てる事は,親の姿勢一つで,その子が社会に役立つ人間になるのか,反社会的な行動をする人間になるのかが決まるのだ。
我が子だけが良ければ良いと言う考えで子育てしていると,今回のようにとんでもない事にある。自分の子どもの優秀さを世間に自慢したいが為に,子どもが良い子ぶらなければならないと言う事だけは,親としてはやってはいけない。小学校卒業までは,子どもは子どもらしく,あるがままの姿で育ててやらないと,どこかで子どもの心に歪みが出て来るような気がする。
投稿日:2008-06-11 Wed
私の嫌いな言葉に「勝ち組・負け組」と言うのがある。この言葉について,或るテレビのキャスターともやり合った。人生の上で勝ち組,負け組なんてあるのだろうか?
今回のアキバの殺人犯にしても「自分は負け組。勝ち組の人間を全て殺す」なんて事を携帯サイトのBBSに書いていた。
この犯人は,自分に負けていただけだ。全てを他人のせいにして生きていただけだ。
勝ち組とは,大きく言って「多くの金を稼いだ人間」と言う捉え方をされている。ライブドアのホリエモンや村上ファンドの村上氏など,金儲けに成功して,六本木ヒルズに住んで・・・・と言うセレブ生活が出来る人間が「勝ち組」と言われていた。
方やワーキングプアは負け組とされる。
そんな経済的に裕福かそうでないかだけで,人間を勝ち組,負け組に分けられてたまるか。そんな言葉があるから,この犯人も「自分は負け組」なんて思ったに違いない。世の中,経済的な事で負け組なんて有るわけ無い。みんな一生懸命生きていれば,その人生においてはみんな勝ち組だ。誰に迷惑をかける事もなく,慎ましくも貧しくも,密やかに人生を生きている人間・・・そう言う人間がどうして負け組だ?
この犯人は,本当に負け組の人間になってしまった。他人の命を奪い,全ての責任を親や他人のせいにして生きてきた人間・・・こう言う人間が人生の負け組と言うのだ。
勝ち組,負け組と言う言葉は,その人間の人生の生き方を判断して言って貰いたい。決して金持ちになったならないで決めるべきではない。
「故郷に錦を飾る」と言うが,経済的に成功して故郷に帰ってくる事だけではない。確かに「金持ちなった」と言う事は,一番評価しやすい。見た目にも解りやすい。しかしそれが全てではないと思う。でも社会の目は,ここに向いている。
本当にイヤな世の中だ。場合によっては,宝くじにあった人間でさえ勝ち組と言われそうだ。
この犯人のおかげで,ワーキングプアの人達が「負け組」と言われそうだ。またそう言う人達は,世の中をいじけて生きているようにも思われるのではないだろうか。精神障害者が事件を起こすと,そう言う人達全てが「怖い」人達に思われる。そんな事はない。
何故かとんでもない事をしでかす人間の両親は教育熱心で教育者と言うのが多い。それはどう言う事だろう。
私の知っている教育者の両親は,素晴らしい教育をしているのに。
この違いは,親子のスキンシップがあるかないかだろう。
この犯人の母親は,必要以上に我が子に干渉しすぎたように思う。また相当厳しかったようだ。自分の子どもを優等生に「仕立て上げて」いた。作文を書いてやったり絵を描いてやったりと,それで賞を取ったところで,どうして子どもが喜ぶだろうか。こう言う間違った教育が,今回の悲劇を生んだ。
知育のみの教育をすると,こう言う事になる。その時に自分の家庭教育が間違っていたと思っても,もう遅い。
子どもは「腕白でもいい,逞しく」育てるものだ。勉強なんて,子どもが気が付いた時からさせればいい。勉強しろと言ってもしない。自分がそうだったのに,子どもに言えるわけがない。通知表オール1の人が,先生になっている。そしてヤンキー先生の代わりに,教育再生会議のメンバーになっている。
人生,思い立った時が始まりだ。勉強に関して「気が付くのが遅かった」と言う事は無い。だから無理矢理子どもに勉強させる事はない。自分が「やりたい」と思ったら自分からやり出す。そうなると楽しくなるものだ。そう言う子ども達,社会人を多く見てきた。
これが勝ち組である。金儲けの上手い下手ではない。
一生かかって,棺桶に入る前に,「ああ良い人生だった。楽しい人生だった」と思えた時,その時が,その人の人生は勝ち組だったと思う。
要は自分に勝って,有意義な人生を送れる人達が勝ち組だと,私は思っている。なので棺桶に入るまでは,結論は出ないのだ。
投稿日:2008-06-10 Tue
