投稿日:2009-01-12 Mon
「KY」と言うのは空気が読めないと言う事らしい。今の若い人達は,日本語もまともに話せないのだから,何でもかんでも言葉を省略して話をするのは如何なものかと思ってしまう。確かにその場の空気が読めなくて会話が成立しないと言う人間はいる。しかしそれは極まれであると思う。今の中学生や高校生がKYと言う人間を疎外する傾向があるが,このKYの意味を取り違えているのではないだろうか。
例えば,クラスで一人の生徒をいじめているとする。クラスの一部の生徒が扇動してるのだが,それがそのクラスの一つの空気になっている。その中で「いじめはやめよう」と言うと「KY」だと言われる。これは違うだろう。
今の子どもは空気を読みすぎる。悪く言えば「仲間はずれを嫌う」からだ。自分だけが,大勢の雰囲気の流れの中で違う意見を言うと,KYだと言われる。
私はKYも時には良いのではないかと思っている。
会社でも会議の中で違う意見を言う事も,或る意味KYだ。しかし話の流れをそのまま受け流すのではなく,その時に応じて違う意見を言うと事はKYではない。
若いのに,どうしてそんなに空気を読む事に神経を使わなければいけないのかと不思議に思う。
空気を読むと言う事は,何の意見も持たずに,大勢の流れに流されていくと言う事が「空気を読む」と勘違いしているように思う。
今日は成人式だ。
新成人達は,綺麗に着飾っている。振り袖姿や紋付き袴,スーツ姿と感心する。私の時の成人式は,普段着だったように思う。精々スーツ姿の男性がチラホラだったかな。それに今程ニュースで取り上げられたりして騒がれなかったような気がする。と言っても私は成人式には行かなかった。当時の若者もそれほど多く参加していなかったのではないだろうか。変にシラけた時代だった。
その新成人も,やはり周囲の空気を読もうとするんだろうか。私も或る意味,どちらかと言うとKYかも知れない。会議の場でも議論はするし,言いたいことは言うし,その為に会議が長引いたり,熱くなったりする。周囲の人達にとっては迷惑な話だ。でもこの考えは変えない。勿論,現状が満足する状態ならそれで良いが,少しでも改善の余地があるのなら,吠える。
若い人達は,もっとKYで有って欲しい。そんな中学生や高校生の時から周囲の空気ばかりを読んでいてどうするのだ。
もっと現実に即した空気を読む訓練をして欲しい。どう言う場合にどう言う話をすれば良いのかを訓練するべきだ。大勢に流される事が空気を読む事ではないと思う。
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