熊本で,祖母に夜更かしを注意された高校生が,殺人未遂で逮捕された。本人は勉強をしていたのに,注意をされたので腹が立ったと言う事だが,腹が立ってそれがどうして「殺してやろう」と直ぐに結びつくのかが理解出来ない。また先般は,猫の餌やりを注意されて,大家を殺した男がいた。69歳と言う,分別もあって然るべき人間がこう言う事をやっている。
もうこの世の中,若くても年を取っていても,分別があろうが無かろうが関係ないのか。一体,どう言う国だ,この日本は。
堪忍袋の緒が切れるまで我慢して,そして切れたら怒鳴ったり殴れば良いのであって,殺人まで行く事が信じられない。自分に気にそぐわない者は抹消すると言う,とても恐ろしい考えが充満しているのではないだろうか。
自分の事しか考えていないから,こう言う事になる。自己中の典型的な例だ。
秋葉原の犯人が携帯サイトの掲示板に書いていた。
「自分は子どもの頃は良い子を演じてきた」と。親に書いて貰った作文が入賞したりしていたらしい。これはどう考えてもおかしい。やはりこの犯人の言葉の裏に垣間見るものは,子どもの頃の家庭教育の失敗だと言う事である。
我が子が成績優秀であれば,それで良いと言う親だったのだろう。だからこう言う人間になってしまう。
この犯人は,家庭内暴力もあったようだ。当然だろう。良い子を演じてきて,張り詰めてきた気持ちの糸が切れた時「オレの人生はなんだったんだ?」と思う。その時に,こう言う人生を送らせたのは自分の親のせいだと考えるのである。それで家庭内暴力へと発展する。
これは親の自業自得であり,全く同情する気は更々ない。
昔,食品会社のテレビCMで「腕白でもいい,逞しく育って欲しい」と言うのがあった。今ではそう言う考えはないのだろうか。今は「ひ弱でもいい,頭の良い子に育って欲しい」が受けるのだろうか。
自分の思い通りにならなければ,相手を排除する。その手段として「殺す」。刃物を持たないと何も出来ない情けない人間達。
先日,少年が彼女に会わせろと言って,刃物を持って女子高生の通う高校へ押しかけたらしい。全く分別のない馬鹿な少年だ。こう言うヤツを「無知な人間」言う。勉強もせずに女の尻を追う事しかできないアホである。
知恵もなければ知識もない。こんな人間が,どうしてこれからの社会を生きていけるのだろう。今のヤクザの世界でも,学歴社会だ。学歴のない人間は,一生使いっ走りだ。
過日,或るスナックで偶然出会った或る組の幹部の男性と話をしたが,政治,経済の話がしっかりできるのである。まともに話が出来るのだ。外見は全く堅気の人と変わらない。そうでないとヤクザも生き残っていけない。箸にも棒にもかからないチンピラヤクザは,極道の世界でも生きてはいけないのだ。
しかし上記の少年もそうだが,誰も好きこのんでこんな少年になったのではない。こう言う少年にさせられてしまったのだ。きっとこの少年の家庭環境は劣悪な環境だったと思う。会話のある,温かい家庭にこう言う少年は出来ない。
なので昔からそうだが,ヤンチャ坊主は憎めない。その後ろにある親を憎む。子どもは純真無垢な状態で生まれてくる。それを汚すのは親なのだ。いわば不良少年といわれる子ども達は,親の教育の失敗作なのだ。
勿論,どんな劣悪な家庭環境でも,立派に成長している子ども達も多くいる。或る意味,道を逸れてしまう子ども達は「弱い」のだ。甘えがあるのだ。しかし強い子どもに育てるのも親の努めだ。
「ヘリコプタ・ペアレント」に強い子どもは育たない。
これから暫くは,秋葉原事件の模倣犯が出ないとも限らない。今の日本は,そう言う国なのだ。
本当に子どもの教育をド真剣に考えないと,将来,「平和日本」と言う言葉は死語になってしまうだろう。
投稿日:2008-06-09 Mon
また悲惨な無差別殺人が起こった。最近,無差別殺人が多いような気がする。どうしてこうも簡単に人を殺せるのだろう。私が小学生の頃は,フナやカエルの解剖を理科の時間に行った。解剖のある日の前日に,カエルを近所の田んぼに捕りに行ったものだ。
でもいつの間にか,その授業はなくなった。喩え小動物でも命を奪うのは良くないと言う事だろう。しかしこう言う事で,逆に命の大切さを学んだような気がする。また死ねば生き物は生き返らないと言う事も解った。この当たり前の事が,解らない子ども達がいるようだ。ゲームの影響か,死んでも直ぐに生き返ると思っている小・中学生がいるらしい。
またトンボの腹をちょん切って,マッチ棒を付けて飛ばしたり,カエルの口に爆竹をくわえさせて火を付けたり,生き物を飲み込んだ蛇を捕まえて,腹の中の生き物を,また口から取り出したり腹を割いたりと,とんでもない事を小学生の時はやっていた。
でもそれは大きくなるに従って,当然,やらなくなる。しかし犬や猫といった動物にはしなかった。
こう言う事は,殆どの子ども達はやったものだ。これが是か非かと言う事は別にして,そう言う事によって「死」と言う事にいつも接していた。
また祖父母の死に目に遭ったりと,人間の死というものにも接する事が出来た。
しかし今の子ども達は,生き物の死に接する機会があるだろうか。
ペットの犬や猫,小鳥などが死んだ時の悲しみなどはあるだろうが,殆どの子ども達は無いと思う。
無差別殺人を起こす人間は,人間を虫やカエルのように思っているのだろうか。
私が子どもの頃は「ウソをついたら閻魔さんに下を抜かれる」とか「人を殺したら地獄へ行く」と言う事を常に言われた。遅くまで遊んでいたら「子捕りにさらわれるぞ」と言って夕方になると子ども達は「子取りが来るからか〜えろ」と歌いながら帰った。
そう言う小さな徳育が,今はなされていない気がする。
或る小学校の先生に聞いた話だが,授業中に天国と地獄の話をしたらしい。次の日,そのクラスの保護者の1人から「子どもが怖がって,夜寝られないと言っている。どうして怖がらせるような話をするのか」とクレームが入ったらしい。
実際にこう言う保護者がいるのだ。
怖がっても「でも○○ちゃんは良い子だから,天国へ行くのよ」と,親として,どうして言えないのだろうか。
小さい時に心の中に埋め込まれたモラルスピリットは,一生涯,その人の心の中の規律として残る。だから良いのだ。またテレビドラマでも殺人を犯した犯人は,独房の中で,殺した相手の亡霊に苛まれて苦しむようなドラマもあった。今ではそう言うものはない。
今回も犯人は小・中学生の時は優等生だったらしい。今まで突然の殺人を犯すのは,優等生が多い。が,優等生だからそう言う事件を起こすと言っているのではない。箸にも棒にもかからない人間も,残虐な殺人を犯している。
この二つに共通するものは何だろう。それは子どもの時の「心の教育」が出来ていなかったのだろう。優等生は親に知育ばかりをさせられていたのではないだろうか。残虐な事をやる人間は,親の愛情不足と,劣悪な人間関係の家庭環境の中で育ったのだと思う。
亀田兄弟を例に出すのは申し訳ないが,彼らは或る意味,ヤンチャである。しかし殺人を犯したり,人に対して暴力を振るう事はないと思う。何故なら,父親の愛情を一杯に受けているからだ。
基本はこれではないだろうか。家庭教育と言っても,全く難しくはない。親が我が子に対し「正しい」愛情をかければ良いのである。正しい愛情とは子どもが「自分は親から愛されているんだ」と思える「愛情」である。
また子どもに気を遣わずに,親が我が子を叱れるかどうかと言う事である。我が子は,今16歳だが,この16年間で3回殴った。小学校で2回,中学校で1回である。しかしこれからは殴る事もないだろう。子どもに手を挙げるのは,小学校時代だけで良いのである。こう言う事を言うと「恐怖で子どもを押さえ,言う事をきかすのか」と言われるだろうが,その通りである。
子どもが怪我をしなければ,体罰はOKだと思う。
また子ども達が小学校で1対1の喧嘩をするなら,「させておけ」と言うのが私の考えである。お互い痛みが解れば勝手に止める。或る幼稚園で喧嘩は止めないと言うところがあった。それもOKである。
高校生でもタイマンを張って喧嘩するならOKだと思う。1対1で素手で喧嘩をしても,死ぬ事は先ず無い。
が,今の子どもは根性がないのでこれが出来ない。
子どもの頃に,体罰を加えて恐怖で従えようとすると,将来,それがトラウマになってしまうと言う事でやってはいけないと言うが,果たしてそうだろうか。私何ざぁ,コブが引く間もないくらい父親からゲンコツを食らっていたが,全然トラウマにはなってない。ただ父親が死ぬまで怖かったが。
それで良いのではと思う。
勿論,虐待は良くないが。
「訳もなく殴り倒す(親の感情で殴る)」「怪我をさせるくらい殴る」と言うのが虐待である。それ以外で子どもが「何故殴られたのか?」が解るような殴り方は虐待ではない。
日本は治安が良い国だ。しかし今回の通り魔殺人を見て,何処が治安優秀国日本だろう?
環境問題も今から取り組まなくてはいけないだろうが,子ども達の心の教育も,今からしっかりと行っていかないと,益々これからの日本は殺伐とした国になるだろう。
「地域の子どもは地域で守る」と言っても,それを引き継いでいってくれる人がいなくなる可能性がある。
まぁ,その時には,私はこの世にはいないだろうが・・・。
これからの社会,お年寄りも暮らしにくい世の中になって行く。ならばさっさと死んでしまいたいと思う。
大阪府は,小学校に警備員を立てている。その経費をカットすると言う。
当然である。
どうして我が子を他人に守って貰うのか。どうして自分達の子どもは自分達で守ろうとしないのか。それが親だろう。また地域で子ども達を守れば良いのである。それが出来ない事自体,もう人間関係の破壊が進んでいるのだ。
京都を見習えと言いたい。京都は地域の人達や保護者が,子どもの登下校を守っている。
「自分の子どもは自分で守る」が基本である。それが出来て,子ども達も将来大きくなって同じ行動をする。そうすれば通り魔殺人なんてする人間がいなくなるに違いない。親の愛情も必要だが,大人の愛情も必要なのである。
投稿日:2008-06-07 Sat
山梨県北杜市のテーマパーク「県フラワーセンター・ハイジの村」で「コスプレ大会」が今年度は中止されることになった。勿論,私はコスプレなんぞは,全く興味がない。同センターは1998年に開園。2006年に県内の菓子製造会社など2団体が指定管理者となり,アニメ「アルプスの少女ハイジ」をテーマに改装オープンした。
それが昨年の夏,県農政部に年配の女性から「子供からお年寄りまで花を楽しむ施設に,若者が大挙して集まるイベントはいかがなものか」との電話があったのを機に,県は指定管理者に見直しを促したらしい。指定管理者は「好評だっただけに残念」としている。県には復活を望むメールが20通ほど寄せられていると言う。
全く個人尊重の平和日本だ。多数決は民主主義ではないと言う。では少数決は民主主義か・・・である。とかく多数決で決まった事に対して,反対する少数派の意見を尊重しすぎである。その意見は尊重するが,所詮「多数決」である。これが民主主義の基本だ。
但し,国会での強行採決のようなものは,多数決が民主主義とは言えない。
こと,国民や個人の生活に関わる事であるからである。場合によっては生きる事に対して大きく左右される事にもなる。
しかし一般にPTAの事や,こう言ったイベントの事では,やはり多く人の利益を優先すべきなのだ。たった1人の人の意見で,大勢の人が不利益を被る事があってはならないと思う。
極端に言えば,「個人の生命の危機に関わる事以外は,多数決で十分」であると思う。
あまりにも今の社会,一部の少数の人間の言葉を用い過ぎである。反対する人間は屁理屈をこねくり回す。またそう言う人間に限って声が大きい。
俗に言う「鬱陶しいヤツ」である。だから「長いものには巻かれろ」で,それを受け入れてしまう。多数派の人は,良識ある人達だから,「まぁ,仕方がないか」と諦めムードで「我慢」するのだ。
これって本当に良いのだろうか。
どうして多数の人が我慢しなくてはいけないのだろう。多数の人の意見は尊重されないのだろうか。では何の為の多数決だろう?多数決でなくても,多くの人が望んでいるのに,反対している少数の人の為に我慢を強いられなくてはならない不合理がどうしても納得いかない。
どんな人も100%納得できることは何もないのだ。であるならば,多くの人のメリットを考えて,事を進めるべきだ。しかしそう言うと「では,反対する人は我慢をしろと言うのか」と言う。それならば「少数者の意見を聞いて多数派はいつも我慢をさせられるのは良いのか?」と言う事だ。
物事には「折り合い」と言う言葉がある。お互い歩み寄り,ここまでなら双方我慢が出来ると言うところまで降ろして議論すべきである。それがなされないで,白か黒か,是か非かと言う議論しかされない。これでは一方が我慢するしかないのだ。
これは民主主義とは言えないだろう。
多数決を取り,少数派の意見も尊重し,そこで話し合って折り合いが付くところまで降りることだ。国レベルの話で,個人1人1人が生きるか死ぬかと言う問題なら話は別だ。今話題の後期高齢者保険制度のようなものは,お年寄りにとっては死活問題だ。こう言う事を国会議員の多数決で決められたらたまったもんじゃない。
しかし一般に生活している中での諸問題の事は,充分に多数決,話し合いで事が足りる。自治会の決め事も,これで進めれば良いのだ。それが今できないのが,この社会かも。
人々が,「自分が自分が」ではなく「人の為になのが出来るのか」を自問自答しながら生きて行けば,戦争もない,人殺しもない世界になるのにと,子どものような事を考えている。
平和日本であるはずが,気に入らなければ殴ると言う事を通り過ぎて,直ぐに相手の命を奪ってしまう人間が多くなっている。どうしてそう簡単に殺人を犯す事ができるのだろう。
今日の夕方,近所の横断歩道を渡っていたら,向こうから中女子学生が自転車に乗ってやってきた。私を知っている女の子であり,私も知っている。すれ違いざまに,広い道路の真ん中でハイタッチをしてすれ違ってくれた。
こう言う地域作りを,地道に今後もやっていこうと思っている。
投稿日:2008-06-06 Fri
新潟市で23人もの家庭が,子どもを小学校に行かせないと言う事が起こっているらしい。理由は「家庭で教育をする」と言う事らしい。しかしボランティア団体の人が当事者に会って話すと「不登校」だと言う。でも良く聞いてみると「新入生の内から学校へ行かせない」と言う家庭もある。これは不登校になるだろうか。
不登校とは学校に通う内に何らかの原因があって「行きたくない」と言うものだと思っていたが・・・。
保護者が「子どもが学校へ行きたくないというのに,登校督促状を送られた」と言って憤慨している。不登校なら不登校で学校や教育委員会,また専門機関に相談をすれば良いのにそれもしていないとか。
最終的には「自分の子どもは自分で教育します」と言うところに落ち着くのだろう。
が,この保護者達,とんでもない間違いを犯している事に気が付いていない。以前も書いたが「我が子を守っているようで実は我が子をダメにしている」のである。
教育とは三育が揃って,初めて教育である。この家庭の保護者達は「知育」のみを優先させている。「勉強さえ出来れば良いのか?」と言う事である。
恐らく,その勉強も受験対策のみの勉強になるのでは無いだろうか?
もしこの子ども達が,将来,この社会の中で誰とも関わりも持たず,自分の殻の中で勉強のみで生活が出来て,一生を終えられる事が出来るのなら,それで良いと思う。
しかし何れは社会へ出ないと行けないのである。その時に,人とコミュニケーションがとれない人間は,生きては行けないのである。
小学校の教育は,勿論,勉強もあるが,一番大事なのは「人とのコミュニケーション能力を養う」為の教育が大きい。
友達を作って,大いに遊んで,喧嘩して,勉強して,リーダーシップを取るもの,また自分の役割を考えて行動する能力等を身につけて,将来社会へ出ても大丈夫な人間を作る為に,小学校は有ると思っている。
今は昔みたいにガキ大将がいて・・・と言う縦組織で遊ぶ機会が子ども達にはなくなった。これが非情に重要な事なのだ。所謂(いわゆる)「群れて遊ぶ」と言う事が無くなったのである。
我が子も小学校の時は,5人くらい子ども達が家に遊びに来た時に何をしているかと言うと,それぞれがポケコンを使って,それぞれが好きなゲームをしている。或る意味,個(己)を大事にするのだろうか。これなら一緒に遊ばなくても良い。
しかし1人では寂しいのである。ポケコンを使って1人で遊ぶよりも,みんなでいる方が良いのだろう。またその場で「ここはどうやって乗り切ったらいいの?」と言うような質問も,お互いにしているのだろう。それはそれで良いかも知れない。でもこの中では組織は存在しない。
私の子どもの頃は,同年代の友達同士集まっても,知らずの内に組織が出来ていた。仕切る人間がいて,それをサポートする人間がいる。
私が小学校6年生時の或る休日,自転車でサイクリングをしようと言う事になった。当時は近所には子ども達が多かったので,近所の子ども達で遊ぶ事が多かった。
中学年,高学年合わせて10人くらいはいたと思うが,一応,行き先は漠然と決めている。走路は決まってない。先頭に走る者の気分次第だ。
で,いつものようにNO2が,「先頭は山下行けよ」と言う(彼は私をいつもTOPにする)。しかし他の者は何も言わない。「じゃぁ,オレは一番後ろに行くわ」と誰かが言う。「オレは真ん中やな」とドンドン決まっていく。
その6年生の間に中学年や低学年を挟む。
また他の者が「飲み物,持ったか?」と言う。持っていない者がいれば,「じゃぁ,○○に寄ってジュース買おうや」と言う。
こう言う子どもの社会中で育った人間が,今の日本を支え,動かしているのだ。(政治家の事ではない)
一流企業の社長,中小企業の社長,みんな同じである。
そう言う人間のコミュニケーション能力がないままに,頭でっかちで育った子どもは,一体どうなるだろう。どれだけ才能があっても,コミュニケーション能力が無ければ生きては行けないのである。
また今の世の中,雑学知識が非情に大事である。雑学知識があると,応用が利くからだ。或る意味,「トンチ能力」である。
HP一つ作るにしても,全く知識が無くても作れるようになる。一つのHPのソースをじっと見ていると,法則が見えて来る。それが解れば作れるようになる。それが「トンチ力」ではないだろうか。「教えて貰ってないから出来ない」と言うのが,今の子ども達の発想だ。(いや,子ども達だけでなく,若者達もそうかも知れない)。今の日本の技術進歩は,正に無から有を生み,教えて貰ってない事から始まっている。
昔流行った言葉に「マニュアル人間」と言うのがあったが,正にそれである。最高学府を出て,企業に入ってくる若者達は1から「12」まで教えないといけない。私の頃は仕事なんて誰も教えてくれなかった。「先輩のやっているセンスを盗め」と言われた。
また「同じ事を教えるのは3回まで。それ以上は自分で考えろ」である。でも今はそうであってはいけないらしい。
何かあれば「ヘリコプタ・ペアレント」が急降下してくるらしいので。
この23人の保護者の考え方が良く解らないが,子ども達の為と思ってやっているのだろうが,それが将来,子ども達に大きな不幸を生む事に,早く気が付いて欲しいものだ。この社会,全てが気の合う人間ばかりではない。そう言う人間とも付き合っていかねばならないのだ。その訓練の場が小学校である。
ハウス栽培のスイカは,年中スーパーに並んでいる。スイカなんて年がら年中食べたい果物ではないだろう。やはりスイカは,暑い日差しを一杯受け,害虫とも戦った夏のスイカを,暑い縁側で食べる事が,一番美味しいのである。ハウス栽培のスイカは,夏のスイカには甘さの点で劣るに違いない。
それと同じように,子どもをハウス栽培してはいけない。将来,子どもの苦悩が,保護者に向けられるのだ。その時に気が付いて慌てても,もう遅いのである。
投稿日:2008-06-05 Thu
高知県に「馬路村(うまじむら)」と言う村がある。文字通り馬でしか行けないような村らしい。これと言って特産物もなく,もう村が「潰れる」しかないというところまで追い込まれた。
近隣の村との合併をお願いしても「そんな貧困な村とは合併出来ない」と一蹴される始末。
馬路村は,四国の高知の山の中。人口は,1200人足らずの過疎の村だ。遊びは,山と川しかない。山の暮らしは大変だと思うが,ゆずに木工に温泉と頑張ってる。
ところが,人間誰しもそうだが,最高に追い詰められると知恵が湧くものだ。馬路村もそうだった。もう一度,みんなで知恵を出し合って考えた。
「今,村にあるのはゆずだけだ」と言う事で,ゆずのジュース「ごっくん馬路村」を作って販売する事にした。しかしそう簡単には売れない。村長自ら全国を行商し,今ではバカ売れのジュースとなり全国へ出荷している。(工場も新設)
また馬路村には自然が一杯だ。その自然を生かした観光地にした。それに四国で唯一,温泉が出たのだ。これも幸いした。
それに村民は1200人なのに,来村者に応援団の名刺を渡し,その人達が登録して名誉村民になっているので,トータルすると全国に10000人の村民がいるらしい。
今は「ごっくん馬路村」を中心に,ゆず製品を多く作っているようだ。また宿泊施設や,アスレチックなど自然を生かした村作りが大ヒットである。
今,滋賀県の日野町の町興しに関わっているが,ここも,あるのは土地と日野菜と獣害の鹿だけだ。その中で,今では鹿肉を使った料理のレシピを作って,色々と全国に販売しようとしている。既に滋賀県では,フランス料理のレストランやホテルのレストランで一部鹿肉を使ったメニューを出している。
日野町も馬路村に続けと言う事で,馬路村を参考にされているようだ。
この馬路村の復興に関わった人と,今年の8月に呼ばれて行く。2泊3日で行く予定で,先ずは私が馬路村の教育委員会でおやじやおかんを集めて,ワイワイと「ごっくん馬路村おやじ談義」を行う予定だ。夜は,酒と肴で朝までワイワイと飲み会かも・・・。
2日間とも子ども達を集めてのイベントを企画している。
おやじ達やおかみ達,子ども達,それに村の教育委員会も交えてイベントをするが,今から楽しみである。(しかしどんなところにも,教育委員会はあるものだ)
投稿日:2008-06-04 Wed
今朝,メタボ検診に行って来た。勿論,国保から案内が来たからだが,自分の体も最近心配で行ってきた。身長177センチ,体重76キロ,腹回りなんと93センチ。腹回りはさすがショックだった。85センチだとばかり思っていた。
「力を抜いて普通にして下さいよ」って言われてしまった。一応,無意識に気にしているなぁ・・・。
通常は,問診と採血,尿検査,血圧で終わるが,血圧が高く,腹回りがちょっとあったので,心電図の必要があると言われて心電図室へ・・・。
これだけで結構凹む。(-_-;)
採血の結果は,脂肪肝で肝臓の数値が少々「H」マーク。それと悪玉コレステロールが高い。これは昔から言われていた。
いずれにせよ,栄養指導で呼び出されるだろう。
運動しよう!
せめて子どもが成人するまでは長生きしないといけないな。これも親の義務だろう。
投稿日:2008-06-02 Mon
北九州市で,自分のブログに悪口を書き込まれたとして,16歳の女子高生が自殺した。若い命を「これくらいの事」で散らすとは本当に勿体ないと思う。勿論,これは中傷するような言葉を書き込んだ者が悪いのは当然だと思う。
でもブログなり掲示板なりを開設する者は,それくらいは覚悟しなければならない事である。
昔は掲示板への書き込みで批判,中傷はザラだった。俗に言う「荒らし」と言うものだ。当時は,規制するにも規制のしようがなかった。好きな事を書き放題だった。しかし今ではメールや掲示板等の書き込みから個人を特定出来るようになっている。
それを「大人」は解っているから,敢えてそう言う事をする人間は少なくなった。まぁ,狡賢い人間は,自分が特定されないように,海外サーバーを使って書き込む人間もいるだろうが,わざわざそう言うものを使って中傷する人間は少ないだろう。主にアダルトなどの迷惑メールを送りつける為に使っている。また批判中傷する為に時間を費やすような面倒な事はしない。
ところが,中学生・高校生のような「子ども」にはそれが解らない。
ブログや掲示板を公開すると言う事は,そう言う事があり得ると言う事を前提に開設しないといけないのだ。ところがそう言う事が解らない,また親も誰も教えられないからこう言う事になる。
もし息子が,プロフやブログ,BBS付きのホームページを開設する言ったら,私はその事に対しての心構えや,作り方を教えられる。
「私はパソコンは苦手で・・・」とか「携帯は持たないの」と言う保護者に対しては,それではダメだといつも言っている。「自分が今浦島になるのは大いに結構だ。しかしそれでは我が子を守れませんよ」と言っている。
その言葉を受けて,或る中学校では保護者のパソコンクラブが出来た。今では地域の人達まで来ている。まぁ,言い出しっぺなので,私がその顧問を依頼されやっている。月に2〜3回,教えに行っているが,結構楽しくやっている。
もっと親や周りの大人,学校が協力し合って,本当にネットの怖さを教えないといけない。それも「危ないよ」「怖いよ」では,訴求力に欠ける。
プロフやブログを開設するなと言っても,ちょっと大人ぶった子どもは,開設してし舞うのだ。だから「開設してはダメだ」と言う事より,使い方や心構えを教えた方が良いのだ。どうしてそれが出来ないのだろう。
ブログやプロフを開設すると,必ずと言って良いほど批判中傷がある。それを覚悟の上で開設することだと教えるべきである。
それが彼らにとって一番解る危険性だ。そして辛いと思ったら,即閉鎖をすると言う事も教えるべきである。
また批判中傷を書き込んでも,「幾ら匿名でも必ず書き込んだ人間は特定される」と言う事も,教えるべきである。書き込んだ方も,書き込まれた方も,同じ辛い思いを遅かれ早かれするんだと言う事を,口を酸っぱくして,毎日,学校で言うべきなのである。(親が言えないから)
事件が起きてから,校長が幾ら反省してもどうにもならないのだ。だから事件が起こる前に,シツコクいうべきなのだ。
でも現実は何も言えていない。プリントを出したり,通り一遍の話しかしない。大体,教師自体が事の重大さを認識していないからこうなるのだ。またそれ以上に,親が認識していない。
BBSに悪口を書かれたら,書かれた本人はどれだけ傷つくか解っていない。何故解らないかと言うと,自分が経験していないからだ。
私のパソコン歴は,相当古い。NECが,まだPC7000〜8000番台時代の頃からだ。8インチのFDで,ソフトを読み込ますのも何枚もカッチン,カッチンと時間をかけて読み込まさないといけない時代からだ。
その後,今では当たり前のように普及しているインターネットだが,今から十数年前のNECのパソコンのCMでは,中山美穂が「ねぇねぇ,Eメールには切手は要らないの?」なんて言う事を言っていたのだ。
そのインターネットが普及する少し前からやっていたが,その頃は,本当にインターネットの世界も良かった。これほど素晴らしい世界は無いと思った。ネットで知り合った仲間も,「オフ会」などをやって「初めまして」と言って会っていたものだ。その頃の人達とは,今もお付き合いしている。
ところがネットがだんだん普及するにつれて,BBSの迷惑広告書き込み,批判中傷書き込み等が多くなって来た。やがて「荒らし」全盛期を迎える事になる。どういう精神構造をしているのか解らないが,きっと社会を斜めから見ている人間だろう。寂しい人間の集団である。
これで多くのホームページが閉鎖になった。大人でも結構負ゲルものである。まして子どもだったら,相当,心の傷は大きいだろう。この辛さは経験したものでないと理解出来ない。
先に「こんな事くらいで」と書いた。その時は辛いだろうが,後で思えば「こんなくらいの事」なのだ。
この女子高生,「どうして誰にも相談しなかったのだろう」と言うのは簡単だ。きっとそう言う事が言えない心の繊細な女の子だから出来なかったのである。でなければ自殺なんてしない。
しかしもし親であれば,常に我が子が開設しているブログは見ておくべきである。
「パソコンは触れない」と言う事で,それで良しとしてたからこう言う結果になったのだ。我が子を亡くした親を責めるつもりはないが,しかし今回の自殺は,もしインターネットが出来ていれば,親として助けられたかも知れない。もしパソコンを触れるにも関わらず,それが出来ていなかったのなら,親としての罪は重い。
こう言う事を,世の保護者に口を酸っぱくして言っているのだが,なかなか「我が子に限って」と思うのか,誰も自覚してくれない。
しかしわが子を亡くした親の気持ちは,本当に辛いだろう。自分に置き換えてみると,とても死ぬほど辛い。
繰り返すが,一番悪いのは批判中傷を書き込んだ子どもだ。匿名ならば何を書いても良い,解らないと言う事はないと言う事を,もっと周知さすべきだろう。
ネットモラルの低下は,社会のモラルの低下に比例している。
これからの世の中,一体どうなるのだろう。
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